革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

私が思う仕事の面白さとは何なのか

営業で汗かくって気持ちいいよね( *˙ω˙*)و グッ!

お客様の笑顔が私のモチベーション(๑>؂•̀๑)テヘペロ

もっと働きたいだってやれば成果は出るもの(〃艸〃)

仕事は私を成長させてくれるんです(。+・`ω・´)キリッ

チームの一体感がファビュラス(♡˙︶˙♡)

 

いつも読んでくれている方達なら分かって頂けると思うが、私はこんなビジネス宗教みたいな事は微塵も考えていない。仕事好きの連中は「仕事 =充実感」であったり「仕事 = やり甲斐」みたいに思われる人が多いが、私の考える仕事の面白さは「人間模様」である。勿論「契約」であったり「完成」であったりと、その仕事のゴールは必ずあるし達成感みたいなものは無いとは言わない。しかしながら私が思う「仕事の面白さ」はそれだけではない。人間の嫌な部分、汚い部分を見ると私はニヤリとするのである。

例を出していこう。先日珍しい人物から私の携帯が鳴った。その人物は、私がまだ駆け出しの頃に営業に行った先の社長だ。工事を頼みたいんだけど見積もりして貰えないだろうか、という内容だった。私は「良いですよ。ありがとうございます。」と電話を切った。そして私はニヤリとした。

その社長は傲慢で有名な人、自分が一番物知りだと信じて疑わない。値段も「俺がやればこの値段で出来る」と恐ろしい値切りをしてくる。それでも仕事をかなり出すので業者は我慢して付き合いをしていた。私はと言えば、かなり前に営業した際「貴様のような無名の会社使えるわけねえだろ」と、けちょんけちょんに罵られた為距離を置いていた。

時は過ぎ、我々がどんどん実績を積んでいる中、傲慢社長からはどんどん人が離れていったのだ。高い見積もりを持って行き「高い!こんな工事ならバカでも出来る!」と言われたので「では他社でやって下さい。その金額ではウチは無理です。」キッパリ言うと、何やらモゴモゴと「まぁ…、今回はこれで良いよ…。」と受注した。

もう一つ。胡散臭い機械を販売する会社社長がある施設にくっついていた。その施設から呼ばれた私はウチの機械の説明をするわけだが、その胡散臭い社長は「ダメダメ!こんな機械何も分かってない奴が扱うんだよ!ド素人だよこの人!」と私をお客さん(課長)の前で罵った。まぁ別にどっちでも良いかと帰ろうとしたらお客さん(社長)が現れた。私は「イエーイ」とその社長とハイタッチした。私はそれまで、設備の相談を無料で行っており、社長にかなり食い込んでいたのだ。「ウチの製品はド素人でダメみたいですよ(笑)」と社長に伝えると「え?なんで?」とその胡散臭い社長を見た。信号機の青より顔が青かった。

仕事なんて嘘とか大風呂敷広げてやるもんじゃない。普通にしてりゃいい。ぐじゃぐじゃ言ってくる奴なんてほっときゃいい。私が日々仕事をしながら何を面白がっているのかと言うと「こういう奴ら」を横目で見ながら私を認めてもらう過程が面白いのである。嘘・寝返り・裏切り・足の引っ張り合い・騙し。この人間模様を現実で目の当たりにすると私は顔を下に向けながらニヤリとするのだ。

仕事を取るという行為は製品や会社の大小だけではない。汚くて醜い人間が私を潰そうとしてくればしてくるほどに、私はふへへへへへと笑いながらこの場所のキーマンは誰だと、絶えずその環境を上目遣いで観察するのである。

 

仕事って本当に面白い。

 

 

私が会社を起こそうとした理由

「仕事、やっと取ってきました」

「おー!凄いやんけ!どこや!」

「○○化学です。」

「やるなぁ!なんぼや!」

「6000万です。」

「良かったなぁ。頑張ってたもんな!」

「ありがとうございます。やっと会社に貢献出来ました。」


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そこは小さな会社であったが、店舗で販売員をしていた私をその会社の社長が引き抜いた。理由は「お前オモロいやっちゃな!一緒にやろや!」であった。今まで全く関わらなかった業種で、何もかもが初めて見るもの、初めて体験するものであった。私はその会社で、必死に製品のことを勉強し、必死にその環境に慣れようとしていたが営業成績は鳴かず飛ばずだ。店舗営業ではそこそこの営業成績をこなしていたので、その焦りは尋常ではなかった。何故私にこれが出来ないんだろうか、勉強が足りていないのか、話し方がおかしいのか、そんなことばかり毎日思いながら仕事をし、勉強し、そしていつも無理をして笑っていた。

