革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

「イケメン」より「エエ男」の方がカッコええで

「あれ?この部分のこれ何で無いんや?」

 

無いとアカンもんが無い。なんでや?現場が騒然してたから、どないしたん?言うて見に行ったら、一個部品あれへん言うててな。そらアカンな。それ無かったら不良品やし、やり直す言うたら手間と時間が莫大に掛かるわ。誰の責任や言うて騒いどるけどそんなもんウチとA社しかおらんがな。どないすんねん!言われてもな。ウチにはウチの言い分あるさかいに。向こうも言いたい事あるやろ。そもそもここのチェックは誰がやんねんな。あんたらちゃうんかいな。まぁええわ。とりあえずウチの職人とな、いつものように「最悪のこと考えよか」言うてウチが全部やり直す事考えてたんや。出来るか?言うてな。やれん事ないけどかなり厳しいで言うてな。でもやらなしゃあないやんけ。な?ウチの責任かどうかは置いといてやらなアカンねん。出来るか?そうか。ほな最悪それで行こか。ほんで俺はその方向で準備しとったわけや。ほんならな、A社の社長が「ウチやったるわ」言うてな。ほんまかいな言うてビックリしたがな。誰の責任や言われたらな、俺も思う事あるし大将もあるやろ。でもそんな事何も言わんとな、ウチやったるわて言うてくれたんや。その方が一から職人呼んで段取りするよりその後の作業がスムーズになるから有難いねん。せやから俺はありがとう言うてな、金はウチに言うてくれたらええよ、責任も全部俺が取るわて言うたんやな。あんたとこは工事だけやってくれたらええて。一緒に前向いて話ししてくれる社長で助かったわ。ケツの穴小さい社長やったら、やれあれはわべが悪いやら、聞いてへんやら、こう言うたやら言うてな、逃げるばっかで話が前に進まんねん。どうやったらこのトラブルの被害を最小限にして進められるか、みたいな話を、理解して、言いたい事も黙って「ウチやるわ」て言うてくれたんや。俺も黙ってちゃんと責任取るさかいに。誰の責任や!言うて騒いどるやつおるな。そんなもんどっちでもええんや。お前話後ろに戻す気かいな。黙っとけや。男見せられたらこっちもやる事やるだけや。話戻すか?2週間は止まるぞ?ええんか?俺持ってる責任の玉お前に投げるど?ウチが悪い、責任は俺が取る、作業は大将んとこがやってくれる、お互い黙って事を収める、それでええやろ。大将今度飯でも行こか。ほんまはお前んとこが悪かったんやろて言い合いしながらビール飲もや。オッサンカッコええな。俺年下やし奢ってな。

 

おおきに、な。

 

 

ブログなんてただの心の中の言葉だろう

何故私には仕事が無いのか。そんな事を毎日考えている。先ほど来社した他メーカーの営業は「もうこれ以上仕事なんか要らない。300万ぐらいの仕事など見積もりすらしたくない。」と、嘆くフリをした。どこか勝ち誇った顔をしながら。私は何でも手伝いますから、どんな小さな仕事でも弊社に振ってほしい、丸投げでも構わないからと頭を下げた。その営業マンは「仕事の振り方を考えてみる」と言ったまま、その後の連絡は無かった。心の奥底では、そりゃそうだと理解はしている。私が出来るかどうか、など相手には関係ない。相手が「出来そうだ」と思っているか「無理そうだな」と思っているか、であるから。仕事はどんよりと曇った空から、これでもかと我々には向かって降り注いでいるのに、私はそれを掴むことが出来ない。不景気といえど工事の仕事が無くなるなんてことは無い。オーナーから建設会社へと発注があり、どんどん下請けに仕事が流れていくのを私は見ているだけであり、蚊帳の外からどれだけ大声で「やらせて欲しい」と叫んでも「どうせ駄目だろう」と、言わずとも、彼らは私にそんな口の動きを見せた。仕事を取る方法、やり方は分かっているしそして簡単だ。その方法は二つ。説明出来ないことを誤魔化して売ること、他社と同じものをより安く売ること、この二つである。やりたくない。正義感ではない。こんな仕事は面白くない。誰でも出来るじゃないか。私でなくても良いじゃないか。金が無い。やりたくない。みんなで渡れば怖くない、あの赤信号を、私は渡るのか。金が無い。暇は幾らでもある。Facebookを覗く。みんなキラキラしている。金が無い。さて、どうするかな。私が「買ってくれ」「仕事をくれ」と言わなくても、相手から「買いたい」「仕事をお願いしたい」と言ってもらえる方法。とにかく実績だな。喜んでもらおう。私が考えている方法で、私にしか出来ない仕事を。それが出来るまでは、私の身体を金に変えれば良い。土方でも掃除でも何でも。そして掃除をした。毎日どこかで私は掃除をした。みんなキラキラしてるなぁ。ふはは。私はドロドロだなぁ。まぁ、そりゃそうだな。ふはは。そしてある場所で私は感謝された。誰もやりたがらないこの仕事をやってくれてありがとうと。そしてそこで困っている事を沢山聞いた。私は、そんなのこうやれば改善出来るよと教えてあげた。喜んでくれた。また相談された。教えてあげた。

