革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

パワハラやブラック企業の話を聞くとウンザリする

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私はこの人のブログがあまり好きではない。読者登録も早々に外したしTwitterも見ないようにしていた。ふと今日のはてなブログのトップを見るとデカデカと鎮座していたのでポチーと開けてしまった。

 

警察は相変わらずである。

 

 

いまから10数年前、私上司を撃った彼と同じく、

18歳で警察官になり上司からパワハラを受けた。

 あの事件はパワハラだったのだろうか。ニュースでしか見聞きしていないので真相は分からないが、どこのニュースでも「叱責されたので撃った」「怒鳴られたからやった」と書かれている。叱責がパワハラなのか。ニュースを見て私が思ったのは素直に「撃った奴の頭がおかしい」である。昔ながらの体育会系・厳しさなどはあるのかもしれないが、叱責とパワハラを紐づけて書くこの記事は読んでいて気分が悪い。

警察がクソだというのは簡単だ。警察内部の事情なんて私は知らないし毎日のように不祥事だってある。しかし、私が今、外へ一歩出て包丁やバットを振り回すアホがいたとする。私は何の躊躇もなく110番で警察を呼び、その警察官は命を懸けて私の替わりに戦ってくれるのだ。警察官は我々一般人より強い。当たり前だ。身体も心も我々より強くなるべく、日々訓練している、してくれているのだ。警察官になろうと志す人を私は無条件にカッコイイと思うし尊敬する。全ての危険に立ち向かう警察官は強くなければいけないのだ。警察内部の教育の厳しさはそこに理由があるのではないかと私は思う。

 

警察が不祥事を起こすたびに、

このブログのアクセスが急激に伸びる。 

 

最近は数日で40万を超えるアクセスがあった。

いかがなものかと思う・・・・

 

さてさて・・・・上司を射殺か・・・・

 

警察だけでなく、社会に足を踏み込むと、

ぶっ殺してやりたい上司の一人や二人いるもんだ。

 パワハラはダメだ。そんな事は私にでも分かる。しかしこの話はどうなんだろうか。警察の不祥事なんだろうが、この殺された警察官はぶっ殺してやりたい上司の一人だったんだろうか。

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警察をクビになった著者が当時どんな酷い事をされたのかは私は知らない。が、この記事を読むとまるで被害者上司のパワハラが原因での犯行のように受け取れる。こんな浮かばれない話があって良いものか。厳しいのがパワハラなのか。ブログでは恐ろしい数字のPV数を叩き出し、本を出し、莫大な数のフォロワーを持つ、今は強者となったあなたはこんな記事を書くべきでないと私は思う。今まで人より大変な思いをしてきたんだろうが、恨み節や呪いのような文章ではなく、せっかく強者となったのだから人を笑わせるような文章を書いてもらいたい。嫌なら見るなと言われるんだろうが、私はこの手のパワハラブラック企業の話を聞くのはもうお腹いっぱいだ。そろそろ私は「じゃぁどうすれば良いのか」という改善策が聞きたい。人が死んだ話をわざわざ私は聞きたくない。

 

 

