革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

私はただのハウスマヌカン

どこ行ったんでしょうか。ハウスマヌカン。知ってますかあなた達。知らないでしょう?ハウスマヌカン。私が若い頃(というか子供の頃)は居たんですよ。洋服屋さんがブティックと呼ばれていたその頃、母親がたまに入るブティックにそのハウスマヌカンはいた。先程からハウスマヌカンを何度も連呼しているが、ハウスマヌカンは洋菓子でも妖怪でもない。ただの販売員である。しかしながらただの販売員と言っても、私のハウスマヌカンに対するイメージは妖怪のそれと変わらない。ちょいと伸ばせば、ちょいと伸ばせばしだれ柳に早変わり〜と歌いながら伸びる南京玉すだれのようなピンと張った前髪、幼心にジャミラか、はたまたアメフトかと母親のお尻に隠れながら観察したあの肩パット、蕎麦?え?蕎麦なの?的な髪型のソバージュ、挙げればキリがないのでこの辺でやめておくが、私が住んでいた大阪の外れのその町にも確かにブティックはあったしハウスマヌカンはいたのだ。と、ここまでハウスマヌカンの事をヌラヌラと書いてしまったが、別にハウスマヌカン自体をどうのという話がしたい訳ではない。何を隠そう私はハウスマヌカンであるのだ、という話をしていきたい。私は仕事でもプライベートでも、男女の関係であっても、ハウスマヌカンのような立ち位置、距離感を心がけている。どういう事かと言うと、こちらからはアプローチをしないが、相手が「わべさん」と呼べばすぐに対応出来る距離に私はいる、という事である。近すぎても鬱陶しい、離れすぎると呼んでも来ない、そんな距離ではなく、誰かの邪魔をしないように作業をしながら「すみません」と声が掛かればすぐに「いらっしゃいませ」と返せる距離を、私は誰に対しても、いつも測っているのである。それが不特定多数の誰かの仕事の依頼なのか、相談なのか、お願いなのか、SOSなのか、別に何でもいい。それが現実社会でもインターネットの中でも良い。私がこの人好きだな、と思えば付かず離れずの一定の距離を測りながら、どこに立てば私が邪魔にならないかな?と考えながら存在するのである。理由など特にない。私に出来ることがあるなら何かをしてあげたいけど、対価が欲しい訳では無い。なりふり構わず何かを求める執着や自分勝手に欲を満たす誰かのその醜い顔面に戦きながら、私が考える還元や人との繋がり、そこに私は私の存在意義を見出そうとしているのかもしれないなと漠然と考えることはある。私はどこか遠い国で困っている誰かの事や、この国の政治やシステムに興味を持つほど頭が良い訳では無いし、私がどうにか出来るような場所に立っているわけでもない。近くにいる人でも、私から「助けたい」なんて分をわきまえない事も考えない。しかしながら「あ、わべさん、私今困ってんだよねー」と声を掛けて貰えれば私に出来ることはやる。それが還元であり今までやった悪事の埋め合わせであり償いだと思っているのだ。もちろん帳消しになるなんて事は思っていないが、悪い事をしなくても生きていける大人になった今、片手もしくは両手が空いてるその時に誰かの何かを手伝いたい。それだけである。雲をつかむような大きな正義を大声で叫びながら自身に近い周囲に不愉快や迷惑を撒き散らす、私はそんな年の取り方をしたくない。

 

そんな事を思いながら、今日も私は前髪をピンコ立ちにさせてソバージュをあて、巨大な肩パットに真っ赤なルージュを引いてあなたの後ろに立っているのです。

 

あなたの後ろに立っている。

 

あなたの後ろに…