革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

歪んだシツコイ向上心

私みたいなもんは良い学校出てるわけでもなし、特に技術があるわけでもなし、まぁその辺のクソ野郎と変わらねえと自分では思ってるのですが、フラフラと遊んでいた20代を終えて30歳から真面目に、というか真剣に仕事をしようと心に誓って今まで頑張ってまいりました。起きてる間は業界の専門書を片手に勉強、三徹四徹は当たり前だのクラッカーで「ブラック企業って何ですか?」と、もう完璧にイッちゃってる的に仕事のことばかり考えておりました。おかげさまでとりあえず食うには困らない程度で稼げるようになり、大手とも取引しながら胡散臭い奴らから離れることが出来ましたね。とりあえず良かったですね。自分でも思いますけど私変わってるんですよ。シツコイんです。やるっつったらやらないと気持ち悪いんですね。社内の人間の目とか周りがどうのとか知らんのですよ。アイツ売り上げ少ないくせにまだあれやってんの?バカじゃないの?なんて思われてもですね、途中で辞めて言い訳するのってクソダサいのでやりたくないんですよね。要するにカッコつけなんですよ。実際カッコついてないし売り上げ無い方がカッコ悪くね?と普通は思うんでしょうけど、私的にはどの面下げて売れないからって他のことやんのよと、売れないからって諦める方がダセェわバーカと思いながらしつこく食い下がるわけですね。会社にしたら迷惑千万ですね。私にしてみるとですね「知るかボケ。お前がやれって言ったんだろうが」なんて思いながらやり続けるわけですよ。嫌ならクビにしろなんて思ってましたので。シツコイですね。でもこの時にやってた売れない商材が今の売り上げの柱となってるんですね。シツコイ!で、ですね、思い起こすと私は小学校の頃からそういったややこしい性格をしててですね、さっきそれを思い出したわけですよ。私は小学校の時ソフトボールをやっててですね、ピッチャーだったんですよ。ウインドミルですよウインドミル。知ってます?ぐるっと腕を回して投げるんですけどね。まぁその投げ方が何でかよく分かりませんが私の投げ方は変わってたんですよ。まぁ文章では説明出来ませんけども内股になってたんです。その投げ方を見て周囲の友人なんかは「オカマ投げ」とからかい笑ったんですね。小学生ですから最初はまぁショックを受けるわけですが、先ほど申しました通り私のこのややこしい性格はですね、「この投げ方で上手くなったるわお前ら全員シバいたろかボケ」となるわけですね。毎日学校終わったら壁を相手に投げまくってたら当時キャッチャーやってた一つ下の子が付き合ってくれるようになりましてですね、それをたまたま見つけた監督も協力してくれて弱かったチームがそこそこ強くなったんですね。私の球も一番とは言いませんけども早くてコントロール良いピッチャーがいると地域で言われるようになったわけです。そうなるとですね、今までオカマだ何だと言ってた奴らは何も言わなくなるんですよ。その時からですね、「やってりゃ何とかなる」んだろうなと無意識にそのしつこさが定着したんだと思います。ギターも途中10年スッパリ辞めてましたがそれを除いても20年弾いてますよね。上手くはないんですけどね。好きなんですよ。ずっと。何やかんやで少しづつ結果を残して続けてる今の仕事も好きなんでしょう。もう45歳ですからね。今からまだ何かシツコイ事始めんのかな?なんて考えますけど、そのシツコイには必ず周りの「何だコイツダセェな」が必要なんですよ。最初から「良いですね!」と言われると萎えるか飽きるんです。ダッセェのをカッコよくなるまで育てるのが好きなんですよ。小さい頃、泥団子がピカピカに光るまで磨きませんでした?クソみたいな奴らから見える私の見た目なんてどうでも良いんですよ。私は顔を歪めながらソイツらが黙るまで磨くんです。

 