世界でいちばん熱い夏

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何を隠そうキッズの頃の私はブルーハーツだラフィンノーズだのとパンクの皮を被ってイキがりながら家ではこっそりとプリンセスプリンセスを聴いていた。そのきっかけは何の番組か本だったかは忘れたが、ギターの中山加奈子がキースリチャーズのポスターと一緒に写っている姿があまりにも色っぽくてカッコ良かったからである。ダイアモンドのPVだったかな?忘れた。そして家ではプリプリのレコードをかけてギターのコピーをし、外ではロン毛をなびかせてそこら中にメンチ切りながらパンクロッカーを装う心の不安定な高校生であった。余談だがロン毛など流行らないその頃に校則違反で髪を伸ばしていたので、学校の鬼教官に髪を引っ張って引きずり回された挙句その鬼教官の必殺技は「インキンアタック」であり、ノーパンにホットパンツの鬼教官が私の顔に跨ってインキンをグリグリされるという「笑ってはいけない」でもそんな罰ゲームは無いであろう罰を受けていた。記録ではない記憶に残る教官であった。今やったら教育委員会に叱られますよ教官。元気ですか?私は元気です。話を戻そう。まぁそんなロクでもない高校生だった私は女性が苦手であった。百貫デブだった私は高校ですでに痩せてはいたが、これは初めての彼女が出来る前の話である。デブを拗らせた私は「俺に彼女なんて一生できない」「こんなブサイク好きになってくれる女なんていない」「ギターが俺の女」「お前(安物の最初からネックが反っててチューニング合わないギター)が傍にいてくれたら良いよ...」「あー空からラムちゃん降って来ねえかなー」などといつも思っていたわけだ。しかしながら当時の私はパンクロッカーである。教室でイチャイチャしてるパリピを薄目で見ながら全身から怒りを醸し出していた。クソッタレが。俺は終わらない歌をずっと歌っててやるよ。とブツブツ言いながら教科書の端っこに☮マークを書いていると後ろから誰かが私に声を掛ける。「お前ギターやってんの?」何だお前は馴れ馴れしい野郎だな。ぶっ飛ばすぞこの野郎と思いながら口から出た言葉は「うん...」である。チキンである。ファミチキである。ファミチキパンクである。ファミチキパンクはその頃からギターマニアだったので高校生にしてはかなり詳しい方だった。そのいけ好かない野郎はギターの話をするうちに大親友と化し一緒にバンドをやる事になった。コイツは誰でも知ってる後の大スターになるのだが私の身バレが恐いので秘密にしておく。今は何やってんのか知らん。そのスターは高校でもスターだった。メチャモテ。いつも周囲に4~5人の女子が群がっていた。そんなスターが休み時間には私の所に来てギターの話をして帰っていく。いつの間にか私の周囲にも女子がいる環境になったのだ。何これ。ウマい。ファミチキは旨辛ファミチキに格上げとなった。ある日、その中の一人の女子が「髪の毛長いねー。ファミチキの枝毛探していい?」と言ってきた。口から内臓が出そうになるのを悟られないようにしながら「良いよ別に」と平静を装った。休み時間はいつもその子が私の髪の毛を触っていた。今でも髪の毛や顔を触られるのは好きである。数か月か過ぎた頃、その女子に校舎裏に呼び出された。こんなテンプレ本当にあるんだなと思いながら教室は静かにざわついた。予想通り「好きだから付き合ってほしい」と告白されたのである。嬉しかった。嬉しかったが忘れたのか貴様ら。私は旨辛に格上げになったとはいえ所詮はファミチキである。断ったのだ。理由はよく分からん。底抜けのバカである。当時のファミチキの頭をギターでカチ割ったら中から極少量のカラメル無しのプッチンプリンが出てくるに違いない。しかし断ったのだ。教室に戻ると泣いているその子の周りに鬼の形相をした女子達。ですよね。そうなるよね。分かるー。世界で一番寒い夏の寒波は数週間私を襲い続けた。これは女性が苦手で小心者のファミチキが起こした悲劇である。今でも女性はあまり得意な方ではないが、私はこれを硬派だと解釈してこれからも生きてゆく。

 

誰がファミチキやねん。

 

 

たった一つのことだけを、ただただ信じるなんて

不器用だとか一途だとかそんなものは覚悟でもなんでもない。ただの「逃げ」であると私は思う。モテるとかモテないも関係ない。私の全ての相手は「人間」だ。特定の誰かに誰かだけに好かれようとして踠いて見返りを期待するからその見返りを手に出来ない分だけ絶望するのだ。人間に好かれたいなら私は人間でないといけない。私が女性の感性ばかりを磨いても仕方ないのだ。男を味方につける方法、女性に接する方法、どの人にはどういう言葉や話し方が良いのか、あの人の好みや嫌いなもの、何をされて喜んでいるのか。こんなものにコツなんてものは無い。沢山の人と会って沢山の本を読んで沢山の映画を観て沢山経験するしかない。そして何百回も何千回も失敗してその失敗を自身の手法から外して成功例を少しづつ増やすのである。たった一回の失敗で絶望している暇などない。あっという間に40代に突入し50代となる。良いか?期待するから絶望するんだ。その手に掴むまで、その一つだけを信じる必要などない。斧を持って追い掛け回すことだけが狩りではないのだ。人の数だけその方法は全て違う。時間が無いなんて嘘だ。真剣にやってるなんて嘘だ。手っ取り早い方法で、そこに期待する事で自分を安心さているんだ。これは麻薬だ。蓋を開けて何もなかった時、私の心がまたザワザワして次の期待度の高い安心を求めるのだ。こういう時は必ずと言って良いほど動いている時間より考えている時間の方が長い。痛みに慣れるのが早いんだ。何をビビってるんだ。人間に会いに行くんだ。人間と上手く話せるようになるんだ。人間に心配りを、人間に思いやりを、人間の心を理解できるように、私は集中して沢山の人間の声を聞くのである。

