革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

人の本当の優しさは口を開けて空を見てるだけでは口には入らない

と言うようなことをある人と話していて思ったのだ。「本当の優しさについて」である。ほんの小さな優しさは私もよく振りまく。相手が誰だかよく分からなくても「ガム食べますか?」「飴一つどうですか?」程度のものは自分をすり減らすものでは決してない。ただただ与えるだけの小さな優しさ。しかしながら本当の優しさというものは、優しくする方も優しくされる方も衝突して傷つかないと見えないのである。片方が本当に大切に思いながら優しく気遣っても、片方が傷つくのを恐れて立ち止まるとその優しさには気付けない。これ以上痛いのは嫌だと踵を返してしまう弱さは、相手の本当の優しさを闇に葬るのだなと思った。私はインターネッツの関係性など希薄この上ないと思っている。誰一人本当の事など書いてなんかいないと。せいぜい飴やガムのやり取りをしてれば良いじゃないか。私は本当の事を書いている!という人もいるだろう。しかしそんなもの全ては伝わらない。「書き方」と「読み方」でその文章の本当の意味はまるで正反対になるのだ。こんな、嘘と虚勢と誤解しかないインターネッツで、ただジッとしてるだけでは誰かの本当の優しさになんて触れられるはずがない。誰かと分かり合うのなんて無理だ。存在してるのかどうかすら怪しい人と薄く繋がって深く傷つけ合うのは不毛以外の何物でもない。インターネッツなんてもっといい加減で良いし、はっきり言ってどうでもいい世界だと私は思っている。誰かの本当の優しさを知りたいなら、会ってちゃんと目を見て話をして、笑ったり怒ったりするのが本来の姿であると思う。我々の居場所は現実社会である。勘違いしてはいけない。ネットの言葉だけがどこかの誰かの本心ではない。現実社会でお互いを認識し、その人の言葉を耳で聞き、その人の優しさが少し見えた時、信用が生まれる。嘘か本当かは、相手の声と、目と、仕草で、自分自身が判断すればよろしい。

 

現実社会でおっぱい揉みたい。

 

 

派閥とかテリトリーとかにあまり興味が無い

若い頃から派閥とか集合体に私はあまり興味がない。

友達が誰々の事嫌いだから俺も近寄らないとか、あのバンドはあのグループだから話さないとかそういう類の、よく分からない人間関係の動き方をしていなかった。だから友人やバンドでは結構幅広い人脈を持つことが出来た。

友人はオタクからナンパ野郎、ヤンキーやDQN、堅い職業からアングラまで、バンドに関してはパンクだけではなくロックンロールからヘヴィメタルヴィジュアル系まで仲の良い奴がいた。

今の仕事でも同じである。会社やそこの社長は嫌いだけどそこの社員とは仲がいいとか、対立している会社の両方と仲がいいなんてのはザラである。もちろん派閥で分かれている人達が大半である。そこであっち行ってゲラゲラ笑い、こっち行ってグヒャヒャと笑っているのは私だけである。

そうしながら周りの人達を見ていると、横の繋がりのない会社や人間は必ず情報が偏っている。当たり前だ。お互いに情報を隠しあっているんだもの。自分達で視野を狭くしている。これは気付かずにやっているのではなく、気付いているのに派閥や人間関係に縛られ囚われて動けないのである。

そこにあっちこっちでウロウロしてヘラヘラしている私は重宝がられるのは言うまでもない。決して情報を漏らしているわけではない。お互いに必要な話はしといた方が良いんじゃないの?的な場合の「繋ぎ」で呼ばれるのだ。誤った情報や既に決定した事項などで自社のロスをなるべく減らしたい場合の「繋ぎ」が多い。そして最新の情報が私にいつも来るという美味しい話なのだ。

ここのブログやTwitterも同じである。「誰と誰が繋がってるか」は私はどうでもいい。「私は誰と繋がりたいか」であり「私は誰と話したいか」であり「私は誰に会いたいのか」でしかない。会いたいと言われれば尚更である。断る理由は何も無い。となると情報量は数倍・数十倍となるわけだ。別に情報が欲しくてブログやTwitterをやっているわけではないが。

私の思うここインターネッツの楽しい点は「何かを知れる」という事だけだ。その情報や人間関係を派閥などで遮断する必要は私には無い。誰かといるから私から離れるというなら、離れてもらっても構わない。それで最終的に一人となるなら私の魅力などそこまでなのだ。楽しい場所を楽しい場所としてあり続けるには自分自身の動き方が左右する。

