革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

そしてあの日から私が見る世界はキラキラと輝きだした

どうですか皆さん、幸せですか?最高ですか?良かったです。私も幸せです。何が幸せなのか、と問われても具体例は何もありませんが「不幸ではないこと」が幸せなんだと自分に言い聞かせながら日々イバラの道を痛みに耐えながら歩いているところであります。

私が生きているこの世界はこれまでも、今も、これからもキラキラと輝いている。思い起こせば14歳の時、学校の授業で使用する竹刀をギターに見立ててブルーハーツを聴きながらエアギターみたいに掻き鳴らしているところを親父に見られ、不憫に思った親父は私に週刊誌の裏表紙に広告を出してるような安エレキを買い与えた。届いたその日から、ギターケースを開封したその時から私の世界はキラキラと輝きだした。毎日ギターを練習して毎日磨いて毎日大事に抱いて寝た。

私には自慢できるような学歴も大きな会社に勤めた実績も何も無い。好きに生きてきた。10代の頃にはすでに「頭の良い仕事は頭の良い人達がすれば良い」と、70歳くらいになっても自分は工事現場にいるんだと諦めそして少しの不安が私の心の片隅にあった。しかしながら悲観していたわけではない。この頃も、いつも目の届く所にギターがあった。上手いとか下手とかそんなものはどうでもいい。私はギターが大好きだったんだ。

オッサンに片足を突っ込んだ30代の時にふと周りを見渡した。皆必死に働いていた。もちろん私も必死に働いた。エリート達とも話をしたり飯を食ったりした。その時あれ?と思った。私と彼らに圧倒的な差があるのかと言うとそんなものは無かった。当たり前のように愚痴を言い当たり前のように金が無くそして当たり前のように仕事と生活に追われていた。

厳密に言うと差はある。それは大きな会社での仕事のやり方やスピード「当たり前に出来る仕事の精度の高さ」である。我々のような小さな会社には太刀打ち出来ない。ここにやり甲斐やモチベーションを見いだせる人達はその会社や仕事を楽しんでいるが、私が出会う人達は金やステイタスや立場を重視し、そしてあの頃思い描いていたものと違うと嘆いた。

40代になった私は未だ時代に合わないブラック能、頭のおかしな男として仕事をしている。当たり前だが我々のような小さな会社は止まると壊れる。大変ではあるが苦痛ではない。私は今まで好きにやってきた分を取り戻さないといけない。追いつかないといけない。とはいえ時間は皆平等に過ぎていくのだ。時間を取り戻すには皆が休んでいる時、皆が寝ている時しかない。絶望なんてしない。そこに大好きなギターがある。

この先私がどうなるのかなんて分からない。今は上手くいっていても、来年、3年後、10年後に自分の意思とは関係なく全てが壊れるかもしれない。しかし私は怖くはない。私の強みは金にもステイタスにも全くと言って良いほど執着がない事である。元々私には何も無いんだ。どうでもいい。誰かに必要とされてればその何かはあるだろうし誰にも必要とされないのならその時その何かは無い。ただただそれだけである。あの頃、老人になっても工事現場にいるんだろうなと想像していたその姿に私はなるだけだ。

私が見る世界はこれからもキラキラと輝いている。1本だけ、私は1本だけGibsonのギターを持ってるんだ。何もかもが壊れても、私はこのGibsonだけ持ってフラフラとどこかに行くのだ。金も服もいらない。その辺の道端で毎日ギターを弾きながら毎日Gibsonを抱いて寝るのだ。14歳の時に買ってもらった安いギターが、当時死んでも買えないと思っていたあのGibsonに変わっている。最高である。

私の事はどうでもいい。私の周りが豊かになるように、私はこれからも頑張って仕事をするとそれだけである。私はあの時から何も変わっていない。何も問題ない。

 

というような事を抜歯した奥歯のとこにスポッと入った米粒を1時間半ほどベロで必死にとりながら考えていました。取れないんですけど?チョー怖いんですけど?どうすんの?これ?大丈夫?死ぬの?

 

俺死ぬの?