革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

小さな画面の向こう側

何やっとんねん!クソったれが!指をクルクルと画面に沿わせながら私は悪態をついた。クソ暑い現場で毎日作業着をドロドロにし、現場が終わればコンビニで安いカロリーオフのビールとつまみを買う。そしていつもの、狭く色気も何もない、私の目には部屋の中その全てがモノトーンに映る殺風景なビジネスホテルに帰るのである。ベッドに腰を掛け、ガサガサとレジ袋の中からつまみを出して口に放り込み、安いビールで流し込む。私は酒に弱い。ベッドの正面にある大きな鏡には、いつこんなに年を取ったんだろうかと思うほどの老け込んだ顔が映っている。ほどなく酒が血液と一緒に全身を巡る。顔がどんどん赤くなる。そのままバタンとベッドに倒れ、天井を見上げる。頭の中のいくつものタスクの閉じるボタンを押し、スマホを開ける。Twitterはてなブログ、インスタグラムと、そこにはいくつもの、それらのアプリのアイコンは私であって私ではない世界への入り口で、アプリを起動すれば私はそこに吸い込まれて、知っているようで実は何も知らない人達の話を静かに聞いている。一通り見て回ると別のアプリに触れる。Pokémon GOである。ホテルに帰って一息ついた後の時間はちょうどレイドバトルがある時間だ。レイドバトルとは、他のトレーナーと一緒にボスポケモンを倒し、そしてそのポケモンをゲットする為に玉を投げる行為である。さて、出掛けるか。作業着のまま、目当てのポケモンを探すべく歩いてジムの場所まで行く。目星を付けたところに到着すると私はいつもその光景に驚くのだ。

 

「何だこのオッサンの数は」

 

おびただしい数のオッサンが俯き、目線の先にあるスマホに指を滑らせている。その全てのオッサンは一喜一憂などせず静かにスマホを凝視している。ボスポケモンをゲットした者、ゲット出来ずに少し悔しそうな顔をした者、スマホタブレットの二台持ちをしている者、色んなオッサンが数十人、いやそれ以上の数のオッサンがそのジムには群れていた。私も負けてはいられない。準備をしていざ勝負だ。バトルには勝ってもゲット出来なければ意味がない。私は震える指先で「落ち着け、落ち着け」と独りごちた。ゲットならず。クソが!と心の中で悪態をつきながらまた周りを見渡した。我々オッサン達は何故今、Pokémon GOをやるのか。私の話をさせてもらうと、ゲームというよりは「小さな小さな達成感」であると思っている。我々のような中年のオッサンは、仕事ではある程度難易度の高い仕事をしないと評価されない。小さな山は超えて当たり前だと認識されているからである。そこに我々は達成感など得られない。出来るだけ身近なもので、出来るだけ簡単で、出来るだけ金の掛からないもので、となるとPokémon GOは最適なのだ。ただ集めるだけではなく、新しいポケモン、強いポケモン、進化させるポケモン、そこには我々オッサンに「おぉ!w」と思わせる小さな達成感が存在するのである。別に誰に見せるわけでもない、やってるよ!と今更公言するわけでもない。一人でその画面を見つめ、そしてジムに行けばオッサンが集合してボスポケモンを倒す。バトルが終われば真顔でそそくさと解散する。知り合いのオッサンがポケモンをやってると知ると、照れながらお互いフレンド申請をするという可愛い気持ち悪い一面もある。楽しいのかと言われれば別に楽しいわけではない。Pokémon GOのアプリをタップすると「次にやること」のタスクが頭の中にポンと立ち上がり、それは別にやらなくても良い、どうでも良いことではあるが、仕事の事は考えたくないけど頭は何かしら動いている方が心地いい、というものに当てはまるのである。

色んな立ち位置のオッサン達がPokémon GOに群がる意味は特にないのだと思う。やる事が無いわけでも暇を持て余しているわけでもない。ただそこに可愛いポケモンがいて、取れただ取れなかっただと独りごち、小さな小さな達成感が我々オッサンの心を安定させてくれるもの、それがPokémon GOなのである。それぞれの地域でそれぞれのポケストップやジムにオッサン達は群がっているだろう。しかしそれを気味悪がらないでほしいというのは私からの要望だ。我々は、何があるのか、何もないのかすら見当もつかないその画面の向こう側を見ながら、ひたすらモンスターボールを投げているのである。

 

何もないなら、それはそれで良い。