営業内容は、提案型のコスト削減製品を売ることだ。一昔で言う「ソーラーパネル」であったり「LEDの蛍光灯」のようなものである。それを自分で見つけた営業先に提案し、売上にするのが私の仕事である。リストアップという名で親兄弟の名前や友人の名前を書かされ、時には電話帳片手にテレアポ電話営業をし、飛び込み営業に関しては大阪の北から南まで歩いて回った。売れなかった。理由は分かっていた。この会社には私を教育する人間がいないのだ。私は私の知りたいことを私自身が調べて本を読んで知識を得なければいけない。周りの営業マンはやる気のない奴らばかりであった。

「数字が上がらない営業はただのバカ」「お前の相手に対する気遣いが足りない」「可愛がってもらえる人間になれ」「女にモテない奴は仕事も出来ない」などなど名言の多い会社であったが、右も左も分からない私は全てを鵜呑みにした。「売れない私が悪いのだ」と。少しずつでも金を会社に持って帰ろう、稼げない私が経費を使って会社の金を減らすわけにはいかないと、交通費や雑費は全て自腹で買った。その社風に合っていた同僚は、みるみる出世していった。しかしながら不思議と悔しさは無かった。その同僚営業も売っていなかった、数字が無かったからである。おべっかで成り上がれなくとも構わない。

ある日私は方向転換した。エンドユーザーを標的にした営業はやめた。知識や技術を身につけながら物を売るにはどうすれば良いのか。同業他社に頭を下げてお願いしながら資料を少しずつ集め、自社に足りないものを補いながら他者からのおこぼれ仕事をかき集めた。本当にちょっとずつ、ちょっとずつ人脈を広げたのだ。気が付けばそこそこの売上を集めることが出来た。その時である。超大手から声が掛かった。「手伝ってくれないか」と。勿論ですと回答した。

超大手役員との打ち合わせ、会議、現場調査、組み立て工場の査察、見積もり。全て順調だった。そして最後に「よし、発注するよ」と発注を貰ったのだ。纏まった売上が初めての私は「よっしゃあー!!!6000万!!!」と恥ずかしげもなく喜んだ。お客さんもよくここまで手伝ってくれたと喜んでくれた。そして会社に帰った私は社長に報告をする。今までタダ飯食わせてもらっていたからやっと恩返しが出来ると心踊った。

 

「仕事取ってきました。」

「え?こないだ会議で言うてたやつ?なんぼ?」

「6000万です。」

「無理やで。」

「…?」

「材料代無いで?どないするん?」

「どないする...?とは?」

「金どないすんねん。そんな金会社に無いで。前金頼まれへんのか?」

「幾らかは… 多分…」

「材料屋に金払ろてへんから注文出来へんで。どないするん?」

「どないするて…」

 

泣いた。この社長は社員の私に「資金繰り厳しいからアコムかどっかで借りてきてくれへんか...」と言ってのけた社長である。私は思った。こんなボンクラのカスでも社長になれるなら私でも出来るんじゃないだろうかと。「社長」を少し「凄い」と思い込み過ぎていたのだ。社長だろうが専務だろうが、私と同じ人間だしコイツは多分私と同じ、いや、それ以下のクズだ。やれると思った瞬間「お前自分で断れよ」と言って会社を辞めた。まぁ数字を持ってない営業の私が辞めたとて苦しくなる事などないだろう。と、言いたいが先ほど少し書いたようにグングン出世する同僚も数字を持っていない。結果、会社に金を持って帰ってきていたのは私だけであった。程なくしてその会社は潰れた。

社長など偉くも何ともない。偉そうな社長程ほどクズ度が高い。やり手の社長は皆腰が低い。社長かどうかなんてどうでもいい。私は自分が取ってきた仕事が面白いから、皆より前を走ってるだけなのであーる。

 

図面描きながらどん兵衛食ってたら思い出したから書いてみた。

 

