革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

わたしがオジサンになっても

さて、今回は世の中でどこに行っても無視され虐げられ忌み嫌われるオジサン・オッサンについて書いてみたい。我々男は必ずこの「オジサン」「オッサン」にさならが出世魚のように「少年」→「青年」→「オジサン」→「オジイサン」と変化して行くわけであるが、出世魚であればブリに相当する脂の乗った最高の時期であると自負しているのにも関わらず世間はそう見ていないようである。オジサン・オッサンの世間の評価は「独特の臭みとクセが強い」と敬遠される時期であるようだ。たまに「そのクセが好き♡」なる変わった趣向の人を見かけるが、私の私見では全体の0.1%程度だろうか。多分変態である。では我々はいつから、「青年」→「オジサン」になるのだろうか。30代〜で自分はもうオッサンだと肩を落としている青年をよく見かけるが、私から見ればオッサンでも何でもなくまだまだ若い青年だ。しかしながら、デップリと太りハゲ散らかした身なりの汚い男とスラっとした爽やかなスポーツ男が並んでいれば、同年代にもかかわらず間違いなくデップリ男に「オッサン」の称号が与えられるだろう。そう、私が思うに忌み嫌われるオジサン・オッサンに年齢はあまり関係ないのでは無いか、と思うのである。私の感覚で言うと、オジサンと呼ばれる人はあまり嫌われていない中年男性、オッサンと呼ばれる人は悲しくもクセが強い(feat.千鳥)男となるのではないだろうか。ではオッサンと呼ばれないように我々オッサンは努力しなければならない。デリカシーのない発言はしない、無駄に説教を垂れない、俺が俺がと前に出ない、新幹線のシートをバカみたいに倒さない、電車で足を広げて座らない、身なりは出来るだけ小綺麗にする、意味もなく立ったり座ったりガチャガチャしない、ポケットに手を突っ込んでチンコを掻かない、小便をする前に手を洗って小便してから手を洗わないで出て行かない、満員電車でファッションヘルスのサイトをスマホで見ない、ビニール傘を横に持って手を振って歩かない、お前タバコのフィルター丸呑みしてんじゃねぇの?みたいなタバコの吸い方をしない、ポケモンGOでお前は高橋名人かと思わせるような1秒間16連射はしない、お前はコラおじさんかレベルの大きなクシャミをするなビックリするだろ等などである。こういう男は我々オッサンでも鬱陶しい。色んな事を諦めずに出来る範囲で気を回せば、人は我々のことを「オジサン」もしくは「ブリ」と呼んでくれるだろう。キチンと散髪に行く、爪を切る、スーツや靴を綺麗にする、とそれだけでもその男が初対面だとしても「あぁ、この人はそういう所にちゃんと気が回る人なんだな」と私は安心する。忌み嫌われるその「オッサン」とは、相手がそう感じてしまうことであり、我々が嫌われるような事をしているのだと自覚するのが吉である、とそんな風に思うのである。別に好かれたいと媚びる必要は無い。自分をちゃんと持ってやれる事をやるだけだ。ではその手の事は大体やってんのにそれでも俺めっちゃ嫌われてるやん的な私のようなオッサンはどうなるのか。これは性格の問題なのでもう直しようがない。性格が悪いのはもうどうしようもないが、私もいつかあのブリになりたい、そう思いながら私は毎週日曜日にせっせと靴を磨いているのである。

 

アーメン。

 

 

