革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

俺達は身体を使うよ

私は所謂底辺DQNである。金があるとか無いとかそんなものは関係ない。よく「アイツの金の使い方は宝くじが当たって浮かれて破滅するやつだ」などと揶揄する何も分かってない、表面しか見えてないバカがいるが、今の私の稼ぎは「たまたま入ったタナボタ」ではなく、時給1500円の仕事を1日20時間、休み無しで働いているに過ぎない。私は良い大学に入って良い就職先で9時17時の仕事をしながら稼ぐような時間単価の高い有能では無いのである。

私はずっと「あっち側に行く必要はない」と思っていたし「あっち側へは行けない」と思っていた。それは私の「ベース」が低すぎるからである。同年代が「それ」を積み重ねていた時、私はバンドをしながら遊び呆けていた。仲間と酒を飲み、ライブをし、その日暮らしで日雇いの仕事をして生活費を稼いでいた。その当時の私が見ていたのは未来でも過去でもなく「今日だけ」を見て日々生活していたのである。

確かに私の育った環境は貧しいものであった。友達が親から与えられていたものが私には与えられなかったとしても、私は「それ」を言い訳にはしなかったし、私は「それ」を可哀想だとも恥ずかしいものだとも思っていなかったのだ。金が無くとも、家に多額の借金があろうとも、夕飯におかずが無くご飯に醤油をかけて食べようとも、塾に行けなくとも、良い学校に入れなくとも、私は私を「普通」だと思っていたし今もそう思っている。

アルバイトが出来る年齢になった私は楽しい物を見つけた。音楽である。運良く安物のエレキギターを手にした私はそれはもうのめり込んだ。毎日弾いて毎日ギターを抱きしめて眠った。ある程度の年齢になるとバンドをしながらアルバイトをする生活を始める。その時私は未来を想像した。当たり前であるが何も見えなかった。バンドでプロを目指していたわけではなく、工事現場で石膏ボードやセメントを運んで一日の日当を貰い、その日のご飯を買い、酒を飲んでいたのだ。

明日仕事をしなければ明日は飯が食えない。昨日何に金を使ったのか覚えていない。そんな生活をずっとしていると、その生活から抜け出すのはかなり困難である。それは1ヶ月分の生活費が手元に無いからだ。今なら「貯めれば良いじゃないか」と簡単に考えるが、そもそもしっかり貯金なが出来る人間はそんな生活に陥らないのだ。10年後、20年後の未来だと?そんなもの見えるわけないだろう。1ヶ月先が見えないのに。1週間先すら。

転機はバンドを辞めてからである。仕事を頑張ってみようか。入社したその会社は月給が12万、一日18時間労働の超絶ブラックであったが、金がないことに慣れていた私は「仕事」とちゃんと向き合ったのだ。誰の役にもまだ立っていない私が金を貰えないのは当たり前だ。私はこの時「仕事をして金を稼ぐ」ことよりも「金を貰える男になろう」と心に決め、「金を貰える男」達に近付いて徹底的に勉強し、徹底的に「金を貰える男」達の真似をしたのだ。運良く今の私は少しだけ「金を貰える男」に近づく事が出来た。

私はずっと「普通」である。誰かの「普通」を押し付けられるのは真っ平御免だ。金を持っていようが持っていまいがそんなものは関係ない。ドロドロの作業着を着てボサボサの頭で人に避けられるのも、スーツを着て革の鞄を持っているのも「私」である。中身は何も変わっちゃいない。昔も今も哀れみをかけられる事など何も無い。スーツだろうが何だろうが、私は床下でも天井裏でも入る。私は何も変わっちゃいない。

今の私は「そっち側」にも行けるけど、私は「そっち側」から「こっち側」を見ないんだ。私はずっと「こっち側」にいたから。私は未だに「そっち側」の人達と「そっち側」で喧嘩するんだ。だってお前らは「こっち側」から「そっち側」を見たこと無いだろ?お前らが言う普通なんて私は興味無いんだよ。だって私は、今も昔もずっと「普通」なんだから。

まぁせいぜい「頭」使って頑張ってくれよ。我々は「身体」使うからさ。そんなに悲しそうな顔で見ないでくれよ。俺達は大丈夫だよ。何も奪われてなんかない。

 

だって俺たちゃ「そっち側」の事を、何も知らないんだ。