革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

そういうところが不愉快なんだ

死んでくれよ。と、さすがにそこまでは思わない。死ななくても良い。しかしながら世の中色んな奴がいる。顔見知りの奴から知らない奴まで色んな人間が我先にと自身の欲望を隠しもせずにあらゆる屍の上で「得」を貪り食っているのだ。

自分の利益のためなら誰かの不利益など気にしない、息をするように嘘を吐き、他人の痛みには無頓着なのに自分のかすり傷は大声で痛いと叫ぶ。私はそういう自分勝手な人間をいつも頭の中の「嫌いフォルダ」に放り込む。

身近な人間からニュースなどで報道される頭のおかしな人間全て。人の怒りの感情に油を注ぎ、負の感情はその他大勢に伝染する。私はこの手の迷惑を撒き散らす人間にどうして欲しいのだろうか。

別に死んで欲しいわけではない。謝って欲しいわけではない。泣いて欲しいわけではない。せめてやって貰えないだろうかと思うのは一つだけ「悪びれて」欲しい。自身が恥ずかしい事をした、悪い事をした、迷惑をかけたとちゃんとそれらを自分で気付き「悪びれて欲しい」のである。

我々は日本人だ。虚勢を張って外見ばかりをよく見せるより、内面の丁寧さであったり豊かさを心の中で静かに育てる、控えめに誰かを引き立たせるのが美しさではないのか。最近は醜い奴らが多すぎる。その醜い人間たちは悪びれない。当たり前である。自身が恥ずかしい事をしていると認識していない。

醜い連中が勝っているその場面など見たくない。プレゼンテーションが上手いだけの奴らばかりが勝つのか?よく分からない主張を大声で叫ぶ輩が何かを掴むのか?そうではないと私は思う。恥ずかしいことを恥ずかしいと思わないその心が強さだと勘違いしている輩を見ると、腐った根性の腐臭と醜く歪んだ笑みに吐き気がする。

罪を憎んで人を憎まず、私がいつも憎んでいるのはこの言葉の中の罪でも人でもない。その手の人間から放出し透けて見える悪びれない態度や自分勝手な思考が私を苛立たせるのである。胃の上に据わったその苛立ちを、私は何とか身体の外から出ないように踏み潰す。踏み潰すそのブヨブヨとした苛立ちは心の中で弾け飛び、心の染みとなっていつまでも残るのだ。

 

さて諸君、私が何故このような鬱蒼とした気味の悪い文章をタラタラと書いてるのかを説明しようか。今朝私は口を開けてバカみたいな顔をしながらイヤホンでSOUL'd OUTを聴きながら吊革に捕まり、その日のヤル気を絞り出そうと奮起していたわけだが、突然頭に鈍い痛みと衝撃、そして目の前に火花がババっと広がった。

一瞬の出来事で何事かと顔を上げると、そこにはドデカい身長をした外国人のサッと引く手の残像が見え、同時にニヤリと笑みを零す醜い顔面を私は捉えた。多分だが吊革に捕まっていたそのバカデカい手が滑って私の頭に直撃したのだろう。フザケルナ!オイ!私の頭に血が上り、体温が上昇するのを感じたその時、私はすぐこの場を去ろうと決めた。その理由は、頭に衝撃が走ったその瞬間、驚きと痛みで私の口は「ギャイン!!」という擬音を発した。

 

ギャイン!

 

言うだろうか。いや、言わない。けど、言った。確かに私は言ったのだ。怒りと悲しみが混在する私の心は「ギャイン」と言ってしまった恥ずかしさに負け、足早にその場を離れる事を選択したのだ。せめてoh Sorryぐらい言えよあの外国人め。そういうとこだぞ。もっと悪びれろ!許さねえからな!

 

ギャイン!!!