革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

私の仕事のやり方

天邪鬼 - 亡霊の戯言

人は一人では生きていけないのだ。お前昨日と言ってることが違うじゃねぇか何言ってんだこのキチガイと思われるだろうがまぁ待て貴様ら私がキチガイなのは今までの私の記事を読んでいれば百も承知だろうそんなにヤイヤイ言わなくても良かろうも。さて仕事の話に移行しようか。私の仕事のやり方、と言ってもそんなに大した話でもなんでもない。テクニカルでトリッキーな仕事法が知りたいのなら才能研究家のやぎペー( やぎぺー@才能研究家 (@yagijimpei) | Twitter  )のとこにでも行って才能を見出してもらうか帰りの飛行機代を知らない人から貰える方法でも教えてもらえばよい。私はそんな才能も面の皮も持ち合わせていない。私の仕事のやり方は簡単だ。沢山の人に会うという事、自己紹介がキチンと出来る事、ただそれだけである。ここで重要なのは自己紹介である。私は何者なのか、どんな会社でどんな事が出来るのか、私はあなたのどんな困ったことを解消できるのか、などをちゃんと簡潔に説明出来るかだ。世の中の沢山の人達の脳内に「私」をインプットさせる。「何かあった時」その人の頭の中で、いの一番に「私」を思い浮かばせる努力、それが私の仕事であり営業である。私の仕事は小難しい仕事であるが小難しい話や説明など一切しない。しかしながら小難しい話が必要ならば相手が「もういい」と言うまで詳細を説明する。「知ってるけど言わない」と「知らないし言わない」は違うので注意されたし。日々勉強だ。私に才能さえあれば飛行機代誰か出してくれるのに...クソッ!ここまでは沢山の人に「私」を知ってもらう仕事であるが、次は相手を知る仕事である。「あなた」は何をやっていてどんな事が出来て、私のどんな困った事を解消出来るのか、をヒアリングし「私」の脳内にインプットする。数えた事は無いが、多分数百人は私の頭の中には「あなた」が存在する。仕事をしていると色んな場面で「これどうする?」が絶えず出現するわけだが、その時に「あ、〇〇がこれ出来るって言ってたな」と閃く事が出来れば紹介してあげれば良い。その時仕事にならなくてもよい。紹介した方もされた方からも「私」は感謝され、そしてその双方の頭の中に「私」は刻まれる。私は一人ではない。頭の中に数百人のそれぞれのプロが存在し、そしてその人達は、私を、お客さんを助けてくれるのである。これらを繰り返していると、何か困った事案が発生すればその種類は関係なく誰かの頭の中で「私」が出現し「影に聞いたらどうにかしてくれるんじゃね?」的な位置となるわけだ。営業としてこんなに嬉しい話は無い。営業だろうが技術だろうが経理だろうが販売員だろうが関係ない。沢山の人に会って沢山の人を知り、そして「私」を知ってもらうのだ。私の頭の中には上場企業の役員から不動産屋からパン屋から保険屋から西成の日雇い労働者まで色んな人達が実在している。

「影に聞いたら何か知ってんじゃね?」

私はその辺の汚いただの設備屋であるが、アンテナが人より太くて長い。情報が集まると仕事が集まって人が集まるのである。目先の金なんてどうでも良いじゃないか。金の臭いをプンプンさせながら一人数百円を集めてドヤ顔するより、汚ねえ手でガッチリ握手しながら「先に仕事をする」んだ。金は後だ。我々の仕事で誰かが喜んだら、それが金に代わるのだ。才能研究家達のアレが自由なら私は自由など要らん。やり方さえ知っていれば、今はインターネット回線に乗って札束が降る時代なのかもしれないが、私は油まみれのくしゃくしゃの一万円札を握りしめて家に帰るよ。私の願いは一つだ。

 

おっぱい揉みたい。

 

 