「最悪一人」を覚悟しながら、私は好きな人を増やしていくのである。

 

ずっと一人だけど。

 

 

誰の味方も出来ない

その怒りは優しさから生まれた怒りで、誰かが誰かを守ろうと必死になっているのが見て取れる。私が中学生の頃夢中になった漫画がある。言わずと知れた湘南爆走族、湘爆である。その漫画にこんな一幕がある。30年前に読んでいた漫画で朧気な記憶しかないのでご了承頂きたい。湘爆率いるリーダーの江口、地獄の軍団のリーダー権田は敵対するチームでありながら、心の中ではお互いを認め合い、チームが違えば親友になっていたんだろうなという関係性。いつも啀み合い、イタズラを仕掛けては笑い合い、嫌いだムカつくと言い合っていた。ある日事件が起きる。地獄の軍団のペーペーが誰かにシメられた。そのペーペーは言う。「湘爆にやられた」と。権田は思う。アイツがそんな事するわけないだろう。しかし話は次第に大きくなり、湘爆と地獄の軍団の対立は激化する。これ以上、事を大きくする訳にはいかないとリーダー同士のタイマンが行われる。ペーペーは嘘をついていると分かっているのに俺は仲間を信じるというスタンスの権田、自分達は何もしていないが権田の立場を全て理解して立ち向かう江口。お互いに一歩も引かずボロボロになるまで殴り合うのだ。それを見ている仲間たちは「もしかして二人とも分かってるんじゃないか…」「あの二人何で殴りあってるんだ?」「悲しいな」と声に出さずそれぞれが思う。そして権田は仲間に殴り掛かる。「お前ら何年湘爆と喧嘩してんだ!」「ふざけるな!」「なんなんだこれは!」と。最後は黙って何も言わずに別れる。誰かを守るために誰かが泣くのは見てられない。本当に悪い奴がいれば良いんだけど、こういう悲しい喧嘩には絶対悪が存在しない。優しさに牙が生えると悲しいのだ。

 

ただのヤンキーの話、湘南爆走族のレビューです。

 

 

 

オッサンにだって希望はある

不覚にもこのフミコ氏の記事を読んで目を潤ませてしまった。最初に断っておくがお二人との面識など全くない。私が勝手にお二方のブログを読んでいる、ただの一読者である。

では何故関係のないお前のようなオッサンが感傷的になっているのだと言われると、お二人が楽しそうにしている様子をブログで見ていたからである。本当楽しそうだなー良いなーと思いながらその時そのブログを読んでいた。私にはそのテキストが本当に楽しそうに見えた。

オッサンだって楽しい事は沢山あるしやりたい事も沢山あるんだとその記事を読みながらニタニタしてしまった。希望は若者たちだけのものではない。40代になった我々だって希望はあるし、逆に我々おっさんにしか掴めない光がある。

私も死ぬほど忙しいし寝れないし色々大変だけど今はすごく楽しい。Hagex氏も本業を上手くこなしながら、次はこうしたい、ああしたいと色んな事を思い描いていたんだろうと沢山の追悼記事を読みながら想像する。

そんな光を掴もうと頑張っている人が、ロクに頑張ってもいない人物に、頭のおかしな人物に、闇を抱えた人物に、突然その光を塞がれるのである。こんな理不尽な事は無い。同年代のオッサンとしてこんなに悔しい事は無い。こんな無念は私には想像できない。

40代なんてなってみれば分かるけどまだまだなんだよね。もうね、全然よ。知らないことは沢山あるし知りたいことも沢山ある。これからがもっと面白いのよ。でもそうやって視界がブワーっと広がって見えるのは頑張ってる人だけなんだと思う。

色んな事にチャレンジしてるHagex氏をこれからも見ていたかったなと思った次第であります。あんなクソみたいな野郎共に生き残っている我々が決して屈してはならぬ。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

世界の終わり

私はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの事をあまり知らない。若かりし20代の頃にテレビか何かで見た時、パンクでカリカリだった私は「こんなのパンクでもなんでもねえ」とTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの一切を拒否し遮断した。そして私がバンドを辞めて一般人に溶け込んでいたある日、ラジオかなにかで改めてTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの曲を聴いた。世界の終わりだった。カッコイイ曲だなぁと思ったが音源は買わなかった。そしてまた少しするとアベフトシの訃報をニュースで知った。

