亡霊の戯言

どんな理由があれど悪は悪。価値観?知るかそんなもん。

愛のように淫靡な傷をつけてくれ

「可愛いは作れる」ではないが、自分の環境は自分で作る。嫌いな人間から与えられるストレスに耐えながらその人間の成長を見守るなど、私はそんなに人間出来てはいないしそんな事に割く時間など私にはない。こういう事を言うとたまに「周りにイエスマンしか置かない愚か者」などと揶揄する輩がいるがそういうわけではない。注意や批判などその手の自分に背く人間を排除するといった話ではなく、私が嫌いな人間のみを徹底的に排除する。では私が嫌う人間とはどういう人間なのか。それは「デリカシーの無い人間」である。誰にでもかける部分はあって少々は目を瞑るが、超絶デリカシーの無い人間はある一定数存在する。ここに女性は含まれない。「デリカシーの無い女性」は「面白い」に自動変換される。理由は分からない。私が嫌悪するのはデリカシーの無い男である。「ハッキリものを言う俺カッケー」と勘違いしているのを目の当たりにすると吐き気がするのである。隠すところはちゃんと隠す、隠れた美しさを見出すのが大人ではないか。それはやはり相手をよく観察して気遣いする心が無いと身に付くものでは無いと私は思うのだ。「アイツ本当は良い奴なんだよ」と庇う優しい人達が世の中には沢山存在するが、そういう人間を観察しながら今まで生きてきた43年間、本人含め周囲の人間が好転しているのを見たことが無い。そんな人間に構っている時間は私には無いのである。性格や思考や癖は伝染する。その周囲の人間ですら縁遠くなるケースが私の場合多いのだ。最後に、何故そこまでと思われる事に回答しておこう。それは私自身デリカシーに欠ける部分が沢山あるから、という事だ。デリカシーの無い人間を見ていると、鏡に映した自分を見ているようで苛立ちがMAXとなり、TORA TORA TORAを唄いながらパラパラを踊りだしそうになるのである。デブハゲがいきなり腹を出しながらパラパラを踊り出すなど意地でも食い止めねばならん。だから私は気遣いの出来る人達の中に自分を置いて観察し、そしてそこでデリカシーを学ぶのである。私が欲しいのはデリカシーの欠如を肯定する「優しさ」なんかじゃない。

 


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