「わべさんこういうのってどうやれば良いの?」

「わべさんこういうの探してるんだけど知ってる?」

「わべさんこれもお願いしたいんだけど出来ますか?」

出来ないことは出来ないとその理由を添えて断った。そしてそれが出来る業者を紹介してあげた。業者に感謝された。業者は私の事を詳しく知りたがった。そして私を誰かに会わせたがった。起きている間はずっと考えた。夢の中でも私は考えていた。お客さんが困っているその何かを改善する方法。もしかすると私が考えている事を形に出来るかもしれないと他社に相談した。面白そうだと笑いながら握手をした。私には何もない。私は何もすごくない。私の周りの人達がすごいのだ。私は目の前で起こっているお客さんの「困った」を拾い上げ、少しの知識と少しの発想ですごい人達を集め、そのすごい人達に形にしてもらう。あとはお客さんも含め周りの全ての人達に利益が出るよう煮詰めるだけ。出来るだけ多くの利益を自社のみが死守する時代ではもうないのではないか。私は平気で「御社がやった方がお客さんの利益になるから」と仕事を投げる。私だけ儲かっても面白くない。今ある金が全て消え去っても何も問題ない。元々金なんか私には無い。私は今でも現場にいる。お客さんの「困った」がそこにあるから。会議室にお客さんの「困った」など無い。そして会議室にずっといる連中はお客さんの「困った」に興味が無い。これ幸い。お前らはずっと会議室に篭ってろ。仕事が好きなんでしょとよく言われる。私は仕事が好きなのかなぁ。我々のアイディアで誰かの負担が軽くなるのが面白い。結果としてお金が貰えればなお良い。私は仕事が好きなのかなぁ。仕事があるのかお金を貰えるのかなんて私が決める事じゃない。お金なんかあっても無くてもいい。やれる事をやらずに文句を言いながら、夕刊フジを読みながら老いぼれてくのはゴメンだ。私は今日も現場で、カップラーメンを啜りながら、職人とゲスい話をしながら笑っているのだ。それを仕事好きと言うのなら、私は仕事が好きなんだろう。

 

 

さぁ楽しく踊ろうじゃないか

一時のあの荒れ果てたひとつの時代が終わったとはいえここはあの地獄「はてな」である。殴られたら殴り返すといったソウルはアカウントを残す皆もまだ持っているのではないだろうか。プーさんのように丸くなった私も「し(ry 」とまで言われれば黙っているわけにもいくまい。言及記事については前のブログで少し褒められた事のある私が久しぶりにパソコンで文字を打とうと思う。私を殴りつけた記事はこちらである。

 


おい、人の心をプラスに評価できないのは仕方ないにしてもマイナスに評価しなくてもいいだろ - スナックelve 本店 

 