 

と、いうような事を15年前の売れない営業マン時代の私は考えていた。

営業の話だ。まぁ気にするな。

 

 

人のふり見て我がふりを直す

某マリさんのブログを見ていたらブコメで某自称恐ろしい程に傑作しか湧いてこない天才小説家ブロガーとやり合っていたので興味深く見ていた。嫌いだと言ってるのに何故分からんのだとのワンツーに仲直りしたいんだという右ストレート、そこへ仲直りなんてしたくないと見事に合わせたカウンター。まぁ私はこの小説家が好きではないので相変わらずアホだなぁと思いながら見ていたわけだが、私も不特定多数の人達からこのアホと同じように思われている可能性は大いにあるよなぁなどと思案したのである。好かれてるか嫌われてるかで言うと薄気味悪い嫌味の塊みたいな私のブログみたいなもんは嫌われてるに決まっている。私のブログは極々少数の神のような、慈悲に満ちた優しい人達によって成り立つ。そして私はその気にしてくれている優しい人達に甘え、気持ち悪いと思われてんだろうなぁと認識しながらもブコメを書いてしまうのである。これはちょっと考えた方が良いよなぁと人のふり見て思ったのだ。これでは私もあのアホと一緒だと言われても致し方ない。インターネッツは顔を合わせて話すわけでも何でもないから自身の想いを優先しがちである。これはやはり私の本意ではないのだ。私が私の言葉で嫌われるのは構わないしそれはしょうがないが、嫌だと言っている人にまた言葉を投げるのはやはり配慮が無い。好かれたいわけでも嫌われたくないわけでもないが、そこから敢えて絡みに行くみたいな事はもうやめにしたい。私のような気持ち悪いオッサンの1/3の純情な感情は不快でしかないのである。壊れるほど愛しても1/3も伝わらないし純情な感情は空回りしてI LOVE YOUさえ言えないMY HEARTとまた気持ち悪さに拍車がかかって来たので今日はここまでとする。

 

 

あしみじかおじさん

その日は普段あまり乗らない最終電車に乗り込んで帰路を急いでいた。地下鉄谷町線。最終に近くなるとこの電車は誰も乗っていない。乗り換えの駅まで時間を潰すためにイヤフォンをセットし、私は全神経をポコポコに向けた。クソッ!俺はなんて不器用なんだとイライラしていると向かいの座席に綺麗な女性が座っていることに気がついた。俯いて具合悪そうな顔をしているが今のご時世、こんな気持ち悪いオッサンが話しかけてもリスクしか無い。私は再びポコポコに全神経を集中しようとしたその時、目の前の女性がボロボロと涙を流し始めた。さすがにちょっと恐いな… 早く乗り換えの駅に着かないかな…などとチラ見しながらポコポコでボコボコにされているとその女性の泣き顔は号泣に変わっている。両手をダラりとシートに付けて、上を向いて泣いている。そして私は見たのだ。鼻水が大量に出ている。私はその姿に笑ってしまった。乗り換えの駅に着きそうなので、私は立ち上がって「差し上げますから返さなくても良いですよw 鼻水w」とハンカチを渡した。いつもの汚い作業着なら出来なかったが、幸い小綺麗なスーツ姿だったのでその女性は泣きながら、少し笑いながら、そのハンカチを受け取った。その数ヶ月後、そんな事など綺麗さっぱり忘れていたら夕方の駅のホームでバッタリ再会した。いつか返そうと綺麗にアイロンを当てて可愛いビニール袋に入れたハンカチをいつも鞄に入れていたとの事。偶然だねーなんて言いながらハンカチを受け取って乗り換えの駅まで話をしていたら「あの時のお礼にお酒でもご馳走したい」との申し出に、私はお酒飲まないからコーヒーで良いよwと駅の中にある昔ながらの喫茶店でまた話をした。あの時は当時の彼氏に酷いフラれ方をしたそうで、悔しくてムカついて恥ずかしくて情けなくて泣くのを我慢出来なかったそうだ。その目の前で見知らぬオッサンが爆笑したから更にムカついたようだが「あんな鼻水出して号泣しとったら笑うやろそんなもん」の意見に納得したようだ。またご飯行きましょーとの事だったのでLINEを交換し、腹減ったとLINEくれたら良いよとその日は別れた。それから数ヶ月に一度「来週の何曜日お腹空いてます」とLINEが入るようになり「はいよー」と飯を食いながらお互いの近況を話す。「彼氏が出来ない」「理想高けえんじゃねぇの」「そんなことない」「誰か紹介して下さい」「オッサンの周りにはオッサンしかいねえんだよ」「どんなのが好きなの?」「おディーン的な」「んじゃおディーンのTwitterにでも死ぬまで張り付いてろ」「ひでえwww」そんなこんなで2年ほど経った先日またLINEが入った。「私結婚するんです」「えー良かったじゃーん」「最後にご飯行きましょーよー」「良いよー」付き合ってそんなに経ってないけど良い人と出逢えたようだ。「で、おディーンにそっくりなんでしょその人良かったじゃん」「んな奴いるわけねーだろ喧嘩売ってんのかオッサン」「お前が言うとったんやろがいwww」たっぷり惚気を聞いたその別れ際、彼女がボロボロと泣き出したのでハンカチを渡した。「返さなくて良いよwww」「分かったwww」