心から何かを楽しむ感情の欠落

私はいつも息子に対して心の中で申し訳ないという思いを抱いている。直近でその思いを抱いたのは2ヶ月ほど前に行ったディズニーランドで、である。いつも仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事休み仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事ライブ仕事仕事仕事仕事仕事休み仕事仕事仕事仕事仕事仕事みたいな生活をしているので、年に数回、遠方に連れて行く約束を家族にしている。その中の約束で企画したディズニーランドでの出来事、とは言っても何かがそこで起きたわけでは無い。ショーを観ながらの昼食で、やたら身体のデカい外国人とウッディーが踊って歌っているのを観ているその途中、観客みんなも立ち上がって一緒に踊ろう!と見知らぬ家族と手を繋ぎ、そして一緒に踊るそのイベントを我々家族も参加した。対面を見ると私ぐらいの年齢のお父さんがそれはもう楽しそうな顔で、それはもう大きな動きで、それはもう大きな笑い声で子供たちと笑いながら踊っていた。さて、私はどうだろうか。周りに合わせた振り付けで踊りはするものの、あれほど楽しそうには踊れない。照れもあるのだろうが、私にはあのお父さんほど楽しそうに踊れないし、心底このディズニーランドを楽しんでいるのかと言われると疑問符が付くのである。その時私は子供たちに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだ。あのお父さんのように、あのお父さん自身のように楽しんでいれば、ウチの子供たちももっとディズニーランドを楽しめるだろうにと。私は子供たちに目を向け、子供たち「が」楽しそうにしてる顔を見ると私も楽しい気分になるが、私には「その場を楽しむ感情」が欠落している。遊園地の他ではカラオケなども苦手となる。歌を歌えと言われれば歌う事は出来るが、楽しめていない自分の居場所をいつも探しているのである。その空気を出さないように取り繕って騒ぐわけだが、その電池は何時間も続かない。変な空気を出してしまうと楽しんでいる人達に申し訳ないと、私はいつもカラオケを辞退するというわけだ。ふと思い返すと、若い頃はよくカラオケに行ってたよなと考えてみると、その頃私は酒を飲んでいた。酒は私のその変な感情の線をボンヤリと滲ませる効力を持っているのだなと再確認した。誰かと食事をしたり何人かで飲んだりするのは私も楽しい。その感情がある条件下では全くといっていいほど顔を出さないのだ。色んな場面で色んな空気の中、その場を最大限楽しめる人が世の中には沢山いるが、私はその人達が本当に羨ましい。所謂パリピなんて人達はその最たる人達なんだろう。私はそのパリピ達を街で見かけるとジッと観察してしまう。なぜそんなに楽しそうなんだ。どうやったらそんなに楽しめるのだ。私はその誰かの楽しそうな姿をお手本に、「パパ今日楽しそう」と子供たちに感じてもらうために、今日も誰かの楽しそうな顔をジッと眺めているのである。

 

 

物怖じしないだけの営業マンなんて大した事ない

営業という職業は偏見にまみれていると私はいつも思う。リア充的な何かであったりよく喋るであったり目立ちたがり屋やら率先して何かをやる人物。そんな人物を目の前にするとよく「営業向きだよね」なんて言葉を聞くが果たしてそうだろうか。何を隠そう私も営業マンである。と同時に私は「喋るのがあまり好きではない営業マン」なのだ。営業マンなのに喋るのが好きではない。何なんだお前は。バカなの?何の話してんの?とお思いだろうがこれは紛れもない事実。基本的に人前で喋るのは好きではないし明るいか暗いかで言うと根暗・むっつりスケベゾーンに属する気持ち悪いオッサンである。そんなむっつりしたオッサンでも無名の零細企業にて年間数千万の売上を上げているのでここで少し話してみたい。営業職はキラキラしているように見えるが実はそうではない。毎日数字に追われ、その数字を達成する事だけを評価とされる営業職。地獄である。よくドラマなどでは成績表を壁に貼られて「お〜いわべちゃんよぉ〜なんなのぉ〜この今月のすぅじぃ〜おめぇやる気あんのお〜?今までなぁにやってたのぉ〜?寝ぇてたのぉ〜?どぉやったらこんなすぅじなのに普通の顔して毎日出社出来るのぉ〜?今日中に何とかなるわけぇ〜?幾ら出来んのぉ〜?え〜?聞こえなぁい?なんてぇ〜?」などと詰められる日々である。さすがにこんな会社は今どき無いだろうがまぁ似たようなもんだ。そこで営業マンはなるべく売れるような文句を考え、出来るだけ多くのお客さんと話をして、喋ること、物怖じせずとりあえずお客さんにぶつかって話をすること、グレーゾーンの嘘を吐きながら営業活動に勤しむのである。そうやりたい奴らはまぁ頑張れや。