死んだらどうなるの?という増田を先日読んだ。死んだらどうなるの?アベフトシはあの日から止まった。生きていたら今は50過ぎであのギターはもっと変化してもっと深みが出てもっとカッコ良くなってたんだろう。アベフトシが死んでから私は少しずつ、一曲一曲THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを聴き始めた。メジャーな曲からアルバムの曲まで。それはどれも私の神経を触るものばかりでいつも興奮するが牛丼をかき込むような聴き方はしてない。一曲一曲気が向いた時に聴いてる。

アベフトシはあの時から止まったのか。否、私の中では止まってない。アベフトシのギターが私の耳に入り、私の手に伝わり、ギターの弦を振動させ、スピーカーから音が出てくる。自分達の曲を演奏していても、たまに「アベフトシみたいな弾き方だなw」と1人でニヤついている。遅めの8ビートに16のコードストローク。あの人がいなければ、あの音を聴いていなければ私はあんな弾き方は絶対にしない。アベフトシはこの世に「あの音」を残し、あの音を聴いた人に入り込み、新しい音を作り出すのである。

 下に貼り付けてある動画のアベフトシの表情が好きだ。この時何を見てたんだろうなーなんて思いながらこの動画は何十回も見ている。ロックンローラーはみんな早死にするけど、その音を残してその音を聴いた我々に入り込んで離れない。人間は死んでも「無」にはならない。

 


世界の終わり / thee michelle gun elephant - YouTube

愛敬相

はてなの言及というのは、後ろからいきなりドンッ!と背中を押される「行為」である。驚いて後ろを振り返ると反論や批判が降って湧く。しかしよくよく見ていると悪い事ばかりでもなく、背中をツンツンと押される「好意」も他ブロガーの記事を読んでいるとあるにはあるようだ。私は未だそんな甘酸っぱい好意をここはてなで受けた事は無いが。いつも嘲笑され、欺かれ、罵倒され、攻撃されながら、ここはてなに虫の息で生息しているのである。そして気付くと言及通知のアラームがPC画面の隅っこで点灯していた。

nemurenai-same.hatenadiary.jp

はてなの狂鮫、さめ氏である。噛みつかれるとちょっとやそっとじゃ離さない強靭な咀嚼力を持っているので噛まれるとかなり厄介だ。私はなるべく誰にも見つからないようにグダグダとはてなに文句を垂れ流しているのだがどうやら視界の端っこで捕らえられたようである。内容を見てみると、さほど私の記事に怒っている風ではないので「ついでにコイツも入れといたろ。何か書きよるやろ。」的なものだろう。しかしながら私も男の子である。先日も「殴られたら殴り返す」と書いたところなので持論を書いてみよう。女性を殴る趣味は無いのでピコピコハンマーを構えながら。

「泣き声がうるさい」「騒ぐと迷惑」これらの所謂「騒音」や「喧騒」で迷惑が掛かっているのは、当たり前だがどの親も承知している。承知していないDQN的な例外もいるんだろうが、ほぼどの親も分かっている。静かな電車内で泣きだしたら泣き声がうるさいことなど分かっているし皆申し訳ないと思っているのだ。その上で、だ。「うるせえもんはうるせえんだよ」「こっちは我慢してんだよ」と誰が思っているのかも分からないその状況でどう対処するべきなのか。全てを完璧に対処するのは中々難しい。ケースバイケースであるからである。

この話は多分どれだけ議論しても平行線だと思われる。赤ちゃんは泣くし泣けばうるさい、子供は騒ぐし騒げばうるさい。気にしない人もいるし、うるさいと感じる人もいるのだ。我慢してください、協力してください、なんて私は思わないし言うつもりもない。では何故貴様は書くのかと言われれば、さめ氏の記事にもう書いてある。

育児中って本っ当にしんどいから

他人の目線1つに傷つくし

他人の一言に救われるんだよね。

 