とはいえ別に嫌っているわけではないエルベ氏をタコ殴りにしようとは思わないし、一つ一つを取り上げて説明するのも面倒だ。私の思ったことのみ書いてみたい。

人の心に価値なんてつけられないものだとは思いますが、なんせ男は「人の心配」の価値を「軽く見る」「バカにする」のであります。
これはもう、ただの反抗期の名残だと思うのです。心配する母親に「うるせーくそばばー」しか言えない。それが格好いいと思ってる。外部に見せたがる。
女の思いを無碍にする俺カッコいーだろーアピールですよ。ガキが!!!
人の好意に甘えるのはせいぜい20歳までにしておけこの野郎、と思うわけです。

思ったのは一つだけで、

貴様の周りにはそんな男しかいないのだ。

とそれだけである。私はそんな男ではない、という事が言いたいのではない。男にも色んな男がいて、そんな男もそうじゃない男もいるのである。私がどの「男」に当てはまるのかなんてどうでも良いが、そんな男ばかりではないと私は思うのである。彼女が「男」を語るときいつもこの手の男が母親と共に登場するような気がする。何があったのかは私は知らないが「なんせ男は」という言葉が出るのは、フェミニストなのか男が嫌いなのか私が嫌いなのかは彼女の心の中にしかない。繰り返すが、この記事について私が思ったのはあなたの周りにはそんな男しかいないのではということ、人は鏡という言葉があるのだから人を小馬鹿にして煽るような文章は慎みたまえ。

と、エルベ氏に関して思うのはここまでで、気になったのはあの私のTwitterの発言で気分を害した人がどの程度いるのだろうか、ということである。リプライで「惚気だ」とあったが、あのリプライが私の中の正解であった。それはやはりただの惚気であったから。奥さんから何か病気や事故などで「気をつけなさい」と言われたら私は毎回「神に愛されているから問題ない」と返す。そして彼女はいつも「また言ってる」と笑うのだ。二人の間で安定した信頼関係があればこれは茶化しているのではなくいつもの冗談であり、彼女もその言葉を聞いて「この人は多分大丈夫なんんだろうな」と思ってくれている、安心してくれているのだと私は思っている。インディアンデスロックは冗談ではなく本当に痛いのだけれど。

今月で我々夫婦は出会って16年、結婚して10年となった。出会った当初の彼女は恐ろしい程のギャルで、シチューを食べながら「味噌汁飲む?」と聞くような女の子であった。飲みません。先週の休みの時、子供二人を膝にのせてお菓子を食べていると「あなたと結婚して良かったです」と奥さんから言われ、チビに「めっちゃラブラブやん!」とからかわれた。彼女の心の中は私には分からない。もしかすると私の事が嫌いで悲しい思いをしてるのかもしれない。どう思っているのかなんて私には知る由もないが、私は彼女にやってあげたい事、やらなければならない事を、ただただやり続けるだけである。私がどんな「男」であろうと、カッコいいお父さん、頼もしい夫であり続けたい、日々精進するとそれだけである。

 

私が嫌いではないのであればフグご馳走してやるからブコメにフグ食わせろと書いておけw

 

 

