亡霊の戯言

どんな理由があれど悪は悪。価値観?知るかそんなもん。

私の環境は私が作る

子供に関するある記事を読んだ。不気味なブログを書く私が言及すると相手に迷惑が掛かるので言及はしない。「子供嫌い」に関して、である。そんなものは人それぞれなので私は別に構わないと思う。好き嫌いは誰にでもあるのだ。それで良いじゃないか。そのまま行け。私の知ったこっちゃない。子供が嫌いだと明言している人に私は好んで近づかないし相手も近寄って来ないだろう。コミュニティとはそういうものだ。

私にも子供が二人いる。仕事ばかりしている私が子育てをちゃんとしているのかと言われればしていないが、子供を連れてあっちこっちに行く機会はやはり沢山ある。赤ちゃんは泣くし子供は騒ぐ。当たり前だ。しかしながらこの当たり前にプンスカする人達もいる。放置する親、叱らない親、子供に甘い親にご立腹なんだそうだ。

確かに明らかに放置していたりルールを逸脱していれば我々子持ちの親だって眉をひそめる。我々親たちが子供を連れて行く場所は、子供の年齢で大体集中する。1~2才ならここ、3~4才ならここ、5才超えてくればこれ行けるかな~などなど。なので似たような年齢の子供を連れた家族が集まるわけだが、そんなに酷い親を私はあまり見たことが無い。贔屓目に見ているのかもしれないが、親は皆子供の動向をジッと観察して「YES」「NO」を判断し子供を遊ばせるのである。問題はここに各人の「許せる」「許せない」の曖昧なボーダーラインがある。万人のボーダーラインを超えないように子育てをするのははっきり言って不可能である。

我々親は赤ちゃんが何故・いつ泣くのか、子供が何故・いつ騒ぐのかは分からない。子供の相手は「お前そこでぐずんの?マジで?こないだはちゃんと出来たじゃん」の連続だ。お利口にしてる時の子供は子供が無理をしている。電車で子供が一言も口をきかずに無表情で座っていると逆に心配になる。混んでいる電車に何十分も黙って座ってろなんて言えばグズるに決まっている。だって当たり前だろう。子供なんだもの。ピシャッと怒って「はい分かりましたお父様」なんて言うわけがない。

我々親は放ったらかしにしているわけではない。子供の機嫌を損ねると余計にややこしい事態を引き起こす可能性をなるべくミニマムにすべく、周囲を観察しながら子供を泳がせる事に集中している。お菓子を渡す、スマホを見せる、抱っこする等々。そういう事が分かっているから、見知らぬ親が困っていたら席を譲ったりスペースを開けたりベビーカー動かすのを手伝ったりする。宗教じみているかもしれないが、やった事や言い放つ言葉は全て自分に返ってくると思っている。で、あれば他人に優しくする方が良いじゃないか。とは言いつつも良い人ぶるつもりは無い。殴られたら全力で殴り返す。

誰だって嫌いなものはある。ヤニカスの私が煙草を吸っていれば不特定多数の人達に「タヒね」と思われているんだろう。それはそれで良い。私が生きているだけで誰かに掛けている迷惑を別の形で何かに貢献したいと思っている。そして私「は」子供を連れた家族に優しくありたいし寛容でありたい。大変なんだもの。1秒後に何するか分かんない子供を連れて歩くのは。それでも子供を育てている親に敬意を示しつつ、誰に対しても出来るだけ優しい気持ちで接したいと思っている。ただ殴られたら全力で殴り返す。私は釈迦でも何でもない。

 

ただの優しいチンパンジーだもの。