革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

ピッキングハーモニクスが鳴らなくて

今日は朝から病院に来ている。病院などいつも後回しの私にしては珍しい行動である。その理由は、このままではギターが弾けなくなるのではないか、と小さな不安が心の隅っこでチクチクと私を刺した。昨日の夜、バンドの練習でスタジオに入ったのだが、嫌な予感は的中した。ギターが弾けなくなっている。厳密に言うと弾けるのは弾ける。コードのガチャガチャや簡単なフレーズくらいは。ギターソロ・細かいニュアンスが壊滅的である。

ジャンルがジャンルなので妥協すれば問題ないのかもしれないが、絶望的なのはピッキングハーモニクス、これが鳴らない。私は若い頃からザック・ワイルドを神と崇め、そのスタイルを真似してきた。ポイントには必ずピッキングハーモニクスを多用するギタリストであるのに、そのピッキングハーモニクスが鳴らないのである。

原因は分かっている。首のヘルニアが悪化し右手がずっと痺れているのだ。弦にピックを持つ親指をほんの少し当てて高音を出すこの奏法、その「ほんの少し」が痺れによって感覚がない、すなわち、ハーモニクスが鳴らないのである。曲の途中、何度も鳴らそうとチャレンジしてみたが、その音は無様に間延びしていた。

別にそれくらい良いじゃんと思われるだろうが、このハーモニクスが鳴らないなら、ギタリストとしての私の個性は消えたも同然である。そう、今のバンドで私が弾く必要は無く、ギターが弾ければ誰でも良い。リアクションを封じられた出川哲朗と同じである。そんな出川を見て誰が喜ぶのか。熱々のおでんを顔面に押し付けられ苦痛に歪むその表情と絶叫が彼の真骨頂である。私の持ち味もヘヴィメタルのサウンドでありピッキングハーモニクスなのだ。

14歳の頃からずっと触っているギター。考えてみるともう30年になる。厳密には30歳で音楽を全て放棄し、生活の全てを仕事に打ち込んで、少し落ち着いた38歳くらいでまたギターを手にしたのかな?私がまたギターを弾いているらしいとどこから聞きつけたのかは不明だが、ウチで弾いてくれと打診があり私はその話に乗った。

いい年をしてバンドなどと思われるかもしれないが、10代の頃から遊んでいたクズの連中とまた、クズである私がクズの活動をするのはやはり楽しい。暴力的なその音楽とそこにいる排他的な集団は、私が存在する現実とは全く異なる世界観であり、人である。その人たちは何も言い訳せずに自分の楽しい事を何よりも優先しそして生きている。金が無い、仕事が無い、そんなものは関係ない。その強さに私は魅せられているのだ。

しかしながら私の思うギターが弾けないのなら、私がそこにいる価値など無い。ただただ甘えるだけとなる。まずは首の治療、自分の中で優先順位を上げて治す他ない。私のようなクズは、自分がクズだと認識して、クズなりに考えて、クズとして生きてゆくのだ。どうせクズなら、誰かに好かれるクズになりたい。だから私には、ギターとピッキングハーモニクスが必要なのである。

 

おくしゅり飲むにゃん(盛大に吐け)