鏡の中の老人

「わべさん別にハゲてないじゃん」

人に会うといつも言われるわけだが、バンドマンというクズの極みであった私の若い頃というのは、ご自慢のサラサラヘアーを腰まで伸ばし、洗髪はいつもティモテ洗い、トリートメンツなどをしてふんわり良い香りを髪からさせていた頃もあるし、ドレッドにしたこともあるし白に近い金髪だった頃もあった。その髪をかき上げる為に触れればコシのある髪がふんだんに、鬱蒼と茂っていた。今はどうだろうか。風呂に入った後の自身の髪を見れば一目瞭然。奥さんには「あれ?ハゲてない?」などと言われ、眠りにつけば夢に石立鉄男が登場し「お前はどこのワカメじゃ!」とわかめラーメンを両手に追いかけられる夢でうなされて起きるほどである。要するに若い頃に髪を虐めすぎていた。いつまでもあると思うな親と髪。

幸い私には「別に少ないってほどではないよね?」と人に思わせる程度の髪を盛る技術があるため、ワックスやジェル、スプレーなどで盛ってようやく人前に出られるといった寸法である。私ぐらいのプロの薄毛になるとセグレタなんて信用しない。よって、ゆきずりの女性とお洒落なバーで良いイキフンになってお泊まり、なんて事は以ての外だ。翌朝誰だか分からない薄毛のオッサンが隣に寝ていようものならガラスの灰皿で撲殺されるのは目に見えている。私の生死に関わるので一夜のアバンチュールなんかを夢見てはいけない。そもそも私は酒が飲めないからバーには行かない。Barberには行く。薄毛で髪が伸びると余計に貧相、そして盛るのがめんどくさいのだ。ポイントは前髪をどれだけ立ち上げる事が出来るか、であるわけだが前髪が伸びた状態で立ち上げると京本正樹のような髪型になる。顔は丸顔のゴリラで髪型は京本正樹。地獄である。

そんなこんなで先日いつも行っているBarberで私専属のハサミの魔術師(推定90歳)にカットをお願いした。「いつもの」でオーダーは通るのだが、現在現場でヘルメットを被る機会が多く、今回は「短めで」というオーダーをした。どこをどう短めなのか、という事を確認せず御年90歳のジジイは震える手でハサミを操り、シャクシャクと髪を切り始める。細かいオーダーをしたい私は「おいジイさん」と話しかけるわけだが、耳が遠くて聞こえないのか変なオーダーされたらめんどくさいから聞こえないフリをしているのかは不明だが返事をしない。「短めで」のオーダーは聞こえるのに何で今は聞こえないんだと普通の人間は思うはずだが私はもう慣れている。好きにしてくれ。ジイサンの思うようにしてくれ。寝るとしよう。

バンバンと肩を叩かれて合わせ鏡を見せられた。後ろはこんな感じで良いか?と言わんばかりに何も言わない。良いかもクソもアンタ俺のオーダー聞かねえじゃねえかと思いつつも、刈り上げになってないだけマシだと「OK」の形を指で作った。ジイサンは満足そうだった。ドライヤーで髪を乾かす時に私はジイサンに問うた。

「俺の髪は薄いか?」

「おぉん…まだ…大丈夫ちゃうか…」

「そうか。これからまだ薄なることあるんか?」

「アホか。普通は今から薄なるんやろ。アンタの年ぐらいから」

「そうか…。何かトニックとかやった方がええか?」

「せやな。アンタらみんなせやけどな、みんなハゲてから慌てて何かしようとすんねん。無くなったから一生懸命やっても生えて来えへんで。やるんやったら辛うじてある今や。今あるその髪の毛大事にせえ。」

