革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

あなたが私を好きなのかどうかなんて私には分からない

営業マンはエスパーじゃないといけない、と私は常日頃思っている。お客さんが何を思っているのか、何に困っているのか、どう解決して欲しいのか、などなど。

そして私はまぁまぁエスパーになりつつある。ここがこうなっているんだったらこうなってませんか?こんな事で困ってるでしょう?こうなれば良いのになと思ってませんか?とお客さんが喋る前に言い当てるのである。

当たり前だがお客さんはビックリする。なんで分かるの?!てなもんである。しかしながら私がお客さんの心を言い当てることが出来るのも当たり前だ。何回も同じトラブルを経験し、何回も同じトラブルを私は改善しているからである。

機械や設計に関してはこうなってればこうなるだろうなという事は読める。が、人間関係ではどうだろうか。当たり前だがこれは今まで43年間生きてきた私でも読めない。あなたに好かれてるのか嫌われてるのかなんて私には分からないのだ。

「好きです」と言われても「嫌いです」と言われても本当のあなたの心の中は私には分からない。あなたから私に話しかけてくれるのは好かれているのではない。これは「普通」なのだ。

真ん中の「普通ライン」から私は「好きエリア」にいるのか「嫌いエリア」にいるのか。私の立ち回り方はこうだ。全てにおいて「私主導」ではなく「あなた主導」でものを考える。

「私がこうしたいから」ではなく「あなたはどうしたいんだろうか」を考える。「私はこうしたい」とあなたに言うのは、あなたの「好きエリア」に私はいるんだろうな、と確信してからだ。

それまで私は主張などしない。あなたから聞く、情報を吸い上げる作業を行う。自ら行うアドバイスなど以ての外である。もちろん聞かれたらちゃんと答えるし、言い方も「私ならこうする」という言い方をする。

私の考える「好き」「嫌い」というのは「相手を許せる範囲」だと思っている。大好きなら何でも許せるし少しでも嫌いなら些細なことも許せない。であれば、あなたが私のことを好きなのか嫌いなのか分からない状況での自己主張など得策ではない。

こうして欲しいと相手に何かを求めるのはただのエゴイスト。まず私はあなたに沢山の何かを与えないといけない。しかし押し付けはいけない。求められれば与える、を繰り返すのである。私があなたを好きなのであれば、私があなたの「好きエリア」に入れるまでジッと待つ。

私の声があなたに聞こえなくてもよい。私の声をあなたに聞かせようなんて思わない。私の希望は、あなたの「無意識」に入り込む事だ。

営業も男女も同じである。何か困ったことが起きた時、あなたの頭の中でまず私の顔が浮かぶかどうか。そのあなたの「無意識」に私が入り込めたとき、それまでの私の営業活動の花は咲き誇り、ハラハラ舞い散る桜と共に私の髪の毛も枕に散るのである。

 

来年も咲くんやろ?ワシの髪の毛。あかんか?