ポイントカードの支配と圧力

寒い。私は寒さにすこぶる弱い。さながらヒートテック的に全身に纏った鎧のような贅肉を駆使してでも寒いものは寒い。人混みを避けるように設置された喫煙所で重たいグレイの空を見上げながら紫煙をくゆらせ、贅肉をスマホで変換すると贅沢な肉と書くのだな、と画面から目を離しコンビニに足を向ける。暖かい飲み物の陳列コーナーで迷わずBOSSの微糖を手に取りレジへ向かう。FIREでもGeorgiaでもいけない。BOSSの微糖。彼らは珈琲に対する想いが本気すぎて缶コーヒーの本来の意味を見失っている。缶コーヒーの本来の意味、細かく説明したいところではあるが今はただこのブログ記事の文字数を稼ぐためにダラダラと書いているだけなので割愛させて頂きたい。というよりも缶コーヒーの意味など私は知らん。レジでは外国人が手際悪く商品を捌いている。「KOOLの8mgを」私は低くダンディズムMAXの美声で発注をするも「アン?クーン?ナニ?」と、ハッキリ喋れこのくされジャップがと外国人レジのオデコに書かれた文字を私は読みながら「78バン2コ」とどもりながら返した。粗い仕草でタバコと缶コーヒーを袋に詰めながら、いつものように「ラクテンポイントカードハ?アリマスカ?」と質問される。何パーセントの還元なのかは知らないが、どこに行っても「貴様は?ポイント要らねえのか?」と聞かれてるような錯覚をする私は少し苛立ちながら「ナイデス」と答えるのである。どこかのニュースサイトか何かで読んだことがあるが、ポイントカードなるものはどこの誰がいつこの店でこんな物を買ってるみたいなデータを収集するために僅かなポイントを還元していると記憶している。私はそんなものに協力する気は毛頭ない。これから世界はセブンイレブンGoogleAmazon楽天に支配され、我々は全てのデータを吸い取られた後に気付くのだ。何もかもがあのモンスターのような企業に掌握されていると。規則正しく配列、監視、管理された全ての人間達はスマートフォンGPSでGoogleMAPに落とし込まれ、予想通りの、データ通りの動きを見せる。そこで監視員はGoogleMAPを監視しながら異常な動きを見せるある人間を発見する。わべである。すぐにコイツのデータを調べろと部下に指示を出す。部下は焦りながら「ありません… わべのデータは… なにも…」「どういうことだ!!!すぐに個人情報から全て調査しろ!!!」「調べましたが全てデタラメのようです… 」「なんだと… コイツの動きは予測不能だということなのか…」そして私は暗黒企業からスパイとして声が掛かる。動きが全く読めない、素性が分からない私を買いたいとの事だった。提示額は2000万ドン、悪くない額である。私に課された使命はポイントカード提示を拒否する者をギッタンバッタンと如何にポイントカードがお得なのかを説き伏せて欲しい、その際に必要なスーツなどは洋服の青山フレッシャーズ応援から選んでも構わないとの事であった。私は二つ返事でOKを出

 

「…ミマセン」

 

「スミマセン!!!」

 

気がつくとレジの外国人が鬼のような形相で私を睨みつけていた。「オカクサンナランデルカラ!ハヤクドイテ!」どうやら私は妄想の海に堕ちていたようだ。煙草とぬるくなった缶コーヒーをひったくるように取り、そのコンビニから逃げるように立ち去った。そして再び喫煙所にて煙草に火を点け、空を仰いだ。私にはポイントカードなど必要ない。それは我々を支配しようとする得体の知れない企業に立ち向かうためでは無く、いつもコンビニで手にするデラべっぴん購入のデータを残さないためである。

 

※ この物語はフィクションです。登場する人物のみ実在します。

 

 

スクラップ

ブルーハーツが歌ってた。「苦労すれば報われる そんな言葉は空っぽだ」「手にしたものをよく見てみれば 望んだものと全然違う」若い頃の私はこの歌を聴きながら、その通りだ、若者には何も無い、何も手にすることなんて無い、クソみたいな顔して笑ってんじゃねえぞサラリーマン、とギターを肩にかけホームレスのようなボロボロの格好で不貞腐れていた。

嫌な事なんてやりたくない。今日飯が食えれば良い。明日楽しい顔をして死ねるなら、今日を面白く過ごす為ならと、日雇労働をしながら毎日数千円を握りしめ、毎月の家賃支払日に絶望しながら大家につく嘘すら諦めたものであった。縋りつもの、真剣に向き合うものは音楽しかないが別にプロを目指しているわけでもない。ただただ、惜しまれながら死んでゆく英雄に憧れていただけの中途半端な若者であった。

そんな若者は30歳で音楽すら泣きながら辞めた。辞めたくないという思いと辞めなくてはいけないという変な気持ちだったのを覚えている。いよいよ何も無くなった若者は、手ぶらで「仕事」に身を置くことになる。ビジネスマナー?パソコン?営業?は?なんのはなししてんすか?ハハハ…今俺バカにされてますよね…ハハハ…すんません何も知らなくて…ハハ…ハ…自己嫌悪に押し潰されながらとりあえず今出来ることを完璧にやるしかない。地面を見つめながらふと見上げるとそこには私が嫌いなサラリーマンがニヤニヤしながら私を見下ろしていた。