私は眼から鱗が落ちた。なるほど。言われてみればそうだな。私はオススメはあるかとジイサンに問うた。ある、と。棚からガサゴソと取り出した育毛剤を手に「15000円や」と言った。高すぎやしないかクソジジイと思いながらも、私の目から鱗を落とした張本人、ハサミの魔術師が言うなら仕方あるまい。私は鏡を背に言ったよ。「それ貰うよ」と。ジジイはニヤリとして「頑張りや」とだけ言って私からお金をふんだくった。会計を散髪椅子で済ませ、ブローを終えた私は立ち上がってジジイに礼を言った。また来るよと。次はフサフサになってるかもな!と思いながらふと鏡でブローしたての整髪料をつけていない自分の髪型を確認した。前髪が揃っている。私は帰り際ジジイに言った。

 

「これはもう薄毛とかそんなん関係なしでイジリー岡田みたいな髪型やな。」

 

ジジイは返事をしなかった。どうやら耳が遠くて聞こえないようだ。私は静かにBarberの扉を閉めた。

 

 

小さな画面の向こう側

何やっとんねん!クソったれが!指をクルクルと画面に沿わせながら私は悪態をついた。クソ暑い現場で毎日作業着をドロドロにし、現場が終わればコンビニで安いカロリーオフのビールとつまみを買う。そしていつもの、狭く色気も何もない、私の目には部屋の中その全てがモノトーンに映る殺風景なビジネスホテルに帰るのである。ベッドに腰を掛け、ガサガサとレジ袋の中からつまみを出して口に放り込み、安いビールで流し込む。私は酒に弱い。ベッドの正面にある大きな鏡には、いつこんなに年を取ったんだろうかと思うほどの老け込んだ顔が映っている。ほどなく酒が血液と一緒に全身を巡る。顔がどんどん赤くなる。そのままバタンとベッドに倒れ、天井を見上げる。頭の中のいくつものタスクの閉じるボタンを押し、スマホを開ける。Twitterはてなブログ、インスタグラムと、そこにはいくつもの、それらのアプリのアイコンは私であって私ではない世界への入り口で、アプリを起動すれば私はそこに吸い込まれて、知っているようで実は何も知らない人達の話を静かに聞いている。一通り見て回ると別のアプリに触れる。Pokémon GOである。ホテルに帰って一息ついた後の時間はちょうどレイドバトルがある時間だ。レイドバトルとは、他のトレーナーと一緒にボスポケモンを倒し、そしてそのポケモンをゲットする為に玉を投げる行為である。さて、出掛けるか。作業着のまま、目当てのポケモンを探すべく歩いてジムの場所まで行く。目星を付けたところに到着すると私はいつもその光景に驚くのだ。

 

「何だこのオッサンの数は」

 

おびただしい数のオッサンが俯き、目線の先にあるスマホに指を滑らせている。その全てのオッサンは一喜一憂などせず静かにスマホを凝視している。ボスポケモンをゲットした者、ゲット出来ずに少し悔しそうな顔をした者、スマホタブレットの二台持ちをしている者、色んなオッサンが数十人、いやそれ以上の数のオッサンがそのジムには群れていた。私も負けてはいられない。準備をしていざ勝負だ。バトルには勝ってもゲット出来なければ意味がない。私は震える指先で「落ち着け、落ち着け」と独りごちた。ゲットならず。クソが!と心の中で悪態をつきながらまた周りを見渡した。我々オッサン達は何故今、Pokémon GOをやるのか。私の話をさせてもらうと、ゲームというよりは「小さな小さな達成感」であると思っている。我々のような中年のオッサンは、仕事ではある程度難易度の高い仕事をしないと評価されない。小さな山は超えて当たり前だと認識されているからである。そこに我々は達成感など得られない。出来るだけ身近なもので、出来るだけ簡単で、出来るだけ金の掛からないもので、となるとPokémon GOは最適なのだ。ただ集めるだけではなく、新しいポケモン、強いポケモン、進化させるポケモン、そこには我々オッサンに「おぉ!w」と思わせる小さな達成感が存在するのである。別に誰に見せるわけでもない、やってるよ!と今更公言するわけでもない。一人でその画面を見つめ、そしてジムに行けばオッサンが集合してボスポケモンを倒す。バトルが終われば真顔でそそくさと解散する。知り合いのオッサンがポケモンをやってると知ると、照れながらお互いフレンド申請をするという可愛い気持ち悪い一面もある。楽しいのかと言われれば別に楽しいわけではない。Pokémon GOのアプリをタップすると「次にやること」のタスクが頭の中にポンと立ち上がり、それは別にやらなくても良い、どうでも良いことではあるが、仕事の事は考えたくないけど頭は何かしら動いている方が心地いい、というものに当てはまるのである。