だから

小野さんの言及した元のツイートは消えちゃっててよめないけど

できることなら

ツイッターとかブログとか目につくとこに

あんまりきっついこと書かないであげてほしいなとは思う。

そんな人ばっかじゃないからあんまり委縮しなくて良いんじゃね?的な声を挙げているに過ぎない。ギャァァァァァァー!!!と泣いてても「おー赤ちゃん頑張ってるなー。泣け泣け。」と思う人もいるのだ。心が広い狭い、余裕がある無い、ではない。我々は気にならないのである。単純な話だ。だから赤ちゃんや小さな子供がいる人達は「うわぁ...どうしてもあそこに行かなきゃいけないけど電車乗るの嫌だなぁ...」「あそこで食事しないといけないけど赤ちゃんいるしなぁ...」なんて思いながら引きこもる必要などない。全員が全員「うるせーぞおい」なんて思っちゃいない。

つらつらと書いたが私もただのその辺のチンピラである。嫌いな奴は沢山いるし悪口も文句も言う。人それぞれ嫌なものは違うんだからそれだけを見て卑屈になる必要はない。私は目の前で泣かれても気にしないし、子供がキャッキャと楽しそうに暴れていても問題ない。そういう人もいるんだと認識して頂き、少しは気を楽にしてもらえれば幸いである。私の座右の銘は「取らんと欲するものはまず与えよ」で、営業のやり方から何からまずこの言葉を思いながら日々生活している。このブログに書いていない私の所業は許しがたいもの、それは悪そのものばかりである。優しく出来るところはせめて優しくありたいと思っている。

 

ピコン!

 

 

貴方の悪夢の上でどうか踊らせて

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その日私は疲れていた。言語の分からない口喧嘩のような打ち合わせを朝からぶっ通しで行い、図面と相手の表情を確認しながら指示決定をしていると夕方頃から激しい頭痛が私を襲った。簡単な夕食をメンバーと一緒に済ませ、ホテルの部屋に早々と戻った。打合せ中は見ないようにしていたOutlookを開くと、日本の仕事を一通また一通と次々に受信してゆく。深いため息をつきながら煙草に火を点ける。部屋の小さな冷蔵庫に買い溜めしてあるミネラルウォーターを取り出して一気に飲み干した。パソコンの電池残量が少ないとアラームが鳴ったので備え付けの奥行きの無いデスクにパソコンを置いて充電をした。

デスクの隅にふと目をやると、ホテルのファイルが置いてある。何気に開けて見てみると「マッサージあります」と日本語で明記されたパンフレットが入っていた。これは助かる。価格を見ると60分で 340,000(1,700円程度)とある。すぐに部屋備え付けの受話器を取り、フロント直通の「2222」を押した。マッサージをお願いしたい旨を伝えると、電話先の女性スタッフが片言の日本語で「ワカリマシタ。ベトナム式ト、タイ式、ノ、ドチラニ、シマスカ?」という問いがある。う~む。ここはベトナム。折角なのでベトナム式でお願いしたいと私は受話器を置いた。

「さてどうしようか。」

再度ベッドに倒れ込んで煙草に火を点ける。天井を見上げながら煙を吐き出し、今期の仕事量の事を考えた。お客さんから声を掛けて頂く案件ばかりなので断れないから請けてはいるがもうそろそろキャパオーバーである。人を雇おうにも専門的過ぎて使えるまでに3年は掛かる。仕事が無くて一人で走り回っていた時期と、こうやってそこここから声を掛けて貰えるようになった期間が短すぎて捌ききれない。昔からお世話になっているお客さんも沢山いるので金額で優先順位を決めるわけにもいかない。しかしながら儲かる仕事をしていかないと会社が存続しない。また深い溜息を煙と一緒に吐き出した。

「ビー」

部屋のブザーが鳴った。いきなり大きな音が鳴ったので驚いて飛び起きた。そうか。マッサージを呼んだんだった。とりあえず目の前の仕事を一つ一つこなしていくしか方法は無い。私にブラックもクソも無いのだ。お客さんの期待に応えねばならない。一時間だけでも仕事の事は忘れて、このマッサージで身体の隅々まで血液を流すのだ。私は部屋のドアに近付いてそのドアを開けた。

施術士は女性だった。年のころはどうだろうか。30代前半~ぐらいに見える。「ヨロシク、オネガイ、シマス」笑顔で部屋に入ってきた。改めてその女性の全身が私の目に入る。派手だな...。想像していたのは作務衣か白いユニフォームだが、その女性は上半身は黄色のシースルーにキャミソール、下半身は「そんなのどこに売ってんの?」というホットパンツである。どうだろうかこれを読んでいる諸君。私は嫌な予感しかしなかった。しかし私はまさか1,700円でエロマッサージは無いだろうと高を括る。