若者は思ったのだ。「こんなクソ野郎がそこに立てるのは絶対に何か理由がある」と。ニヤニヤするんじゃねぇぶっ殺すぞ貴様という感情を押し殺し、若者は笑った。若者はいつもはブルーハーツを聴きながら、あなた達はそう言うけれど、あなた達は成功してるじゃないかと、才能が無い我々は何をやってもダメなのかと思っていたし諦めていた。

 

「何をやっても」

 

若者は思った。自分は何かをしているのか。やっている「つもり」で何もしていないのではないか。ちゃんとやろうと思った。自分が何も出来ていないのだから金の事を考えるのはやめようと思った。金が自分の行動にブレーキをかけているのだと思った。本を沢山読んだ。人に沢山会った。人が嫌がる仕事を率先してこなした。沢山騙された。アイツはバカだと笑われた。若者も自分はバカだと笑った。

自分には才能がないと逃げるのは簡単で、そんなことはいつでも出来る。何かをやり続けるのはかなりの痛みを伴うけども、誰に何を言われてもやり続けるのは天邪鬼なその若者にとって楽しい。信念と言えばカッコイイが本当はただの天邪鬼で、自分が正しかったのだと、あの時笑っていたお前ら今どんな気持ち(AA略)と、若者が爺さんになった時、若者があの時引き攣りながら見せた笑顔とは違う笑い方をしたいだけなのである。

未来の夢を書いた作文で、若者は小学生の時「明石家さんまさんみたいになりたい」と書いた。お笑い芸人になりたかったわけではない。人を笑わせながら自身もずっと笑っているあの姿が好きだったのだ。今までの私を助けてくれていたのは間違いなく「笑うこと」であり「しがみつくほどの価値を感じなかった金への思いを捨てた」事だ。

若者はまだ、スクラップにはなりたくないという思いを胸に秘めながら、クソみたいな奴らの前で笑っているのである。

 


YouTube

 

書き上げるまでは…とウンコ我慢してたので行ってきます。

 

 

屈託のない自由が俺を殺す

初老に片足を突っ込んだ私がふと周りを見渡すと、インターネッツがあたり前田のクラッカーになって少し時間が経ったようだ。私もこのビッグウェーブに何とか追いつこうと、SNSやらブログやらに手を出し今は少しの「慣れ」というぬるま湯に浸かっているのだと思われる。現実の仕事以外に金を手にする方法がインターネッツに溢れ、注目されるのか否かは別にして世界中にイキり勃った自分のチンコをアッピールするのにも不自由が無いように見える。現実社会であまり見る機会のない「変な人たち」が「変なこと」をし、そしてそれらはまるで細胞分裂するかのように、その変な人たちは増えてゆく。我々はその「変なもの」に慣れ、インターネッツを開いた瞬間、また新しい「変なもの」は強制的に我々の中に飛び込んでくる。技術も何も必要としないこの世界では、手ぶらで、いとも簡単に「普通」を逆方向に飛び越えた人たちが、我々の目の前にしたり顔で仁王立ちする。我々が一つ一つ積み上げたものを、嘲笑いながら足蹴にし「先にここに出た方が勝ちだ」と言わんばかりにアジテーションを行う。自由すぎやしないだろうか。我々が今まで大切にしてきたものを、自らのくだらないエンターテインメントの為に食い荒らし、罵倒し、そして無邪気にその「変なもの」を恥ずかしげもなく我々の目の前に置いてゆく。ここまでは頑張って勉強しよう、ここまで練習して次に行こう、あそこに立つのはそれら全てをちゃんと出来てからだと、私が子供の頃に見ていた「プロの人たち」はそうやって世に出ていたんだ。プロというのは我々の手に届く距離に無かった。技術が高いからプロなのか、そうではない。お金を貰ってるからプロなのか、そうではない。人気があるからプロなのか、そうではない。どんな状況であれいつでもオリジナリティがあり高い品質のものを提供するのがプロなのだと私は思うのである。目の当たりにすると息を呑むようなもの。承認欲求や自己満足を私は悪いと思わないが、一生懸命やっている人たちをバカにするような表現は避けた方が良い。簡単に出来ると笑いながら品質の低いものを見せられると、私が今までやってきた事を否定されたような気分になるのである。こんな偉そうな事をつらつらと書いている私も、文章の「ぶ」の字も知らないイキり勃ったチンコだ。ここでそのイキり勃ったチンコの私は射精なんて到底不可能。ちゃんと文章を勉強している人たちだけが許される射精。私は今日も悶々とした気持ちのまま、イキり勃ったモノが静かに収まるのを待ち、射精を夢見て私はまた書くのである。