色んな立ち位置のオッサン達がPokémon GOに群がる意味は特にないのだと思う。やる事が無いわけでも暇を持て余しているわけでもない。ただそこに可愛いポケモンがいて、取れただ取れなかっただと独りごち、小さな小さな達成感が我々オッサンの心を安定させてくれるもの、それがPokémon GOなのである。それぞれの地域でそれぞれのポケストップやジムにオッサン達は群がっているだろう。しかしそれを気味悪がらないでほしいというのは私からの要望だ。我々は、何があるのか、何もないのかすら見当もつかないその画面の向こう側を見ながら、ひたすらモンスターボールを投げているのである。

 

何もないなら、それはそれで良い。

 

 

「普通」を探し続けてこれからも生きてゆく

私は新幹線によく乗る。毎週乗ってるからよく乗る方だと思う。新幹線は好きかい?私は好きではない。そもそも乗り物が好きではないのだ。新幹線も飛行機も車も。長時間乗ってるともう我慢が出来なくなるのだ。何を我慢出来なくなるのか。それは私にも分からない。しかしながら長時間同じ場所に座ってるのが苦痛だということに変わりはない。移動が嫌だ、と思いながら仕事をしていると遠方から仕事の依頼が来る。人生とはそういうものだと苦虫を噛みつぶしたような顔をしながら今バニラアイスを噛みしめている。

さて貴様らに一つ聞きたい事がある。新幹線のシートを倒す時に後ろの席の人に「倒しても良いでしょうか?」と問うのか、問わないのか問題である。私から言わせて頂くと、答えは「問わない」である。私ぐらい新幹線に乗っているプロフェッショナルとなると乗りたて初心者の頃はやはり問うていた。「倒しても良いでしょうか」と。そしてある日「やめてください」なるクソジジイが現れた。私は驚いた。やめてください…だと…? 私は、倒せるようになっているこのシートを、「倒しても良い」を前提としたこのシートをそれでも気を遣って断りを入れているにも関わらず「やめてください」と言ってのける猛者が現れたのである。私は心の中で「どうする?」と問うた。答えはすぐに出た。「どうするじゃねぇ。倒す。」であった。東京大阪間の二時間半を乗り物が嫌いだと言っている私にシート90°直角で向かえと言うのか。ふざけるのも大概にしたまえ。クソジジイ。これを読んでいる諸君は思っているだろう。「じゃあ聞くんじゃねえよ」と。だから私はその日から聞かなくなった。いつこういう猛者が現れるのかが分からないからである。すまんな後ろの奴ら。私は貴様らに「倒しても良いですか」とは問わない。諦めたまえ。

で、だ。普通はどうなんだろうか、と私は思ったのである。例えば私は前の座席の人が何も言わずにシートを倒しても何も思わない。理由は簡単だ。「倒せるようになっている」からである。ジェイアールもバカではない。倒しても問題ないであろう角度をちゃんと検証してあの角度が決まっていると私は思っている。たまに「お前倒し過ぎでスマホ見るのに首がおかしな角度になってんぞ?」とか「お前そんなに倒すのは構わんがずっとデリヘルのHPで嬢選びしてんの全部見えてんぞ」みたいなキレ者が存在するが、倒すのは自由にすれば良いと私はそう思うのだ。しかしながらどうだ。今し方乗ったこの新幹線で黙ってシートを倒すと後ろのクソジジイが舌打ちをしてきやがった。何なんだクソジジイ。行くも地獄戻るも地獄とはこの事ではないか。まぁ良い。幸い私は顔面がイケメンでもしょうゆ顔でもなく野生ゴリラ顔なので後ろを振り向き「すんまへんなぁ」と声を掛ければ大人しくなる。こんな顔に産んでくれてありがとうママン。

