革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

俺の普通はどこにあるのか

30歳で就職した会社では営業資料を渡されて「んじゃ行ってこい」というような会社であった。誰も、何も教えてくれない。「お前営業やろ?グダグダ言うてんととりあえず売ってこんかいな。売れへんのはお前の営業能力が低いんや。」という無言の圧力がこれでもかと事務所中に封入されていた。私のような頭の悪い人間は何も疑わずに「売れないのは私が悪いのだ」と必死で売り歩いた。朝は朝礼で社訓を叫び、3分間スピーチを強要され、何も分かっていない私に社内プレゼンをさせては失笑されるという毎日であった。

これが普通なんだ

数年もすると「何かがおかしいな」と私のような頭の悪い人間でも分かる。そこから切り替えた(開き直った)のだ。何を言われようとも、売れ上げが無くとも、製品の知識を付けるのが先だ。私はここで給料を貰いながら勉強をするんだと。それが嫌ならクビにしろよと。出来るのか?出来ねえだろ。出来るわけないよな。他の営業も売上無いんだから。そこからは猛勉強と同業他社との付き合いが始まる。売り上げ?知るかそんなもん。お前売ってこいよ。

これが普通なんだ

仲良くなった同業他社にお願いをして営業資料を貰った。中身を見て驚いた。我々が使ってる資料の精度の低さに。自社の技術者が描いた図面と他社のものを比べると、自社のものはもう子供の落書きである。私が営業に出てお客さんとその資料を見ながら話す時のお客さんの苦笑い。これか…と思った。私は自腹で金を作って他社に発注した。我々の製品はこういうものだ、図面を描いてくれないか、と。

これは普通なのか?

知識を得た私、しっかりした図面、当たり前だが売れないわけが無い。私はその会社で唯一「会社に金を持って帰る営業」になった。しかし、残念ながらその会社の体力はもう無かった。当たり前だが倒産した。そして自分で一から始め、今に至るという具合である。

普通とはなんだ。その会社の普通、俺の普通、相手の普通、普通はこうだろう?と言われても「どの普通」のことを言っているのかは私には分からない。私は思う。相手の普通はどの位置にあるんだと、私の普通とどれだけ距離があるんだと。私の普通を相手に押し付けるような事はしない。「私の普通」はどうでも良い。あなたはどの軸でどの位置にいて、今私とどの高さで話をしようとしているのか、それを雑談や会話、コミュニケーションで相手からどんどん引き出していく。私の普通を相手に合わせに行く。

私の中の普通が見当たらない

今大きな会社との打ち合わせが多いわけだが、やはり大きな会社には優秀な人達が沢山いて、その「普通」の精度が高い。分からない事は頭を下げて教えてくれとお願いし、自分でもなるべくその位置の普通で会話が出来るように毎日勉強している。私がよじ登らなければ、私が這い上がらなければ私の「普通」は確立しない。「普通」は私だけでは成り立たない。色んな人の「普通」をジッと観察しながら、私はどの位置の普通を出そうか、といつも考えている。

「普通」を押し切る、押し切れる、決めつける人間はそうやってれば良い。相手が「ふーん」と思うだけの話だ。私の中の普通はカチカチに固まっていない。グニャグニャと変形しながら移動して、あなたの「普通」にまとわりつくのである。