 

私は違うことを考えた。

 

難しい話ではない。考え方を変えたのだ。「売りに行く」のではなく「欲しいものをお客さんに聞きに行く」のである。「喋りに行く」のではない。「聞きに行く」のである。当たり前だが「喋らない」と言っても一般的な会話は勿論する。ここで言っているのは「売りたい」とか「買って欲しい」話はしないという事である。重要なのは自分に何が出来るのかを、しっかり、なるべく簡単に説明出来て理解を得られれば喋ることなど他には無い。私はそこから相手の話を「聞き出す」事に集中する。そしてその相手から聞き出した情報にポロポロと私の知識や情報を付け足すのである。そのコメントが相手の興味を引けばもうこっちのペースである。それを何度も繰り返せば良い。話を聞くのだ。言い換えよう。情報を引き出すのである。相手の話をちゃんと理解しちゃんと相槌を打ち、ちゃんと笑ってちゃんと返事をする。その中に相手の欲しい物や困っている事など、ヒントが沢山隠れているのだ。その情報が例え自分の売上にならなくてもいい。知り合いを紹介してあげれば相手は必ず喜んでくれる。私は思うのだ。御用聞きという言葉はあまり良い意味では使われないが、自分の話しかしない、自社の製品のPRしかしない、売りつけようとよく喋る営業マンでマトモな人間を見た事がない。私が話したい事を話しに行くのでない。相手が何を求めているのかを探りに行くのである。

そこで売れなくても良い。私が欲しいのは「おいわべこういうの知ってる?」であり「おいわべこんなの出来る?」であり「おいわべこんな人いるけど会ってみる?」であり「おいわべこないだこの話してなかった?」であり「おいわべ」なのだ。私は今こちらからアプローチをする営業活動を全くしていない。全て相手から「おいわべこんな話あるけど出来る?」である。こんな人達が私の周りにわんさかいる。元を辿れば全て私が「話を聞きに行った人達」であり「私が誰かを引き合わせた人達」であり「私を誰かが引き合わせてくれた人達」である。そこに退屈な製品説明の棒読みPRは無い。製品は後だ。相手が私に期待してるのは「コイツに言えば何か知ってる」という事である。この手法は私が家具屋にいた時から変わってない。お婆ちゃんが「わべちゃんちょっと聞いて。こんなタンス欲しいんやけど知ってる?」と聞いてもらえる営業マンになること。そんな人達を出来るだけ多く増やすこと。私は自分の言いたいことだけを喋らない。売りたい製品の話だけをしない。私が話を聞くのである。相手から私に話したくなるような人間になるのが目的。

 

我々営業マンは売るマシーンではなく、むっつりスケベな心を持つ一人の人間なのだ。

 

 