周りに気を遣い過ぎて一部の我儘な人間の「図々しさ」が私の目の前に立ちはだかるのは気分が悪い。しかしながら私も別に気にせずドカドカとシートを倒したいわけでもない。周りの人達の気分を害さず快適に新幹線に乗りたい。私は今日も、色んな人たちの所作を観察し、普通を探しながら東京砂漠に向かうのである。

 

 

「イケメン」より「エエ男」の方がカッコええで

「あれ?この部分のこれ何で無いんや?」

 

無いとアカンもんが無い。なんでや?現場が騒然してたから、どないしたん?言うて見に行ったら、一個部品あれへん言うててな。そらアカンな。それ無かったら不良品やし、やり直す言うたら手間と時間が莫大に掛かるわ。誰の責任や言うて騒いどるけどそんなもんウチとA社しかおらんがな。どないすんねん!言われてもな。ウチにはウチの言い分あるさかいに。向こうも言いたい事あるやろ。そもそもここのチェックは誰がやんねんな。あんたらちゃうんかいな。まぁええわ。とりあえずウチの職人とな、いつものように「最悪のこと考えよか」言うてウチが全部やり直す事考えてたんや。出来るか?言うてな。やれん事ないけどかなり厳しいで言うてな。でもやらなしゃあないやんけ。な?ウチの責任かどうかは置いといてやらなアカンねん。出来るか?そうか。ほな最悪それで行こか。ほんで俺はその方向で準備しとったわけや。ほんならな、A社の社長が「ウチやったるわ」言うてな。ほんまかいな言うてビックリしたがな。誰の責任や言われたらな、俺も思う事あるし大将もあるやろ。でもそんな事何も言わんとな、ウチやったるわて言うてくれたんや。その方が一から職人呼んで段取りするよりその後の作業がスムーズになるから有難いねん。せやから俺はありがとう言うてな、金はウチに言うてくれたらええよ、責任も全部俺が取るわて言うたんやな。あんたとこは工事だけやってくれたらええて。一緒に前向いて話ししてくれる社長で助かったわ。ケツの穴小さい社長やったら、やれあれはわべが悪いやら、聞いてへんやら、こう言うたやら言うてな、逃げるばっかで話が前に進まんねん。どうやったらこのトラブルの被害を最小限にして進められるか、みたいな話を、理解して、言いたい事も黙って「ウチやるわ」て言うてくれたんや。俺も黙ってちゃんと責任取るさかいに。誰の責任や!言うて騒いどるやつおるな。そんなもんどっちでもええんや。お前話後ろに戻す気かいな。黙っとけや。男見せられたらこっちもやる事やるだけや。話戻すか?2週間は止まるぞ?ええんか?俺持ってる責任の玉お前に投げるど?ウチが悪い、責任は俺が取る、作業は大将んとこがやってくれる、お互い黙って事を収める、それでええやろ。大将今度飯でも行こか。ほんまはお前んとこが悪かったんやろて言い合いしながらビール飲もや。オッサンカッコええな。俺年下やし奢ってな。

 

おおきに、な。

 

 

