亡霊の戯言

どんな理由があれど悪は悪。価値観?知るかそんなもん。

「僕は、いらない」と言いながら私は大人になった

「僕いらない」は、私の小さな頃からの癖である。皆が「わあぁぁ」と取り囲んで喜ぶような物でも僕は要らないと言っていた。当時何故そう思っていたのかは覚えてない。今は分かる。欲しがって手に出来ない可能性があるなら最初から欲しがらない方が良いと思っていた。皆が欲しがるガンダムを欲して取りに行くよりも「僕はジムで良いよ」と思っていた。確実に手に出来るジムを欲し、そしてそのジムの格好良い所を必死で探す子供であった。これは例えなので私はガンダムを全く見ていないし知らないのでご了承頂きたい。キン肉マンならロビンマスクウォーズマンを取らずにジェロニモを選ぶような子であったのだ。その「感覚」は大人になるまで、そして今もある。欲しがらない。期待しない。私は昔から欲しいものが無い。持っておいた方が良いんだろうなという買い方をする。100円持ってれば50円の適当な物を買う。だから私が今手にしている物は全てそういう物である。車も、時計も、服も、何もかも。一番のステイタスが手に出来るぐらい頑張って二番手・三番手を買うのだ。だから私は自分で何が欲しいのか分からない。やはり、欲しいものなど無いのだと思う。しかしながら、こんな私でも仕事だけは別であった。では仕事で頑張って私は何が欲しいのか。金か。金は必要以上は要らない。地位か。そんなものも、仕事の精度が高ければ勝手に上がるから、別に率先して欲しいとは思わない。期待していないと言いながら、私は何かに期待してこれだけ仕事をしているのではのいか。「成功」と言われてもその「成功」の定義が分からない。ブロガー達が口にする「月100万稼ぐこと」が成功なのか。仕事の色んなプロセスが楽しい私は金を目標になんてしない。と、ここまで書いて分かった。楽しいから、面白いから続いているのだ。私が欲しいものは「楽しい事」だ。「楽しい事」は金や名誉で手に出来ない。高級クラブのお姉ちゃんも高級外車も私には必要ない。この「ずっと楽しい」がいつまでも続くように、私は明日もドロドロの作業着を着て、職人と冷たい弁当を食いながら腹を抱えて笑うのである。そうやって手にした金は、自分でも驚くほど嬉しくて、私の中の価値が高い。これからも私は、自身の器以上のものは必要ないし欲しがらない。