頭が悪い俺達に出来ること

今更文句を言っても仕方あるまい。今まで、あの時やってこなかった俺達が悪いのだ。後悔などしても時間の無駄だ。他人を羨み嫉妬し絶望してる暇があるなら足を前に出すのだ。何の取り柄も無い俺達が出来るのは何か。地べたにいた私がまずやってきたのは誰かの使いっぱしり、所謂「パシリ」を完璧にこなす事である。プライドだと?そんなものは我々のような頭の悪い人間に必要ない。それは何のプライドなんだ。自尊心か?それがあったら何か得をするのか?何も出来ない癖に一丁前の事を言うのが自身を守るのか?目の前の人間一人にすら認められないのに自分自身を肯定することなど出来んだろう。私は心を二つに分割し演技し、そして笑った。アイツらはいつでも自分の駒を欲しがってるんだ。使える駒を。俺は歯車なんかじゃない、駒なんかじゃないと叫んでいる意識の高い連中をよく見かけるが、私の考え方は逆だ。アイツらにとっての使える歯車、使える駒になるにはどうすれば良いのか。そうだ。まずはパシリを完璧にこなす事である。完璧に、だ。まず私は横並びの同期から頭一つ出す事だけを考える。仕事で、ではない。そんな能力は入ったばかりの連中は皆同じだ。当たり前の仕事は当たり前にやる努力をし、その他で「あーコイツちょっと使えるかもな」と思わせる事が重要だ。余計な事を言うな。余計な事を考えるな。業界を変えるだとかそんなものは頭の良い連中にさせてれば良いんだ。我々が集中すべきは「自分が働く環境を如何に自分自身で良くするか」である。であればアイツらを上手く使った方が利口じゃないか。違うか?仕事で一発当てるだと?そんな事が出来るなら今俺たちは何で今こんな所に立ってるんだ?よく前を見ろ。出来る奴はもっと前にいる。前にいる連中をもっと上手く使えよ。言っただろう。アイツらはいつも「使える駒」を探してるんだ。俺たちはその「使える駒」に化けるのが先なんだ。嫌な奴・愛想の悪い奴・返事しない奴・言った事をやらない奴、そんな奴と一緒に仕事したいと思わんだろう。黒い心を持っていても構わん。それを表に出さずニコニコと演技するんだ。そしてパシリを完璧にこなしていれば、いつの間にやらアイツらの傍にいる時間が増える。そうすればアイツらが何を考えていて何をやっていてどうやって問題を解決してるのかを目の前で見ることが出来る。見てみろよアイツらのクソみてえな汚い顔を。汚ねえ顔だなぁと思いながらニコニコと笑うんだ。そしていつか、アイツらは我々に心を許す日が、アイツらの金玉を握る日が絶対に来る。下手に出る事、ニコニコは忘れるんじゃねえぞ。ニコニコと笑いながら金玉を握るんだよ。さすれば相手はこちらが何もせずとも理不尽な態度は取らないだろうよ。そこで、だ。一度周囲を見回して見ると良い。当初の人間・見える風景が変わっているはずだ。何も難しいことじゃない。相手は人間だ。仕事も人間がやってるんだ。その人間とどう向き合って自分がどう動くか、相手にどうやってこちらを向かせるか、は我々次第なのだ。コイツを傍に置いておけば楽だなと思わせる事が出来ればそれで良い。自分を大きく見せる必要などない。デカい風呂敷広げて話す必要など無いのだ。俺達は何も出来ないじゃないか。自分で何かをしようとするから疲れるんだ。誰かの大きな風呂敷に、向こうから「おい、わべ、ちょっとこっち来い」と言われるにはどうすれば良いのか。文句ばっか吐きだしながら立ち止まってるとすぐに40歳に、そして50歳になるんだ。私も今なお、くだらないな...と思う事を沢山やっている。それは仕事以外で、である。それらは全て「おい、わべ」と呼んでもらう為の仕込みだ。相手は何が好きなのか、どんな考え方が好みなのか、私にどういう動きを求めているのか。それらをつぶさに観察するんだ。会議の内容をロクに聞かずに。

 

「おい!わべ!またお前聞いてなかっただろ!」

てへぺろ(・ω<)

 

会議に興味など無い。誰がどんな顔をしてどんな仕草で会議に出席しているのかの方に神経を集中させるのだ。我々のような頭の悪い連中に出来る事は何か。平成最後に書いてみたが参考になれば幸いである。

 

 

アンタ何のために音楽やってんの?