ブログなんてただの心の中の言葉だろう

何故私には仕事が無いのか。そんな事を毎日考えている。先ほど来社した他メーカーの営業は「もうこれ以上仕事なんか要らない。300万ぐらいの仕事など見積もりすらしたくない。」と、嘆くフリをした。どこか勝ち誇った顔をしながら。私は何でも手伝いますから、どんな小さな仕事でも弊社に振ってほしい、丸投げでも構わないからと頭を下げた。その営業マンは「仕事の振り方を考えてみる」と言ったまま、その後の連絡は無かった。心の奥底では、そりゃそうだと理解はしている。私が出来るかどうか、など相手には関係ない。相手が「出来そうだ」と思っているか「無理そうだな」と思っているか、であるから。仕事はどんよりと曇った空から、これでもかと我々には向かって降り注いでいるのに、私はそれを掴むことが出来ない。不景気といえど工事の仕事が無くなるなんてことは無い。オーナーから建設会社へと発注があり、どんどん下請けに仕事が流れていくのを私は見ているだけであり、蚊帳の外からどれだけ大声で「やらせて欲しい」と叫んでも「どうせ駄目だろう」と、言わずとも、彼らは私にそんな口の動きを見せた。仕事を取る方法、やり方は分かっているしそして簡単だ。その方法は二つ。説明出来ないことを誤魔化して売ること、他社と同じものをより安く売ること、この二つである。やりたくない。正義感ではない。こんな仕事は面白くない。誰でも出来るじゃないか。私でなくても良いじゃないか。金が無い。やりたくない。みんなで渡れば怖くない、あの赤信号を、私は渡るのか。金が無い。暇は幾らでもある。Facebookを覗く。みんなキラキラしている。金が無い。さて、どうするかな。私が「買ってくれ」「仕事をくれ」と言わなくても、相手から「買いたい」「仕事をお願いしたい」と言ってもらえる方法。とにかく実績だな。喜んでもらおう。私が考えている方法で、私にしか出来ない仕事を。それが出来るまでは、私の身体を金に変えれば良い。土方でも掃除でも何でも。そして掃除をした。毎日どこかで私は掃除をした。みんなキラキラしてるなぁ。ふはは。私はドロドロだなぁ。まぁ、そりゃそうだな。ふはは。そしてある場所で私は感謝された。誰もやりたがらないこの仕事をやってくれてありがとうと。そしてそこで困っている事を沢山聞いた。私は、そんなのこうやれば改善出来るよと教えてあげた。喜んでくれた。また相談された。教えてあげた。

「わべさんこういうのってどうやれば良いの?」

「わべさんこういうの探してるんだけど知ってる?」

「わべさんこれもお願いしたいんだけど出来ますか?」

出来ないことは出来ないとその理由を添えて断った。そしてそれが出来る業者を紹介してあげた。業者に感謝された。業者は私の事を詳しく知りたがった。そして私を誰かに会わせたがった。起きている間はずっと考えた。夢の中でも私は考えていた。お客さんが困っているその何かを改善する方法。もしかすると私が考えている事を形に出来るかもしれないと他社に相談した。面白そうだと笑いながら握手をした。私には何もない。私は何もすごくない。私の周りの人達がすごいのだ。私は目の前で起こっているお客さんの「困った」を拾い上げ、少しの知識と少しの発想ですごい人達を集め、そのすごい人達に形にしてもらう。あとはお客さんも含め周りの全ての人達に利益が出るよう煮詰めるだけ。出来るだけ多くの利益を自社のみが死守する時代ではもうないのではないか。私は平気で「御社がやった方がお客さんの利益になるから」と仕事を投げる。私だけ儲かっても面白くない。今ある金が全て消え去っても何も問題ない。元々金なんか私には無い。私は今でも現場にいる。お客さんの「困った」がそこにあるから。会議室にお客さんの「困った」など無い。そして会議室にずっといる連中はお客さんの「困った」に興味が無い。これ幸い。お前らはずっと会議室に篭ってろ。仕事が好きなんでしょとよく言われる。私は仕事が好きなのかなぁ。我々のアイディアで誰かの負担が軽くなるのが面白い。結果としてお金が貰えればなお良い。私は仕事が好きなのかなぁ。仕事があるのかお金を貰えるのかなんて私が決める事じゃない。お金なんかあっても無くてもいい。やれる事をやらずに文句を言いながら、夕刊フジを読みながら老いぼれてくのはゴメンだ。私は今日も現場で、カップラーメンを啜りながら、職人とゲスい話をしながら笑っているのだ。それを仕事好きと言うのなら、私は仕事が好きなんだろう。

