亡霊の戯言

どんな理由があれど悪は悪。価値観?知るかそんなもん。

目の前で起こった事しか私は信じない

よく「あの人はこうらしいよ」とか「聞いたんだけどあの人結構酷いらしいよ」などという噂話を耳にする。私はいつも「ほー」と聞き流す。私は嫌な人間「らしい」人から実際酷い事を目の前でされるまで信じない。もっと言うと本当に酷い人なのか近付いてみて酷い事をされたい衝動に駆られるのである。やられたらキッチリやり返すけど。まぁその「酷い事」や「嫌な事」はその他大勢の主観である事が多いので、私は別に気にしないというような事が多々ある。そんな誰かの噂話で人の縁を切るのは勿体ない。「誰々があなたの事をこう言ってた」「あなたがこう言ってたとあの人に聞いた」という類のものも同じ。その人が私に直接言ってない、私が直接その人に言ってないのであれば私は「ほー」「へー」と聞き流す。これは所謂「信用」である。私が何も言ってない、私は何もやっていなくても、私に信用が無ければ「やってなくてもやったことになる」し「言ったことになる」のである。そういう場合は遠慮なく私は縁を切るし、相手に縁を切られても問題ない、というかしょうがない。相手に私を信用させることが出来なかった、という私の力不足である。その人が私にとって大切な人でも、わざわざ弁明などしない。どうぞそちらへ、という具合である。なので私の人間関係はかなりサッパリしている。私が信用していれば「誰が何と言おうと」私はその人の傍にいるし、私を信用していないのであれば私は離れるし離れて貰っても構わない。そこには「個人的な」信用しかない。これはネットでも現実社会でも同じである。あーじゃこーじゃややこしい事を考える必要はない。シンプルに考えれば良いのだ。私が信用しているか否か。私を信用しているのか否か。それだけでめんどくさい人間関係は驚くほどシンプルになるのである。

 

(´;ω;`)ヒー!!! ハー!!!