革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

物怖じしないだけの営業マンなんて大した事ない

営業という職業は偏見にまみれていると私はいつも思う。リア充的な何かであったりよく喋るであったり目立ちたがり屋やら率先して何かをやる人物。そんな人物を目の前にするとよく「営業向きだよね」なんて言葉を聞くが果たしてそうだろうか。何を隠そう私も営業マンである。と同時に私は「喋るのがあまり好きではない営業マン」なのだ。営業マンなのに喋るのが好きではない。何なんだお前は。バカなの?何の話してんの?とお思いだろうがこれは紛れもない事実。基本的に人前で喋るのは好きではないし明るいか暗いかで言うと根暗・むっつりスケベゾーンに属する気持ち悪いオッサンである。そんなむっつりしたオッサンでも無名の零細企業にて年間数千万の売上を上げているのでここで少し話してみたい。営業職はキラキラしているように見えるが実はそうではない。毎日数字に追われ、その数字を達成する事だけを評価とされる営業職。地獄である。よくドラマなどでは成績表を壁に貼られて「お〜いわべちゃんよぉ〜なんなのぉ〜この今月のすぅじぃ〜おめぇやる気あんのお〜?今までなぁにやってたのぉ〜?寝ぇてたのぉ〜?どぉやったらこんなすぅじなのに普通の顔して毎日出社出来るのぉ〜?今日中に何とかなるわけぇ〜?幾ら出来んのぉ〜?え〜?聞こえなぁい?なんてぇ〜?」などと詰められる日々である。さすがにこんな会社は今どき無いだろうがまぁ似たようなもんだ。そこで営業マンはなるべく売れるような文句を考え、出来るだけ多くのお客さんと話をして、喋ること、物怖じせずとりあえずお客さんにぶつかって話をすること、グレーゾーンの嘘を吐きながら営業活動に勤しむのである。そうやりたい奴らはまぁ頑張れや。

 

私は違うことを考えた。

 

難しい話ではない。考え方を変えたのだ。「売りに行く」のではなく「欲しいものをお客さんに聞きに行く」のである。「喋りに行く」のではない。「聞きに行く」のである。当たり前だが「喋らない」と言っても一般的な会話は勿論する。ここで言っているのは「売りたい」とか「買って欲しい」話はしないという事である。重要なのは自分に何が出来るのかを、しっかり、なるべく簡単に説明出来て理解を得られれば喋ることなど他には無い。私はそこから相手の話を「聞き出す」事に集中する。そしてその相手から聞き出した情報にポロポロと私の知識や情報を付け足すのである。そのコメントが相手の興味を引けばもうこっちのペースである。それを何度も繰り返せば良い。話を聞くのだ。言い換えよう。情報を引き出すのである。相手の話をちゃんと理解しちゃんと相槌を打ち、ちゃんと笑ってちゃんと返事をする。その中に相手の欲しい物や困っている事など、ヒントが沢山隠れているのだ。その情報が例え自分の売上にならなくてもいい。知り合いを紹介してあげれば相手は必ず喜んでくれる。私は思うのだ。御用聞きという言葉はあまり良い意味では使われないが、自分の話しかしない、自社の製品のPRしかしない、売りつけようとよく喋る営業マンでマトモな人間を見た事がない。私が話したい事を話しに行くのでない。相手が何を求めているのかを探りに行くのである。

そこで売れなくても良い。私が欲しいのは「おいわべこういうの知ってる?」であり「おいわべこんなの出来る?」であり「おいわべこんな人いるけど会ってみる?」であり「おいわべこないだこの話してなかった?」であり「おいわべ」なのだ。私は今こちらからアプローチをする営業活動を全くしていない。全て相手から「おいわべこんな話あるけど出来る?」である。こんな人達が私の周りにわんさかいる。元を辿れば全て私が「話を聞きに行った人達」であり「私が誰かを引き合わせた人達」であり「私を誰かが引き合わせてくれた人達」である。そこに退屈な製品説明の棒読みPRは無い。製品は後だ。相手が私に期待してるのは「コイツに言えば何か知ってる」という事である。この手法は私が家具屋にいた時から変わってない。お婆ちゃんが「わべちゃんちょっと聞いて。こんなタンス欲しいんやけど知ってる?」と聞いてもらえる営業マンになること。そんな人達を出来るだけ多く増やすこと。私は自分の言いたいことだけを喋らない。売りたい製品の話だけをしない。私が話を聞くのである。相手から私に話したくなるような人間になるのが目的。

 

我々営業マンは売るマシーンではなく、むっつりスケベな心を持つ一人の人間なのだ。