 

 

さぁ楽しく踊ろうじゃないか

一時のあの荒れ果てたひとつの時代が終わったとはいえここはあの地獄「はてな」である。殴られたら殴り返すといったソウルはアカウントを残す皆もまだ持っているのではないだろうか。プーさんのように丸くなった私も「し(ry 」とまで言われれば黙っているわけにもいくまい。言及記事については前のブログで少し褒められた事のある私が久しぶりにパソコンで文字を打とうと思う。私を殴りつけた記事はこちらである。

 


おい、人の心をプラスに評価できないのは仕方ないにしてもマイナスに評価しなくてもいいだろ - スナックelve 本店 

 

とはいえ別に嫌っているわけではないエルベ氏をタコ殴りにしようとは思わないし、一つ一つを取り上げて説明するのも面倒だ。私の思ったことのみ書いてみたい。

人の心に価値なんてつけられないものだとは思いますが、なんせ男は「人の心配」の価値を「軽く見る」「バカにする」のであります。
これはもう、ただの反抗期の名残だと思うのです。心配する母親に「うるせーくそばばー」しか言えない。それが格好いいと思ってる。外部に見せたがる。
女の思いを無碍にする俺カッコいーだろーアピールですよ。ガキが!!!
人の好意に甘えるのはせいぜい20歳までにしておけこの野郎、と思うわけです。

思ったのは一つだけで、

貴様の周りにはそんな男しかいないのだ。

とそれだけである。私はそんな男ではない、という事が言いたいのではない。男にも色んな男がいて、そんな男もそうじゃない男もいるのである。私がどの「男」に当てはまるのかなんてどうでも良いが、そんな男ばかりではないと私は思うのである。彼女が「男」を語るときいつもこの手の男が母親と共に登場するような気がする。何があったのかは私は知らないが「なんせ男は」という言葉が出るのは、フェミニストなのか男が嫌いなのか私が嫌いなのかは彼女の心の中にしかない。繰り返すが、この記事について私が思ったのはあなたの周りにはそんな男しかいないのではということ、人は鏡という言葉があるのだから人を小馬鹿にして煽るような文章は慎みたまえ。

と、エルベ氏に関して思うのはここまでで、気になったのはあの私のTwitterの発言で気分を害した人がどの程度いるのだろうか、ということである。リプライで「惚気だ」とあったが、あのリプライが私の中の正解であった。それはやはりただの惚気であったから。奥さんから何か病気や事故などで「気をつけなさい」と言われたら私は毎回「神に愛されているから問題ない」と返す。そして彼女はいつも「また言ってる」と笑うのだ。二人の間で安定した信頼関係があればこれは茶化しているのではなくいつもの冗談であり、彼女もその言葉を聞いて「この人は多分大丈夫なんんだろうな」と思ってくれている、安心してくれているのだと私は思っている。インディアンデスロックは冗談ではなく本当に痛いのだけれど。

今月で我々夫婦は出会って16年、結婚して10年となった。出会った当初の彼女は恐ろしい程のギャルで、シチューを食べながら「味噌汁飲む?」と聞くような女の子であった。飲みません。先週の休みの時、子供二人を膝にのせてお菓子を食べていると「あなたと結婚して良かったです」と奥さんから言われ、チビに「めっちゃラブラブやん!」とからかわれた。彼女の心の中は私には分からない。もしかすると私の事が嫌いで悲しい思いをしてるのかもしれない。どう思っているのかなんて私には知る由もないが、私は彼女にやってあげたい事、やらなければならない事を、ただただやり続けるだけである。私がどんな「男」であろうと、カッコいいお父さん、頼もしい夫であり続けたい、日々精進するとそれだけである。

 

私が嫌いではないのであればフグご馳走してやるからブコメにフグ食わせろと書いておけw