 

ギューン!!!

 

 

好きな人の携帯電話を覗くこと

こんにちは。わべ太郎です。今回は好きな人の携帯電話を覗く行為についてお話したいと思います。人は何故好きな人の携帯電話を覗くのか。これは永遠のテーマとなるわけですが、IT革命後のこの世の中、セキュリティやらプライバシーやらと携帯電話にこれでもかと侵入を防ぐための所謂ロックが備えられておるわけでございますが、こんなものは好きな人の「え?やましい事が無いのなら何故にこんな厳重なロック掛けてんの?は?」というロック解除の呪文が唱えられればすぐさま解けるようになっている次第であります。IT革命・認証・指紋などは全く意味をなしません。「正の威嚇」に我々は膝を折るしかないのです。しかしながらどうでしょう。逆に?なんで?なんで見せないといけないの?え?悪いことなんてしてませんけど?どこまでがセーフで?どこまでがアウトなんすか?は?男の我々は?何にもしてなくても?あなたの?その疑いの眼差しと?その強い語尾に?震えまくって?今何見てんの?どこ見てんの?え?ちょっと待って?説明文まだ考えてないんですけど?どこ見てんの?どれ?あー!それね!!!それはさー!!!○○がさー!知ってるでしょ???あいつさー!!!え???口が尖ってる???こういう話してる時私の口が???尖ってる???そんなことないですけど???その店は別にやましい事があるわけじゃなくてあそこの取締役とたまたま飯食いに行 え???聞いてる?次の話行ってんの?どれ?どの部分?ちょっと思い出すから待ってえ??と、まぁ、男なんてものは何も無くても気が動転しまくって声と手足が震えそして尻の穴がパカパカするもんな訳ですよ女性陣。分かりますか?あまり虐めないでもらえませんかね。本当。正味の話ですね、相手の携帯電話なんて見る意味、を私なりに考えるとですね、相手と別れたいなら携帯電話を見てその「粗を探す」という行為はやっても良いと思うわけですよ。別れたい訳ですから。でも「好き♥だから証明して♥見せて♥」なんてものは我々何もやってない症候群の気の小さな男達にはですね、ハートがもたないわけですよ。何もやってないのにドキドキするんですから。やましい事があるからドキドキしてると思ってんでしょ?!?!違うから!!!あなた達のその真摯な眼差しに加え冷静な口調に、我々何もやってない症候群の我々は噛まずに納得する説明文をこちらはすぐに用意しないといけないわけですから!ききき緊張するんですから。どこからがアウトなのか、その線引きが曖昧そして主観に溢れたこのやり取りは不毛でしかないと私は思うわけですよ。ね?相手の携帯電話には不幸しか入ってないですよ。本当に。その不幸とは、私が思うセーフと貴方が思うセーフの線引きの位置が違う、とそれだけです。些細な事で喧嘩になるなら見ない方が良い。隠しているのではない、相手に踏み入りすぎるな、というのが私の思っていることであります。

 

長々と書きましたが、私が言いたい事は一つ、

 

「俺の携帯電話は見るな」

 

とそれだけです。守ってください。

では。