こんばんは。44歳ハゲみとデブみが捗っているオッサンです。バンドをやっています。音楽は私の何であるか、という話をしてみましょうか。その前に「何だこれ」という内容のツイートやらブログがあるので言及してみましょう。私の発言に対してかんどーさん率いる外野がやいのやいのとよく分からない事をヒステリックに叫んでおりましたのでアンサーソングを歌います。では聴いてください。

punkrockers.hatenadiary.com

記事中にあるツイートでまず私はこの人失礼だなぁと思ったので記事を書きましたが、当該ツイートが削除された(まぁ消すの分かってたからスクショにしたんだけど)ので私も記事を下書きに戻しました。本人が消すというのは思うことがあって消したのか逃げたのかは知りませんが、まぁどちらにしても一人でやいのやいの言ってても仕方ないので取り下げた次第であります。お時間のある時にどうぞ。まぁこの時点で私はこの人何のために音楽やってんだろ、と思ったんですね。歌詞なんて書ける人が書きゃ良いとか心を込めて歌う必要なんてないとか。そんなライブ見たい人いるんですかね。まぁかんどーさんの周りにはいるんだからいるんでしょうけど私は見たいとは思いませんね。

そしてまた記事が更新されたわけなんですが、この記事もしゅごい。

www.kandosaori.com

金で揉めた・契約書云々は私はどうでも良いし好きにすりゃ良いです。気になったのはココ。

「うまいねって言われたから〇月×日に〇〇っていうライブハウス出ることになった~★」とか騙されて、ギャラも出ない場所に出演することはまずありません。どういう仕組みで、どうやって集客して、わたしは何をするのが仕事なのかを明確にしてもらうまで「やります」とは言いません。

どういう仕組みで(あなたが考えるんです)、どうやって集客して(あなたが集客するんです)、私は何をするのが仕事なのかを明確に(アンタが明確にするんだよw)とありますが、こんな至れり尽くせりのライブハウスなんてあるんですかね。私も出たいです。私がライブハウス側のスタッフなら「んじゃ出なくて良いです」と言いますけどどんなんなんでしょう。まぁこうやって活動されてるのならあるんでしょう。こういうライブハウスが。

今アーティスト活動をしている方は、自分のもらうべきギャラはちゃんともらってください。スタジオ代、楽器代、練習時間、創作時間、すごい時間がかかっていると思います。それを「無料で」配布する必要はありません。ちゃんとお金もらって活動してください。

金の話してますね。私は仕事でも金の話を先にする奴嫌いなんですよ。ちゃんとお金貰って活動してくださいって書いておられますが、あなたお金のために音楽やってんの?好きだからやってんじゃないの?と思っただけです。私はお金のことなんて先に考えたりしませんねぇ。客が入らないのは我々の技術や曲やパフォーマンスがお客さんの心を動かしてないわけじゃないですか。お客さんの心を動かす事が出来れば勝手にお客さんは増えるしチケットが売れればギャラもちゃんと出るんですよ。ギャラが出ないってことは動員を増やせてないとただそれだけです。

私はスタジオ代も楽器代も練習時間も創作時間もすごいコスト掛かってるんです!ギャラをちゃんと払ってください!って言うんですか?私はそんな事言えませんよ。マジで。ギャラが出ないのは私が悪いんですもの。ライブハウスがノルマとして与えるチケットすら捌けないのに金の話なんてしませんよ。まぁこんだけ言ってるんですからご本人のライブはかなりのお客さんを呼んでるんでしょう。知らんけど。

はてなにも絵をかいてる人、小説を書いてる人、音楽をやってる人が沢山いますね。皆さんそんなにお金が欲しいですか?私は要りませんよ。要らないってのはちょっと違うな。お金が入るようになって初めて「あ、ちゃんと聴いてくれてる人がいるんだな」と気付くと思います。ウチのバンドもCD出してるんですけど、頑張ってライブして「カッコ良かった!CD買いたい!」って言ってくれるとすごく嬉しい。それは「売った」から嬉しいんじゃないんですよ。「買ってくれた」から嬉しいんです。

お金じゃないですよ。私は好きだからやってるんです。音楽と下品な金の話をくっつけて話すのはやめてください。誰かが書いた心のこもってない歌で誰かの心が動くんでしょうか。私はそんな作業みたいな楽しくない音楽はやりたくないですね。我々が楽しまないとお客さんは楽しくないだろうし我々が本気でないとお客さんは感動なんてしませんよ。まぁチキン野郎・鶏肉のいう事なんて響かないでしょうけど。頑張ってお金稼いでください。

 

コケコッコー!!!

