革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

誤解も含めてそれが自分の評価

どこかの誰かに「わべは○○らしいぜ」と吹聴されたとする。そこでその話が本当か嘘かはさて置き、周りの人間がその話を信じた、私よりその人間の話を信じた時点ですでに私の負けなのだ。私がやるべき事は第一声で「私はそんな事はしていない」と否定するだけで、それ以上誤解を解く何かをして回るという事を私はしない。しても意味が無い、と思っている。「アイツはやった」と「私はしてない」この二つの話を聞いた人間がどちらに着くかが自身の「信用」であると思っているのだ。我々はこの「信用」を毎日少しづつ貯金する。貯まっていれば貯まっているほど誰かの訳の分からない攻撃にも狼狽えること無く耐える事が出来る。逆も然りである。この「信用」を上手く利用する為の裁量が私の能力となる。

 

と堅い話はここまでにして結局の話「おいわべはアナルファッカーらしいぞ」と噂されて「違う!俺はアナルファッカーなんかじゃない!」と言ったところで「あーやっぱりねー」「そういう雰囲気出てるよね」「肛門みたいな顔してるもんね」などと周囲が納得すれば私がどう誤解を解こうともどうにもならんという話である。誰が肛門みたいな顔しとんねんシバくぞ。イメージというのもここに当てはまるんだろうが、私が女性を食事に誘う時は高い店を選ぶというのも、私は仕事で顧客幹部の接待する店を探さないといけないからなのね。場所を問わず。だからどうせなら一人で行くより誰かと飯食う時にそういう店を選んで、料理だとか接客だとか店の雰囲気を見てるわけさ。その上一緒にご飯食べてる人が美味しそうにほぺた膨らましてるのを見れるならその方が良いという事なのだよ。「見栄」とか「貸し」という感覚は全くなく、店の下見に協力してもらってる感覚。なので私と食事する時は往復の交通費だけあれば財布を持ってこなくて良いです。肛門みたいな顔したオッサンと飯を食いたいという特殊趣味の人がいらっしゃれば男女問わず誘って下さいな。

 

誤解の根源は普段の私の言動や行動の積み重ねである。根も葉もない事を言う奴がいれば肛門アタックでやっつけます。