天邪鬼

私は天邪鬼である。であるが故にお一人様を好む。ウェイウェイしてる連中やその集合体に属さない。というかそういう連中に自分を無理に合わせるのが苦痛なのである。何かが流行っていてもそんなものは無視だ。私の若い頃はダボダボのジーパンをこれでもかと半ケツまでズラして履いてる奴らばかりであったがその時の私の格好は腰まである髪の毛とピチピチのベルボトムにピチピチのジージャンにマーチンのブーツといった頭のイカれたものであった。ここインターネッツでもその天邪鬼ぶりは健在である。みんながアッフィッフィー、アッ!アッ!アッフィッフィーと叫んでいれば広告を外すし、仕事が嫌いだ!ブラックだ!と叫ぶ体制を見つければ、私は仕事の素晴らしさを説く。逆に仕事大好き出会いに感謝厨キラキラSNSFacebookでは私は仕事のアホくささを書いていた。面倒だから辞めたけど。今の仕事でも同じである。皆があっち向いているなら私はこっちを向く。私は体制の中で周りの目を気にしながら、その体制から1mmたりとも外に出ないようビクビクしながら、疑いながら、嘘をつきながら、自分を大きく見せながら、心の中でその誰かを嘲笑いながら、思ってもない事を褒めながら生きるのに向いてない。で、あれば逆の事をして1人でいる方が楽なのだ。しかしながら、ただただ逆の事ばかりする憎たらしい事などはしない。白と黒があって白が大半でも、黒の正義や白の見直すべきことは必ずある。黒の正解をかき集めて理屈を組み立てる作業。お前らはみんな白だけどその白おかしくないか?お前ら本当に納得してそこにいんの?黒とか赤が混じって端っこんとこグレーとかピンクになってんぞ。ジーッと見てると面白れえぞ。おいお前キョロキョロしてないでまぁこっちに来いよ。悪いようにはしないからさ。ただ、黒が増えてきたら私は白に行くよ。

 

今日は東京で海外案件の打ち合わせです。

もちろん私は黒なので敵だらけの打ち合わせ。

たのしー

 

 

地獄から這い上がる方法

難しい話じゃねえ。慣れちまえば良いんだ。要は抜け出す必要なんてねえんだよ。嫌な奴がいるとかアイツが嫌いだとかそんなくだらねえ事で苦しむ必要はない。周りが鬼やら悪魔だらけでも案ずるな新社会人ども。敵対して拒絶するから苦しいんだよ。その鬼やら悪魔達と上手くやってくんだ。こっち側に巻き込んで、いや、お前らにそんな技術はねえな。「巻き込まれに」行くんだ。コツを教えてやろうか。その鬼やら悪魔達をよく観察してそいつらの「面白い事」を探すんだ。コイツ喋る時いっつも口から泡出してカニみてえだなとかアイツは話が面白くなさすぎて逆に面白れえなとかお前スーツパッツンパッツンのくせに前のボタン閉めてんじゃねえよとかポイントポイントで絶対声裏返るなコイツとか色々あんだろ。そうやって笑うんだよ。分かるか?戦略的にニコニコするんだ。不器用な奴らはムスッとしてるだろ?お前は笑え。ニコニコは媚びじゃねえ。お前の環境を良くする武器だ。地獄でこそ笑うんだよ。そうすればムスッとしてる奴らより笑ってるお前に鬼たちが寄ってくるようになる。そしてお前に教えてくれんだよ。地獄で上手くやる方法を。そうなりゃこっちのもんだ。地獄だ鬼だと悲観しても仕方ねえ。そこで自分がどう立ち回って一番になるかを考えるんだ。どうだ。鬼を味方につけりゃ地獄も悪くねえだろ?俺らに天国を羨ましがってる暇なんてねえんだよ。地獄で鬼と一緒に大声で笑うんだ。おい天国を見てみろよ。天国の下っ端より地獄の俺らの方が楽しそうじゃねえか。環境を面白くするのは鬼でも悪魔でもねえ。お前だよ。簡単な話だ。笑うだけだ。

 

 