 

 

心という曖昧なもの

お久しブリーフ。スピリチュアル伝道師わべでございます。今回は心について私なりの解釈を述べていきたいと思います。

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言わずと知れたはてなの女帝かんどーさんがTwitterでこんな発言をされていました。


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お、おう…。基本的に人の事なんてどうでもいいので好きにすりゃ良いじゃんと思うのですが、優しくない発言や主張が私はあまり好きではないので思う事をつらつらと書いていきましょう。

実は私もバンドなるものをやっておりまして、パートはギター、ジャンルはヘヴィメタルとパンクが合わさったようなもの。まぁ知らない人が聴くとただの雑音ですね。うるさいだけです。ええ。

それでも私は心を込めてギターを弾いているわけです。愛とか恋とか希望とかいうような曲を演奏している訳では無いので心を込めるなんてナンセンスだと思われがちですが、私はギターやベース、ドラムやその他楽器にも「思いは音に乗る」と本気で思っているわけです。頭おかしいでしょ?私は本気です。

怒りであったり絶望であったり死であったりと、あらゆる負の感情を心の中で爆発させながらいつもライブでギターを弾いているのです。見た目それはそれはもう汚いのは言うまでもありません。涎を垂らしながら喉が潰れて血が出るほど大声を出し、白目と黒目が反転するほど目を剥き、そしてもっと鳴れとギターを睨みつけながら弾いているのです。

私は昔からテクニックや楽曲の良さよりも、その思いや心をどれだけステージから客席に押し寄せることが出来るか、で見てる人をこちら側に引き寄せられるかどうかが決まると思っているのです。上手いに越したことはない。しかし上手いだけでは響かない。

「アイツド下手だけどヤベエなwww」「何かスゲエ」などはこれに含まれると思います。これまで何百何千というバンドを見てきましたけど、上手い「だけ」のバンドほどつまらんものはありません。「その思いやその心」と「テクニックや楽曲」が揃って、そういう人達がプロになるんだよなぁと思ってまして。

我々は今更プロなんて目指してませんけど来てくれたお客さんにはやはり楽しんでもらいたいので全力でその思いを音に乗せたいし、スタジオ練習で積み重ねたメンバー同士のタイム感とかうねりのようなものを感じて頂けるとこれ幸いであります。

全てはわざわざ見に来てくれたお客さんの為。そして私の音は私にしか出せないんだという思いで日々ギターを弾いているわけであります。そんなこんなでこの発言を目にしたわけですが、まぁ別に音楽のスタンスは人それぞれなのでやりたいようにやりゃ良いと思うのですが、優しくないなぁと思ったわけですよ。

「歌詞は書ける人に書いてもらえば良い」とか「心を込めて歌う必要はない」とかは失礼じゃないですか。歌詞書いてる人にもわざわざ見に来てくれてるお客さんにも。歌詞書いてる人もそこに「思い」はあるだろうし作品は可愛いでしょう。歌を聴きに来る人もお金と時間使って「いやw 心なんて込める必要ないっしょww」的な歌を聴かされるわけですから。やる方も聴く方もそれで良いならそれで良いんでしょうけど。

心を込めてますと言いながら心を込めてない人もいるだろうし上手く伝わらない人もいるだろうし偉そうな事を言ってる私も何も伝わってないかもしれない。まぁでもやはり本気でちゃんとやろうとする姿勢は大事にしたいし、そこは音楽をやる上で重要な部分だと私は思うわけですよ。ジャンルとか上手い下手は関係ないです。

「うわ、この人何かすげぇな」と聴いた側が思うのって、やはり音と心が繋がってる人が出す「何か」ではないか、と私は思います。そしてこれは音楽だけじゃなくて、会話も仕事もブログや文章、料理と全てに当てはまる話だと思います。