 

※ フィクションです。

 

 

サディストとマゾヒストの狭間で

「私ドMなんです♡」という我々サディストには大変有難い告白をする女性が年々増えているような気がするが、この言葉を自分の都合のいいように受け取って返り討ちにあう男を数多く目の当たりにする。昨今のドMの人達は様々な痛みを好んで受けると言うより、その痛みを受け入れる許容範囲が人より少し広いよ♡という意味であるのと同時に好きな人に対してでないとその効果を発動しない。男はバカなのでその言葉を自分の都合のいいように鵜呑み、解釈をして何でも受け入れてくれるのだと勘違いし、自称ドMの彼女たちからサディストですらドン引きするような攻撃を受けて撃沈しているのである。私はSMの世界に興味が無いので全く詳しくないが、そもそもサディズムマゾヒズムというものはおそらく精神世界の話であって、そこに明確な線引きなど無い。お互いの信頼関係があって初めてその趣向が分けられ、そしてお互いの快楽を貪るのである。であるから勝手な解釈をして撃沈してる男を目の当たりにすると、バカな奴だと私はいつも下を向いてほくそ笑んでいるのである。ここで私がサディズムマゾヒズムも明確な境界線などないと確信した、本当のドMについて一つの事例を紹介したい。残念ながら私が相手をしたドM女性のエロ話ではなく私のパイセン、御歳50を超える所謂ドMのオッサンの話である。そのパイセンは我々後輩には超絶サディスト、それ何の棒なんすか?みたいな棒をいつも持って振り回し、我々後輩を理不尽に痛めつけ爆笑していた。場所は大阪。大阪には新大阪という街がある。新大阪には隠れSMクラブなるものが多数存在する。らしい。申し訳ないが私は行ったことがないので詳しくは知らない。そこにそのパイセンが足繁く通っているという噂を耳にした。パイセンはサディストなんだと疑いもなくその話を聞くとまさかのM。内心驚きすぎてワタワタしていたが平静を装って話を聞いた。お気に入りの女王様がおり、その女王様にブリーフ一丁で痛めつけられ、嬲られ、その全てを否定されても尚、女王様への信頼と心の繋がりを求めて耐えるその苦しさが快楽に変わる瞬間などというどうでもいい話を約1時間に渡って拝聴した。まぁただのオッサンの性癖だしどうでも良いなどと思っていたが事態は急変した。そのパイセンが失踪したのだ。何があったんだと思いながら最後にそのパイセンと一緒にいた奴に話を聞いた。いつもの仕事終わり、そのパイセンと一緒に帰る途中新大阪に誘われたそうだ。「いや無理っす」と何度も断ったが奢ってやるから頼むと言われ一緒に秘密倶楽部へ同行した。SMに興味のないその同僚は無駄に叩かれ無駄に罵られ無駄に落ち込んだ。店を一緒に出たその時のパイセンも凹んでいたようだ。どうしたんですかとの問いにそのパイセンは丁寧に答えてくれた。いつものプレイで女王様にいたぶられ、苦痛と快楽に溺れていたその最中ボルテージ最高潮に達したその女王様はおもむろに「この豚野郎があああああ!!!!」と叫びながら部屋のカーテンを開けたそうだ。そのWindowsは世界に通ずる窓。異次元で、異世界で豚となって壁にブリーフ一枚で縛りあげられていたパイセンの部屋はカーテンを開けることによってそのまま現実世界にログインしてしまったのである。目の前の窓の外に広がる光景は眩しいくらいに輝く新幹線の駅のホーム。パンイチで身動き出来ないパイセン。この世界は狂っている。全て壊れてしまえと叫びながらその漢は果てた。偽りの世界から目が覚めそして、本当は女王様がただ好きやっただけなんやと言い残しパイセンは地下鉄谷町線へと一人で乗り込みそのまま消えた。いつも一緒にいたかった。隣で笑ってたかった。季節はまた変わるのに心だけ立ち止まったまま。その歌を聞くといつもそのパイセンを思い出す。プリンセスプリンセスにはゲスい話で申し訳ないと思いながら。

