革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

猫と食う寝る遊ぶ

みなさんお元気ですかぁ〜。古いですね。私がまだ青い果実の時代に井上陽水が日産セフィーロのCMでウィンドウを開けながら我々一般人に挨拶をしていました。いつ頃のCMなのか調べてみると1988年、30年以上前のようです。恐ろしいですね。計算すると私が14歳の頃。友人にブルーハーツを聴かされて衝撃を受け「俺はこんなままで…良いのか…!」と自問自答していた頃です。中2ですね。

考えてみると私の中身などは未だに中2です。ご愁傷様です。こんなオッサンになっても「今に見てろよこのクソ野郎」的な事を腹の中に秘めながら仕事をしているわけですから、中身なんてそうそう変わるものではありませんね。顔は笑いながら怒る竹中直人を見ると「私のようだな」といつも思いますわね。相変わらず滑稽なオッサンだ。

そんなこんなで毎日を仕事で消費し疲れて家に帰るとそこに猫がいる。自身の手をクロスさせた可愛い脚を枕にしてそこに顎を置き、目だけで私を見上げる。その目に感情は感じない。大好きだとも大嫌いだとも主張しないその目はずっと私を追う。私が手を伸ばすとその不恰好な私の手の匂いを嗅ぎ、そしてゴロゴロと喉を鳴らしながら手の中に頭を突っ込んでくる。

遊ぶと言ってもおもちゃがあまり無いので派手な遊びは出来ない。一通り撫でる行為に飽きた猫は私の手を甘噛みしてくる。リズミカルに後ろ脚でトントントンと私の手を弾きながら、私の手を前脚で抱き寄せながらハムハムと甘噛みしている。徐々にエキサイティングしてくると爪を立て、必死な顔をしながら私の手をハムハムする。猫のその目に感情は無い。

疲れた猫は私の横で腹を見せながら横たわった。喉が渇いた私が台所に立つと「ニャア」と鳴いて私の足元に来る。まだ産まれて4ヶ月の猫のご飯は、カリカリをお湯でふやかせたものだ。飯をくれとせがんでいる。いつまでお湯でふやかせたカリカリをあげるんだろうな、と考えながらお湯を沸かす。猫専用のお皿にカリカリを出すとその音でまた猫は興奮する。ニャアと鳴く。ふやかせるのに少しの時間が必要なので私は家の外に出て煙草を吸う。吸い終わる時間が猫のご飯タイムだ。私を見上げる猫。その目に感情は無い。さぁ食べろ。

食べ終わると脚をペロペロと舐めながら毛繕いを始める。顔をゴシゴシと擦りながら、全身の毛を丁寧に舐めている。「猫の舌のザラザラはクシのような役割をしている」というような事を聞いたことがあるなぁ、とそんな事を考えながらジッとその様子を眺めている。一通り作業が終わると、お気に入りの、いつものフワフワのクッションに移動する猫。前脚を自分の胸に折り返して目を瞑る猫。私は風呂に入るよ。ゆっくりしといてくれよ猫。私が立ち上がるとまた私を見上げる猫。その目に感情は無い。

私が風呂からあがろうと扉を開けるとそこに猫はいた。待っててくれたのか。トイレに行くときも扉の向こうで私を待つ猫。元気に走り回って遊ぶ時に三角跳びの踏み台に私の肩を使う猫。私がスマホを見ながら横になっているのにまるで私など居ないかのように私の身体や顔の上を踏みつけて横切る猫。向こうの方からブワーッと走ってきて私の顔の前でピタッと止まり「チュ」とキスしてプイとどこかに行く猫。振り返ればそこにいる猫。

私は猫にどうして欲しいということなどなく、猫も私に何かをして欲しいでもない。ただ猫はいつも私を見ていて、見られている私はどこか見られていることに安心しているのである。可愛いからコノコノコノコノコノコノ‼️と猫の顔にチュウをするのだが嫌がるでもなくジッと目を閉じて私のチュウが終わるのを待っている猫。終わるとスタスタと定位置について薄目で私を見る猫。

そこに居るだけで私は安心し、そして護られているのは私では無いか、などと考えながら、明日も猫と食って寝て遊ぶのである。

 

猫かわいい。