誰かを振り向かせたいなら、誰かと何かを共有したいのなら、そこに心を込めるのが誠意ではないか、と私は思うわけです。

 

 

吐いた唾

仕事の方はかなり順調で最近は凄く忙しくさせて頂いており感謝感激雨あられである。体調不良、寝不足、肥満、加齢臭、薄毛も何のそのである。その昔、と言っても10年やそこらの話であるが仕事が無いあの日の事を思えば、頂く仕事の話は漏れなく断りたくないし、あの頃何も出来ない私に仕事を振ってくれた方々に仕事で恩返しをしたい、そう思いながら関西から関東を右往左往しているというわけである。

今日ある打ち合わせでふと昔を思い出した、と言うよりもある人物(A村)の顔を久しぶりに見た。その人物は業界の競合他社社長、否、元社長と言うべきか。その会社は既に倒産しており、別会社に再就職し営業部長として私の前に現れた。元々競合という事もあり、それほど親しくしていた訳では無いが、顔も名前も知っている。相手も私を知っているだろう。あの頃それほど実績もない、仕事も無い私の事を、彼は知っている。

当時、数少ない顧客先で作業をしていた時にそこのオーナーが私に話しかけた。「先週A村が来たで。何や新商品や言うて。えらい高い見積もり持って来よったわ。」「そうですか。ええ商品なんやったらええんちゃいますか。」「高すぎるわ。ほんでな、あんたの事無茶苦茶言うとったで。あんなド素人と付き合わん方がよろしいで、詐欺みたいな男や言うて。」「そうですか(笑) まぁ社長がお前要らん言わはるんやったら身引きますわ(笑) 」「いや、アイツの方追い返したわ(笑)」「おおきに(笑)」

そんな話を私は何ヶ所かでお客さんから耳にしていた。まぁ、私にそれほどの実績はまだ無いし、しょうがねえよなぁ等と思いながら日々の仕事をこなしていた。時は経ち、我々の製品が少しづつ拡がり、私の名前も知って貰えるようになった。独立してもう10年である。計画段階から技術的な協力をしていた海外のプロジェクトに我々が参加する事が決まった。話を進めていく中で某会社が私に接触してきた。その会社の役員と営業部長であるA村である。

彼は私の目の前でペラペラとよく喋った。私の事をよく知っていると。目の付け所が他とは違う優秀な男だと。私の周囲の人物の名前を出し、どれだけ私と近いかを「その役員に向けて」話し続けた。私も終始にこやかに、冗談を交えながら、頷きながら話を聞いていた。「懐かしい話」「昔の話」を上機嫌で、二枚舌を目の前でベロベロと唾をバラ撒きながら話しているのを遮り私は笑顔で言った。

「で、今日は何をしに来られたのでしょうか。」

安いとか高いとかで私は商売をしていない。信用できる人達と面白い仕事がしたいのだ。最初に何かの一言があれば私は特に気にしないのに、何も無かったかのように、自身のアピールの為に私を利用するその腐った根性をまた惜しげも無く見せられては、もう私も何も言う事など無いし聞きたい話も無い。

私は思った。吐いた唾は返ってくるんだなと。私は彼の話を何もしていないし、帰った後の彼が社内で私の事を何と言っているのかなど興味ない。私は面白い人達と面白い仕事がしたいだけなのだ。二枚舌で生きてきたのならこれからも二枚舌で生きていけば良い。私のやり方が間違っているのなら5年後、10年後に私の会社は「ちゃんと」グシャグシャに潰れているだろう。それはそれでしょうがない。

人を下げて上に行きたいとは思わない。我々のような元々「下」の人間は、下の人間同士ギャーギャーと笑いながら面白い仕事をし、その仕事がちゃんと認められる仕事であれば勝手に上に上がれると信じている。上がれないのなら私が悪い、もしくは何かが足りないのだ。何が足りないのかを上目遣いで見ながら、嘘や文句ばかり言っている人間・会社の立ち位置を私はいつも狙っているのである。

 

※ フィクションです。