強く儚い者たち


喫煙者の迷惑行為を座標軸で分類してみたわよ - 29歳コンサルタント女子が異世界から思うこと

最近ホッテントリには焦げ臭い記事を書くブロガーがいないと先日嘆いていたわけが、久しぶりに眩しいほどキラキラしているブロガーを見た。素晴らしい。これぞはてなだ。いくら辛辣なブクマカが沢山集まっていようともその狼煙を上げるブロガーがいないと火は点かない。これからもその心の奥底に燻ったその怒りと悲しみをここはてなでぶちまけてそのキラキラを保ってほしいと願う。さて本題である。私は喫煙者だ。そう、世の中の害悪であり反社会的勢力だ。何処に行ってもクサイキモイバカシネなどと忌み嫌われそして排除されるべきメンヘル、野菜を1日に350g食おうがそんなものは全て帳消しもしくはマイナスになる人間だと自覚しながら今日も生きている。ありがとう神様。そんな非人道的な罪を毎日重ねる喫煙者であるが、これでもかなり気を遣いながら煙草を吸引・排煙している。吸わない人の前では吸わない。ごくたまに「吸っても良いよ♡」などというあなたマジ天使だなそれだけで好きになるわという思いを胸の中にしまい込みながら我慢、でもたまにちょっと甘える時もあるけど♡的な気持ち悪さで日々過ごしている。私のようなハゲデブ汚いオッサンに甘えられたらすぐに通報して財布だけ置いてけと恫喝されたし。そんな中この記事を目にしたのである。我々の数少ないオアシスに彗星の如く飛び込んできて、罵倒とよく分からないグラフを置いて去っていく。マジリスペクトである。読んでて面白かったのでまぁそれは構わない。我々ももう慣れている。この記事に関して言えば、私は酒を飲まないが彗星の如く居酒屋に乱入して「酒臭い」だの「声がでかい」だの「中毒なんじゃないのマジクズ」だの喚き散らすようなものだ。そんな事は思っていないし気にしていない。大事なのでもう一度言おうか。「そんな事は気にしていない」のである。こういう嫌煙家の方々は気にしすぎなのだ。確かにマナーの悪い喫煙者も多い。そういう輩は喫煙者である私も同じように毛嫌いするし、先日などは深夜の地下鉄のホームで吸ってるバカがいたのでおいコラと注意した。ああいうアホのせいでマナーを守る我々までアホだと思われるのは我慢ならぬ。しかしこの記事で書かれているのは「吸っても良い場所」であるにも関わらず、「私が悪いのは分かってるよ!分かってんだよ!!!」とまずキレてから〜の〜喫煙者叩きとなっている。我々は吸っても良い物を、吸っても良い場所で吸ってるのに、いきなり殴られるのである。大目に見てくれとは言わないが、叩くべき人をちゃんとご自身で判断して頂きたいなとは思う。人間は誰しもが強く正義のみを選択して生きられる生き物ではない。その拠り所が悪だと分かっていても懺悔しながらその悪を握りしめるのである。その小さな悪を吊し上げ罵倒している時のあなたの顔はどんな顔をしているのだろうか。歳を取った時の顔はその人の人生を表すと言われている。自分の顔をどんな顔にするのかは今生きているこの瞬間が作っているのだ。私は優しい顔で死んでいきたい。

 

さっき鏡見たらドス黒い老けたアンパンマンが写ってました。

 

 