俺達は身体を使うよ

私は所謂底辺DQNである。金があるとか無いとかそんなものは関係ない。よく「アイツの金の使い方は宝くじが当たって浮かれて破滅するやつだ」などと揶揄する何も分かってない、表面しか見えてないバカがいるが、今の私の稼ぎは「たまたま入ったタナボタ」ではなく、時給1500円の仕事を1日20時間、休み無しで働いているに過ぎない。私は良い大学に入って良い就職先で9時17時の仕事をしながら稼ぐような時間単価の高い有能では無いのである。

私はずっと「あっち側に行く必要はない」と思っていたし「あっち側へは行けない」と思っていた。それは私の「ベース」が低すぎるからである。同年代が「それ」を積み重ねていた時、私はバンドをしながら遊び呆けていた。仲間と酒を飲み、ライブをし、その日暮らしで日雇いの仕事をして生活費を稼いでいた。その当時の私が見ていたのは未来でも過去でもなく「今日だけ」を見て日々生活していたのである。

確かに私の育った環境は貧しいものであった。友達が親から与えられていたものが私には与えられなかったとしても、私は「それ」を言い訳にはしなかったし、私は「それ」を可哀想だとも恥ずかしいものだとも思っていなかったのだ。金が無くとも、家に多額の借金があろうとも、夕飯におかずが無くご飯に醤油をかけて食べようとも、塾に行けなくとも、良い学校に入れなくとも、私は私を「普通」だと思っていたし今もそう思っている。

アルバイトが出来る年齢になった私は楽しい物を見つけた。音楽である。運良く安物のエレキギターを手にした私はそれはもうのめり込んだ。毎日弾いて毎日ギターを抱きしめて眠った。ある程度の年齢になるとバンドをしながらアルバイトをする生活を始める。その時私は未来を想像した。当たり前であるが何も見えなかった。バンドでプロを目指していたわけではなく、工事現場で石膏ボードやセメントを運んで一日の日当を貰い、その日のご飯を買い、酒を飲んでいたのだ。

明日仕事をしなければ明日は飯が食えない。昨日何に金を使ったのか覚えていない。そんな生活をずっとしていると、その生活から抜け出すのはかなり困難である。それは1ヶ月分の生活費が手元に無いからだ。今なら「貯めれば良いじゃないか」と簡単に考えるが、そもそもしっかり貯金なが出来る人間はそんな生活に陥らないのだ。10年後、20年後の未来だと?そんなもの見えるわけないだろう。1ヶ月先が見えないのに。1週間先すら。

転機はバンドを辞めてからである。仕事を頑張ってみようか。入社したその会社は月給が12万、一日18時間労働の超絶ブラックであったが、金がないことに慣れていた私は「仕事」とちゃんと向き合ったのだ。誰の役にもまだ立っていない私が金を貰えないのは当たり前だ。私はこの時「仕事をして金を稼ぐ」ことよりも「金を貰える男になろう」と心に決め、「金を貰える男」達に近付いて徹底的に勉強し、徹底的に「金を貰える男」達の真似をしたのだ。運良く今の私は少しだけ「金を貰える男」に近づく事が出来た。

私はずっと「普通」である。誰かの「普通」を押し付けられるのは真っ平御免だ。金を持っていようが持っていまいがそんなものは関係ない。ドロドロの作業着を着てボサボサの頭で人に避けられるのも、スーツを着て革の鞄を持っているのも「私」である。中身は何も変わっちゃいない。昔も今も哀れみをかけられる事など何も無い。スーツだろうが何だろうが、私は床下でも天井裏でも入る。私は何も変わっちゃいない。

今の私は「そっち側」にも行けるけど、私は「そっち側」から「こっち側」を見ないんだ。私はずっと「こっち側」にいたから。私は未だに「そっち側」の人達と「そっち側」で喧嘩するんだ。だってお前らは「こっち側」から「そっち側」を見たこと無いだろ?お前らが言う普通なんて私は興味無いんだよ。だって私は、今も昔もずっと「普通」なんだから。

まぁせいぜい「頭」使って頑張ってくれよ。我々は「身体」使うからさ。そんなに悲しそうな顔で見ないでくれよ。俺達は大丈夫だよ。何も奪われてなんかない。

 