 

 

人間関係におけるリズムとタイム感

はてな周辺はいつも「FUCK仕事」「ブラック企業が云々」みたいな人でいつも溢れているので天邪鬼な私は「仕事♡L♡O♡V♡E♡」のような記事を書いていたわけだが、最近私の敬愛するフミコ先生も奥さんのパンツを履き乱れて踊り狂う系の記事を封印し仕事とはなんたるかを書いてるし、あけすけビッチ社長も仕事関連の記事が多いので私は少し仕事関連の事を書くのを封印しよう。私の仕事に対する考え方は昔からの職人気質なものでパワーがハラスメントするものが多い。労働者側の権利や主張、法律を振り翳してどうのこうのというのは全く興味がなく、労働者がどう立ち回って次のステージに立てるかみたいなもので、ボコボコに殴られながらも胃の裏側にドロドロと堆積するコールタールのような執着と怒りをモチベーションに変えるというある種見せかけドМ若しくは隠れサディズムと言った思考であるが今の時代には果てしなく合わない。まぁこのまま嫌われ続けてやろうかウシシと書いてきたが飽きた。で、これからお前何書くのと言われても私から仕事を取ったら何も残らないし今更私も奥さんのパンツを履き乱れて踊り狂う事も出来ない。細かい事は気にせずゆるふわ可愛いメッチャホリデイ☆系のブログをこれから書いていくよ。ちょこちょこ嫌味が出てくるが癖だからまぁ気にするな。さて表題にあるリズムとタイム感。バンドをやっていてメンバー以外の誰かと曲を合わせると必ずこの二つが頭に浮かぶ。この二つは人それぞれ全然違う。リズムは分かりやすいが「タイム感」は中々難しい。人それぞれ頭の中にメトロノームがカッチカッチと鳴っているわけだが、タイミングやアクセントに人それぞれの癖が乗る。リズムマシンが味気ないのはそこだ。淡々とリズムを刻めば良いというものではない。溜めたり走ったり跳ねたり伸ばしたりが「グルーヴ」であり「ノリ」となるわけだ。初めて音を合わせる時、ドラムはどんなリズムなのか、ギターフレーズの癖、ベースの裏打ちなどを各人で探りながら合わせているとそこに「ノリ」が発生する。全員楽器上手いのになんかつまんないなとかこのバンドアホみたいに下手くそなのにカッケーというのはここにあるんだと私は思っている。楽器を弾いていてもコイツは我儘だなぁとか控えめだなぁとかが聴いていて分かる。そこにどれだけ合わせに行って自分を出すのか、あえて引っ込んで誰かを前に出すのかを考え、そして自然に「グルーヴ」を出す人が、やはり一緒に音を出していて、それを見て聴いていてカッコイイのである。人間関係も同じではなかろうか。メトロノームのように淡々と正確なリズムで話したり人と接するより、周囲をちゃんと見て、話し方やそのスピード、癖、表情、身振りなどをよく観察し、そして合わせながらこちらの話もぶち込んでいく。最初はぎこちなくとも、話しているうちに会話にもグルーヴは生まれる。そこから速弾きでもスラップでもすりゃ良いのだ。いきなりピロピロとソロを弾いちゃダメなんだ。どうしても合わなけりゃ合うまでずっと「デスヨネー」とコードをジャカジャカ鳴らしてれば良い。相手はどんなリズムでどんなフレーズが好きなのかをつぶさに観察して聴き、そして相手の好きそうなフレーズを奏でる。勉強も必要だ。これを繰り返し何度も何度も経験し、相手のタイム感を瞬時に掴めるようになっていくのである。

 

最近もっぱらジャカジャカコード弾きが多い、ゆるふわ可愛いメッチャホリデイ☆系ブロガー影がお送り致しました。