革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

私が息子にHIKAKINを見せたくない理由

今や子供が将来なりたい職業にYouTuberなるものがランクイン!されているらしい。ほー、なんて思いながら聞いていたのだが、我が家にもその問題は静かにやってきた。息子は私に似ずイケメン細マッチョ幼稚園で女子に告白されまくりの超リア充という最強スペックを持っているのだが、やはり子供である。仮面ライダーウルトラマンをこよなく愛し、女の子に「結婚しようね♡」などと言われようともそんな事には気にもとめず仮面ライダーになるべく日々特訓として隙あらば親父のケツを蹴るという修行を繰り返している。そんなリア充の彼だが最近気になるワードを発するようになった。「HIKAKIN」である。なぜそのようなワードを知っているのだと妻に聞いたところ、どうやら友人宅でその映像を見たらしい。見たものは仕方ないが、家で、そして私の前で「HIKAKIN」を見ることは出来ない。何故なら「見せたくないから」に他ならない。では何故見せたくないのか。それは「面白くないから」という事になる。誤解がないようにもう一度言おうか。「私が面白いと思わないから」である。息子が最近HIKAKINの名前を出しているのは少し前から聞いていたので、見てもないのにイメージだけで閲覧規制するのは如何なものかと思い私もHIKAKINの動画を数本見てみた。申し訳ないが私の思う「面白い」とはかけ離れたものであった。確かに子供は好きだろう。分かりやすい内容と音と変顔と字幕スーパー。しかしながら、あれを「面白いこと」と我が子に刷り込まれるのは関西人の私にとってこんなに悲しいことは無い。あの程度の笑いで子供を笑わせろというのであれば私でも出来る。私の思うHIKAKINの凄さは「面白さ」ではなく、企画力や編集の上手さ、数分で動画を完結させる台本なのだと思う。その裏方作業の上手さと同時に演者をこなし、コストをあまりかけずに動画を配信し広告料を稼ぐと。そんな事を5歳児に言っても仕方がない。顔芸やキレ芸で人を笑わせるのも別に良いのかもしれない。しかし息子よ。少し考えて欲しい。我々は関西人じゃないか。相手の言葉の切り返しであったり、会話の中の「間」であったり、皮肉や自虐、そしてベタな笑いと関西には色んな笑いがそこらじゅうの日常にある。そしてそれらが大げさなほどに詰まっているのが吉本新喜劇なんだ。今度連れてってやるよ。私も小さい頃から吉本新喜劇を見て育ち、その中に面白さや会話のリズムを知らずのうちに勉強したんだ。関西では面白い男がモテるんだ。面白い男ってのは騒いだり変顔する男の事じゃねぇぞ。面白いを面白いとちゃんと感じて見つけることが出来ること、そして頓知が効いてて賢い男の事だ。

 

父さんがモテたかどうかは関係ない。