だって俺たちゃ「そっち側」の事を、何も知らないんだ。

 

 

私の中のセックスとは何か

セックスが私の心を占める割合が減った。性欲が減ったのかと言われればそれはまた違う。人並みにまだ性欲はある。ただ今はあまりにも忙しいのでその性欲発散の優先順位は低い。それでも私は男である、人間である以上その性欲はちゃんとある。ただ闇雲に「セックスがしたい」とは思わなくなった、という話である。

若い頃、20代の頃はバカ或いは猿のようにセックスをしていた。特別容姿が整っているわけではない私でも、「バンドマン」という場所に立っていたのでそれが簡単に手に入る環境であった。「ホテル行く?」と言えば「行くー♪」と返ってくる、そんな場所に私はいたのである。誰でも良い。ただその人が私の目の前にいたから、私はセックスをしていた。

私の中のセックスとは一体何なのか、と今振り返るとただの承認欲求であり、ただの独占欲であった。どこかの誰かに私の存在を知ってもらう行為、認めてもらう行為だったのではないか。若しくは、私自身が、私の存在を確認する行為か。何れにせよ若い頃の私は、誰かとキスをして、誰かと肌を重ねて、誰かを私の籠の中に閉じ込めること、を繰り返した。

私の中のセックスが承認欲求であったなら、今の私がセックスを求めないのも納得がいく。必要以上に誰かに知ってもらいたいとは思わないし、誰かを私の中に隔離する必要も無い。「エロ」「射精」だけが目的なのであれば、自慰や風俗でその欲求は満たされるだろう。わざわざ誰かに恋愛感情を持ってセックスしなくてもよい。それをやって、今の私に、その先に何があるのだ、と問われれば多分何も無いと言い切れるだろう。

現実社会でもここネットでも「コイツら何でそんなにセックスしたいんだろ」と思う人間がわんさかいるわけだが、自分の「居場所」を確保するのに躍起になっているのかなと、頬杖をつきながらいつも観察している。「中に出しても良い?」と男が言うのは、相手の女の覚悟を握り締めたいから、安心したいからだ。そこにしか居場所を見い出せない男の末路は悲惨である。野菜を一日1kg食っても間に合わない。

これからのセックスを私はどう捉えていこうか。まぁこれほど醜くハゲ散らかして太っている私のような醜男を好き好んで寄ってくる女性は稀だから気にしなくても良いか。私のセックスの概念は今がちょうど良い。この年でセックスに溺れたりしたら要らぬトラブルを増やすだけである。セックスしたいという衝動が無いのは心と理性をコントロールしやすい状態にある。

我々はもういい大人である。遊びは遊びだとちゃんと線を引いて、自分の心と相手の心をぐじゃぐじゃに混ぜるようなセックスは私はしない。立ち振る舞いや所作をきちんと考えながら行動したい。いい大人がセックスで相手の心を揺さぶるのは下品だと私は思う。相手を好きだという感情、自尊心、我儘が全て混在したセックスは、それはもうモルヒネである。

 

おっぱいは別腹だから揉みたい←

 

 

ピッキングハーモニクスが鳴らなくて

今日は朝から病院に来ている。病院などいつも後回しの私にしては珍しい行動である。その理由は、このままではギターが弾けなくなるのではないか、と小さな不安が心の隅っこでチクチクと私を刺した。昨日の夜、バンドの練習でスタジオに入ったのだが、嫌な予感は的中した。ギターが弾けなくなっている。厳密に言うと弾けるのは弾ける。コードのガチャガチャや簡単なフレーズくらいは。ギターソロ・細かいニュアンスが壊滅的である。

ジャンルがジャンルなので妥協すれば問題ないのかもしれないが、絶望的なのはピッキングハーモニクス、これが鳴らない。私は若い頃からザック・ワイルドを神と崇め、そのスタイルを真似してきた。ポイントには必ずピッキングハーモニクスを多用するギタリストであるのに、そのピッキングハーモニクスが鳴らないのである。

原因は分かっている。首のヘルニアが悪化し右手がずっと痺れているのだ。弦にピックを持つ親指をほんの少し当てて高音を出すこの奏法、その「ほんの少し」が痺れによって感覚がない、すなわち、ハーモニクスが鳴らないのである。曲の途中、何度も鳴らそうとチャレンジしてみたが、その音は無様に間延びしていた。

