革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

「普通」を探し続けてこれからも生きてゆく

私は新幹線によく乗る。毎週乗ってるからよく乗る方だと思う。新幹線は好きかい?私は好きではない。そもそも乗り物が好きではないのだ。新幹線も飛行機も車も。長時間乗ってるともう我慢が出来なくなるのだ。何を我慢出来なくなるのか。それは私にも分からない。しかしながら長時間同じ場所に座ってるのが苦痛だということに変わりはない。移動が嫌だ、と思いながら仕事をしていると遠方から仕事の依頼が来る。人生とはそういうものだと苦虫を噛みつぶしたような顔をしながら今バニラアイスを噛みしめている。

さて貴様らに一つ聞きたい事がある。新幹線のシートを倒す時に後ろの席の人に「倒しても良いでしょうか?」と問うのか、問わないのか問題である。私から言わせて頂くと、答えは「問わない」である。私ぐらい新幹線に乗っているプロフェッショナルとなると乗りたて初心者の頃はやはり問うていた。「倒しても良いでしょうか」と。そしてある日「やめてください」なるクソジジイが現れた。私は驚いた。やめてください…だと…? 私は、倒せるようになっているこのシートを、「倒しても良い」を前提としたこのシートをそれでも気を遣って断りを入れているにも関わらず「やめてください」と言ってのける猛者が現れたのである。私は心の中で「どうする?」と問うた。答えはすぐに出た。「どうするじゃねぇ。倒す。」であった。東京大阪間の二時間半を乗り物が嫌いだと言っている私にシート90°直角で向かえと言うのか。ふざけるのも大概にしたまえ。クソジジイ。これを読んでいる諸君は思っているだろう。「じゃあ聞くんじゃねえよ」と。だから私はその日から聞かなくなった。いつこういう猛者が現れるのかが分からないからである。すまんな後ろの奴ら。私は貴様らに「倒しても良いですか」とは問わない。諦めたまえ。

で、だ。普通はどうなんだろうか、と私は思ったのである。例えば私は前の座席の人が何も言わずにシートを倒しても何も思わない。理由は簡単だ。「倒せるようになっている」からである。ジェイアールもバカではない。倒しても問題ないであろう角度をちゃんと検証してあの角度が決まっていると私は思っている。たまに「お前倒し過ぎでスマホ見るのに首がおかしな角度になってんぞ?」とか「お前そんなに倒すのは構わんがずっとデリヘルのHPで嬢選びしてんの全部見えてんぞ」みたいなキレ者が存在するが、倒すのは自由にすれば良いと私はそう思うのだ。しかしながらどうだ。今し方乗ったこの新幹線で黙ってシートを倒すと後ろのクソジジイが舌打ちをしてきやがった。何なんだクソジジイ。行くも地獄戻るも地獄とはこの事ではないか。まぁ良い。幸い私は顔面がイケメンでもしょうゆ顔でもなく野生ゴリラ顔なので後ろを振り向き「すんまへんなぁ」と声を掛ければ大人しくなる。こんな顔に産んでくれてありがとうママン。

周りに気を遣い過ぎて一部の我儘な人間の「図々しさ」が私の目の前に立ちはだかるのは気分が悪い。しかしながら私も別に気にせずドカドカとシートを倒したいわけでもない。周りの人達の気分を害さず快適に新幹線に乗りたい。私は今日も、色んな人たちの所作を観察し、普通を探しながら東京砂漠に向かうのである。