革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

私は今まで欲しいものは全て手にしてきた

と言うと大袈裟であるが、悔いの残るような思いは今までしてこなかった。今までずっと私は「足りている」状態なのだ。先に言っておくがこれは自慢ではない。私は手に入れる事が出来ないなと思ったものはすぐに全て切り捨てる。対象物を切り替えるのである。頑張ってあれを手にするんだと必要以上の努力なんてしない。今、この時に手に入れられないものは私の実力以上、身の丈に合っていないのものだと判断し切り捨てるのである。だから私の身の回りのものは全て頑張って手にしたものでは無い。手を伸ばせば届くもの、でしかない。これは私の幼少期からの感覚であり、小さな頃から私は皆が欲しがるものを取り合いして勝ち取るなどというシチュエーションに参加しなかった。私はいつでも「僕いらない」と思っていた。私は先に「欲しいもの」が立たない。「自分がやってきた事で手に出来るもの」しか「手に取ろうとしない」のである。これは人の心に対しても同じだ。例えば、このキーマンを落とせば大きな仕事が会社に入る、紹介してやるからお前頑張れと言われても、会って話して感覚的に分かる「この人は私にはまだ無理だ」と感じれば、私はすぐに商売っ気を消す。そこから直接アプローチする事はもう無い。ではどうするかと言うと、その人の周りの信用を得る動きをするのだ。一見頑張っているようだが全く頑張っていない。私は心の奥底で「僕いらない」と思っている。今の段階で取れないであろうものを無理して取ろうと思わない。私はそんな事で、取れるかどうか分からないもので、自分の心に波が立つのを嫌い、そして恐れるのだ。と考えると、欲しいものを手にしてきたと言っている私は、本当は欲しいものなんて無いんだろう。かなり前に実弟に言われたことがある。「あなたは周囲から優しいだの何だのと言われているが、私から見れば全て自己完結して何の躊躇も無く物も人も切り捨てるその中身は冷酷で残酷だ。」と。私はコイツさすがだなぁと思った。その実弟は今でも私のビジネスパートナーである。コイツは私のアクセルでありブレーキだ。どんな時でも今の状況はこうだがどうする?と聞くと冷静な意見を述べる。「僕いらない」という私だけの見え方は危険以外の何物でもない。しかし私は独りになると「僕いらない」が心の中を占拠する。いつも私は、心の波を恐れているのである。

 

腹の贅肉の波はシュークリームで太り続けて止まらない。もうこのビッグウェーブに乗るしかない。