どうしたら良いか私は彼女に聞いた。始めは笑顔であったが態度がやたらと高圧的である。彼女はTシャツを脱げと私に指示をする。マッサージなのに上半身裸になんの?と思いながらTシャツを脱ぐと、下の短パンも脱げと彼女は言う。「は?なんで?」と聞き返すも、彼女はぶっきらぼうに早く脱げと短パンを下に引っ張る。何これマジで?私は彼女の言うがままにパンツ一丁となった。とりあえずうつ伏せになってベッドに寝転ぶと、彼女は私に跨って背中にオイルを塗り始める。

「ちょっと待て」

私は彼女にパンフレットを取るように言った。私が頼んだのはオイルマッサージではない、ベトナム式のマッサージだ。価格は合っているのか?このコースで間違いないのか?と問うた。彼女は言う。間違いないと。海外では「やったんだから金をくれ」と平気で言う輩が多い。まぁ、サービスでやってくれてるなら良いかと私は再度ベッドにうつ伏せになった。オイルで滑らせながらのマッサージは思いのほか気持ちの良いものだった。5分おきに彼女は言う。「キモチイイカ?」私はそれを言われるたびに「キモチイイデス」と答えた。何の罰ゲームなんだこれは。黙って揉め。

そうこうしてるうちに疲れている私はウトウトとしだす。ガチガチに固まった筋肉が解れていくのを感じながら、意識が遠のいていきそうになったその瞬間、私は違和感を感じて目が覚めた。パンツを半ケツまでずらされてお尻のほぺたをキュイキュイとつまむ。私はお尻はこっていない。そう思っているのも束の間、際どい所までオイルで滑りながら指が入って来たので「NO!」と言って手を払いのけた。彼女は私の股間を指差しながら言った。「ココ、モ、マッサージ、スル?」私は言った。「No Thank you」と。彼女は何度も「ココモマッサージスル?」と聞いて来たが私は頑なに断った。それは何故か。

ハノイはそういうエロ系にかなり厳しい地域であり、見つかると最悪ブタ箱に放り込まれる可能性があると私は事前に聞いていた。それでなくとも海外で何の病気があるのか分からないのに、安全が担保できない素性の分からん女とまぐわう気は毛頭ない。毛はまだある。そして本来は接客業であるにも拘わらず高圧的な態度と「ニホンジン、チ〇コ、ファファッ、ト、シタラ、ヨロコブ、ン、ヤロ?セヤロ?」的な思想が気に食わない。私は疲れているのだ。筋肉をほぐせと言ってるのであってチ〇コをほぐせとは言っていない。あと言い忘れたが彼女は白鳥沢麗子に酷似している。諸君は知ってるだろうか。まぁ念のために参考資料を貼り付けておこう。

 

 

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 白鳥沢麗子

 

 

申し訳ないが部屋に入ってきてその派手な格好を確認した瞬間「お前なんでそんな恰好してんの?」というのが私の感想である。人を見た目で判断する気は無いが、その高圧的な態度や「ドヤ、ニホンジン、オイ、ニホンジン」的な思考が気に入らない。現に何をされても血流など無い。その後もしつこく私の秘部を触ろうとするも手をパチンと叩くを繰り返した。「えxcyjんkm;ljtchj!!!」と何やら文句を言っているようだが無視である。貴様が簡単に触れるほど私も落ちぶれちゃいない。さっさと仕事しろ。それらを10分も繰り返されるとさすがに私ももうめんどくさいので頼んだ料金の倍を払ってもういいから帰れと帰らせた。

まったくこんなところで私は何をしているんだとまた溜息をつきながら煙草に火を点ける。ベッドの横には全身を写す姿見が壁に備え付けられていた。そこに写っているのは疲れた顔をした、醜くブクブクと太り禿げ上がった、全身をオイルまみれにされてテカテカに光らせながら肩を落としている引退前のモンゴル相撲力士である。半ケツのパンツを上げる気力も私にはもう無い。そのまま部屋の窓を開けて街を見下ろす。裸電球と安物のネオンがチカチカと私の視覚を刺激する。傷だらけの私の心を誰か優しく包んでくれないだろうか。夢の中で誰か抱きしめてくれと心の中で叫びながら私は眠りについた。

 

半ケツで。