別にそれくらい良いじゃんと思われるだろうが、このハーモニクスが鳴らないなら、ギタリストとしての私の個性は消えたも同然である。そう、今のバンドで私が弾く必要は無く、ギターが弾ければ誰でも良い。リアクションを封じられた出川哲朗と同じである。そんな出川を見て誰が喜ぶのか。熱々のおでんを顔面に押し付けられ苦痛に歪むその表情と絶叫が彼の真骨頂である。私の持ち味もヘヴィメタルのサウンドでありピッキングハーモニクスなのだ。

14歳の頃からずっと触っているギター。考えてみるともう30年になる。厳密には30歳で音楽を全て放棄し、生活の全てを仕事に打ち込んで、少し落ち着いた38歳くらいでまたギターを手にしたのかな?私がまたギターを弾いているらしいとどこから聞きつけたのかは不明だが、ウチで弾いてくれと打診があり私はその話に乗った。

いい年をしてバンドなどと思われるかもしれないが、10代の頃から遊んでいたクズの連中とまた、クズである私がクズの活動をするのはやはり楽しい。暴力的なその音楽とそこにいる排他的な集団は、私が存在する現実とは全く異なる世界観であり、人である。その人たちは何も言い訳せずに自分の楽しい事を何よりも優先しそして生きている。金が無い、仕事が無い、そんなものは関係ない。その強さに私は魅せられているのだ。

しかしながら私の思うギターが弾けないのなら、私がそこにいる価値など無い。ただただ甘えるだけとなる。まずは首の治療、自分の中で優先順位を上げて治す他ない。私のようなクズは、自分がクズだと認識して、クズなりに考えて、クズとして生きてゆくのだ。どうせクズなら、誰かに好かれるクズになりたい。だから私には、ギターとピッキングハーモニクスが必要なのである。

 

おくしゅり飲むにゃん(盛大に吐け)

 

 

寂しいと思ったことがただの一度もない

寂しいという感情が私には無い。一人で全く問題ない。そうやって言う人は本当の一人になったこと無いからだろと言われた事があるが、若い頃、10代の時に事情があって結構な独りになった事がある。しかしそんな事は本当は些細な出来事で、もしかしたら心を引き裂くような孤独、なんて味わった事が無いのかもしれない。しかし今まで生きてきた中で「寂しい」と思った事が無いというのは、紛れもない事実である。

私は「寂しさ ≒ 不安」であると考えていて、私は不安に思うことが殆ど何も無い。自信満々な嫌な奴と取られても仕方が無いが、ニュアンスが少し違う。どんな事が起ころうが「何とかなる」と思っているのだ。超ポジティブ。例え明日会社が倒産して数億の借金が出来て身の回り全てがボロボロになったとしても「何とかなる」と思っているし「何とかする」と思っている。これは所謂「お金」だったり「仕事」だったりの話である。

今までの生活、今の生活の殆どが「仕事」で占められているから、多分私に不安は無いし寂しさも感じないんだろう。私の思う理屈でいくと多少の寂しさはどんなものでも払拭出来る。現状の不安材料を細かく拾い上げて出来る範囲で解消してやれば良い。解決出来ない問題なんて無いと基本的に、本当にそう思っている。どうだ羨ましい程のバカだろう。ふはは。

このポジティブ思考はどこから来てるんだろうか。私は堕ちるところまで堕ちたら自分はどうなるんだろうといつも想像している。マグロ漁船か。誰かに殺されるのか。内蔵の売買か。戸籍を売り飛ばすホームレスか。なんだそんなものか。

 

「じゃあその環境で上手くやってやろう」

 

理想と現実をごっちゃにすることなんて無い。フリーターだろうがホームレスだろうが儲けてる奴ってのはどこの環境でも必ず近くにいるもんだ。私の友人でホームレス経験者ってのが結構いて、先日その当時の話を聞きながら盛り上がった。壮絶で悲惨で苦しいはずのその話を聞いて「オモロそうやなw」と言えば「オモロかったでw」と返ってくる。そいつの中ではホームレスの話はネタでしかない。

