狂気と本気の狭間で足掻いて
私は20代の頃色んな学生運動の本を興奮しながら読んでいた。PUNKをやるなら少しぐらい政治に興味を持ってみよう、と軽い気持ちであった。そしてどハマリしたのである。誤解のないように説明をしておくが、別に革命を起こそうとか爆弾作って混乱させてアジテーション咬ましてやるとか暴力で国家をどうにかしてやるとかそんなヤバみ全開でハマっていたのではない。私はこれらの「人達」に興味を持ったのである。
「何故にこんなに真剣に、命を懸けているのか」
この人達はその事で死んでもいい、殺したって構わないと思うほどに、ある種宗教的なものもあったんだろうが、そうでない人達もいた。私は読めば読むほどに「狂っている」と思った。そして興奮した。こんなにもその何かに夢中になり、本気でやってやろうというその姿勢に。勤勉で真面目である反面、狂気を含んだ何かを持つ我々は日本人なんだとその時思ったのである。
私は昭和が好きだ。それはノスタルジックなソレやセピア色のアレで言っているのではない。私が好き好んで年配者と付き合うのは、その時代に生きた人達の本気が好きだからだ。なりふり構わず目的を見つめるその「本気」は狂気を含んでいる。私はその本気と狂気を見つけてはニヤリと口角を上げその人物に近付くのである。そういった人物は例外なく重要なポジションにいる。
私のように何も持っていない人間がもし本気で、狂ったように何かに集中すればどこまで出来るのだろうか。お手本は沢山周りにいる。時代に合っていないのは百も承知である。しかし私はこの方法を選んだのだ。狂ったように何かをしてやる。どうせみんな狂ってるんだ。お前らも狂ってんだよ。涼しい顔して小難しい事言ってる奴やら見てると吐き気がするんだよ。本気でない人間に何かを変える力など無い。
金や名誉など必要以上要らぬ。狂ったように何かをして他人より脳みそを1%でも余計に動かすのだ。シャブ中のように瞳孔を開いてモノをよく見るのだ。そこら中にクソみたいな連中がいるじゃねえか。どうせ俺らと一緒で自分の事しか考えてねえ癖に偉そうに問題提起してんじゃねぇ。俺たちゃ全員同じ穴のムジナだ。俺はキチガイ丸出しで何度も殴られながら感覚を研ぎ澄ましていくんだ。やるしかねえ。
ふははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
みたいな事をボーッと考えながら、今日のお昼はしらす丼食ってました。ご馳走さまでした。
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