それでも私は忖度する

この43年間、これほど「忖度」を繰り返し見聞きすることがあっただろうか。無い。あっちを見ても忖度、こっちを見ても忖度、そしてその言葉はもうすでに裏切りや嫌らしさ、腹黒さのようなイメージをする言葉になろうとしている。ググって調べてみると「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること」とある。誰かの心の中をこちらが推測し、そして気配りをする。「他人アゲ↑自分サゲ↓」だとそう私は理解している。しかしながら意図的に、戦略的に行う場合もある。関西ではこれを「はしこい奴」と呼んでおり、揶揄的に使われる事が多いが私は言われて悪い気はしない。「ずる賢い」に近い。こんな短い文でも「忖度≒はしこい≒ずる賢い」となるわけだからイメージが悪くなるのは仕方ないとは思うが、これを私は「悪い事」や「損する事」ではないと思うのだ。先ほど書いたように基本は「他人アゲ↑自分サゲ↓」であり、他人特に目上の人物とコミュニケーションを円滑に進めるための一つの手法である。そして私はビジネスシーンにおけるこの忖度、自分サゲとは言いながらもその「サゲ」にはかなりの割合で「いやらしさ」が含まれていると思っている。誰に何を、何故配慮するのかを考えると言わずもがなである。誤解のないように「私は」と記しておくが、私は自身の環境を「配慮してもらう為」に行う。リスクの高い忖度ほど、私はその誰かの「使える奴」に成り代わるのである。誰が私を配慮する力を持っているのか、その人物の権力、私が行う忖度のリスクと配慮のバランスはどうか。忖度とはその人物に「どう可愛がってもらうか」を考え、観察し、そして実行する。注意するのはリスクと配慮のバランスだ。これを見誤ると結果が伴わない。先日久しぶりに呼んでもらった取引先社長と現場調査をしている際、熟女好きなのは百も承知と、その社長の鞄に美熟女ナンパスペシャルなるエロ本を仕込んでおいた。私の考える最大の忖度である。これでこの現場は私の手にと不敵な笑みをこぼしていたのだが、次の日その社長から電話があり「お前シバくぞ嫁はん(専務)にめっちゃ怒られたやんけ」とクレームが入った。そこで気付いたのだ。忖度する相手を間違えた。菓子折りにすれば良かったと後悔しているところである。忖度の種類、リスクとバランスを貴様らが間違えないようにここに報告しておく。私も頑張るから貴様らも頑張るように。

 

 エロ本はやめとけ。

 

 

私の化けの皮が剥がれるのは

私は自分で言うのも何だが器用だ。いや、器用な方だと思う。自分が必要だなと感じたものは問題なく一通りこなすことが出来る。スポーツなんて大がつく程嫌いだが「やれ」と言われて「やった方が良いな」と思えば人並みには多分出来る。小さい頃からそうなのだ。勉強も少しやれば授業に困るほど詰まることは無かったし、中学の時はデブで殆ど行ってない陸上部の顧問に「お前いい加減にしろ走れないなら砲丸投げでもやれ」と言われて2ヶ月くらい練習したら初出場の大会で準優勝した。音楽もそう。ギターは好きで練習しまくっていたら周りより上手くなって、そのジャンルでは古参のバンドに誘われて入って偉そうにしていた。仕事もそうだ。本来苦手な営業職に就いてヘラヘラとやってると数字を作ることが出来た。言っておくがこれは自慢ではない。私はずっと上記のような状況と言うか「そういう奴」なので真剣に一つの何かをやって来なかった。新しい事をやろうと思っても「どうせ出来るだろ」と思ってしまう。そしてその癖は今も直っていない。私はずっと前から自分で気付いている。「出来るだろう」と自分で思ってはいるが「出来ていない」のである。やろうとする新しいその何かのポイントを上手くピックアップしてその「ポイントだけ」を取得し、出来るように他人に見せるのが上手いだけなのだ。だから私はいつも「お前出来てないじゃないか」と心の中で自分に言っている。しかしながら「出来るように」見せられるので「本気でやろうとしない」のだ。だから私はどこでも誰にでも色んなことを公言して自分を追い込む作業をする。おい貴様やらないとヤベぇぞ。大丈夫か?という状況を作るのである。さて今はどの程度出来ているんだろうか。私の感覚では1%も出来ていない。このハリボテはいつ壊れるんだろうか。この金メッキはいつ剥がれるんだろうか。そんな後ろ向きのことばかり考えていてもしょうがない。その金メッキを本物の金にすれば良いじゃないかと私の中の「善」が呟く。今それで上手くいってるならもう良いじゃないかと「惡」が囁く。これまでずっと「惡」が優勢である。「私」が壊れるのは10年後なのか、はたまた1年後なのか、数秒後なのか。今更もう遅いのかな?などと諦めつつも、必死で「善」を握りしめる。全身を蝕む「惡」と戦うのだ。このままじゃダメだと、ツギハギが身体のそこらじゅうで見えているぞと。そんな必死なフリをしていても、心の中の隅っこで「覚悟」を見つけた時、そうか、もうダメなのかと、また気付くのである。私の中に「善」も「惡」も無い。私の中は一つであり、そのどちらかなのだ。

 

夜中にチョコモナカジャンボ食いながらこれからも「惡」と仲良くやっていくよ。