堕ちるところなんてたかが知れてるんだから恐れる事など何もない。私は堕ちることよりも諦めてしまう事の方が恐い。もうダメだなと思った瞬間、「私」が終わるんだろうなと思っている。もうダメかもしれないなぁという手前までは何度も経験したが、その都度周りの人達に私は助けられてきた。だから私も、誰かに「大丈夫だ」と手を差し伸べたい。

私は寂しいなんて思ったことがない。誰かに優しくしてもらったら誰かに優しくすれば良いのだ。ひょっとしてひょっとしたら、その輪が勝手に拡がっていけば私は「堕ちない」んじゃないか、と思ったという話。私が諦めなければ堕ちない。誰かに優しくしてれば堕ちない。堕ちなければ多分、寂しくなんかない。

 

頭髪の量は、かなり寂しい。

 

 

私はずっと怒っている

常に激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームである。ビッグバンテラおこサンシャインビーナスバベルキレキレマスターである。まぁどっちでもいい。私が何かをする時のエネルギーは常に「怒り」であるので怒っていないとモチベーションがダダ下がりするのだ。仕事のモチベーションは言うまでもなく、バンドのやる気は勿論怒りである。

え?なんでそんなに怒ってんの?と言われると返答に困るが、もう10代の頃から私は「怒るとめちゃくちゃ行動出来る」という事を認識していた。それを自身で気付くことになったのはある引越し屋でバイトしていた時の事だ。今でこそ引越し屋さんは一軒一軒綺麗な靴下でにこやかで爽やかで礼儀正しい青年が多く働いているが、我々が若い頃の引越し屋など「ヤンキーの巣窟」であった。

お客さんに失礼な態度は取らない(取っているアホもいたが)が、新人にやたら厳しいと言うか体育会系と言うかシバキ系と言うか虐め系と言うかまぁそんなものであった。私も知っててその引越し屋のバイトに入ったわけだから、多少の覚悟はしていた。家具や重たい荷物を持つのは持ち方やコツがあって、それを知らないと必要ない力を使う羽目になり疲れが倍増する。新人の私にそんな事が分かるはずもなく、すぐにバテていたが何とか毎日を過ごしていた。

ある日、私が嫌いなパイセンと言うかヤンキーとコンビになった。私より身体は小さくて、自慢話が好きなよく喋る嘘つきであった。面倒だなと思いながらその日は3軒の引越しを朝から行っていた。2軒目は比較的荷物が少ない家であったが、引越し先が賃貸マンションから新築戸建ての引越しだったのだ。新築はかなり気を遣うが段取りよく荷物が運ばれていった。

運び入れも終盤に差し掛かった頃、天板に石が貼ってあるテーブルがあり、一人では持てないので養生を取ってトラックで待っていた。一緒に運んでいる途中、室内の階段の所でヤンキーは早く行けと言わんばかりにグイグイと押してきたのである。テーブルと階段の間口はギリギリ。ちょっと待って下さいと言っているにも関わらずそのヤンキーは執拗に押してきた、その瞬間、階段のクロスを擦ったのだ。ヤバイ。ザックリだ。

ヤンキーは報告・謝罪に行ったので聞き耳を立てていると、慣れない新人の私のせいにしていた。あーコイツはクズなんだなとそこで認識し、私は何も言わずに、静かに怒った。一人では重量的に厳しい物も私は1人で運び、バテることなくそのヤンキーに「早く行けよ」的なプレッシャーを掛けながらグイグイ運んだ。休憩?アホか。お前だけ休んどけや俺運んどくから。しょうもないのう。と口にはせずとも顔や態度に出ていたと思われる。この時気付いたのだ。「あ、俺怒ってると結構頭と力が出るな」と。

仕事も、バンドも、このブログも同じだ。怒りがモチベーション。怒ってないと書けない。怒りは何も生まないという言葉をそこここでよく見かけるが、そんな事は無い。私は怒りながら色々生み出すのだ。知恵も言葉も体力も。コイツだけは絶対許さねえという負のパワーを表に出さずニコニコとしながら静かに怒る。先日Twitterでお嬢から「男の子ってずっと何かと戦ってるわよね」というコメントを貰った。そうだ。43歳のオッサンも意味もなく誰かとずっと戦っているのだ。

その闘志と諦めのバランスが崩れた時、男は堕ちるだけ堕ちてゆくのである。

 

戦えオッサン。