亡霊の戯言

どんな理由があれど悪は悪。価値観?知るかそんなもん。

拝啓 母上様

ウチのチビは5歳の男の子。すんげえ甘えたで、いつも私や奥さんにべったりである。パパは平日ほとんど家にいないので休日は「パパ!パパ!」と、あれ見ろこれ見ろ、これはこうやるんだぞ、仮面ライダーはどれだけ強いのかなどを必死で私に説明してくる。しかしながら肝心な時はやはり母親である。たまに「友達とご飯行ってくるねー」と夜出掛けたりすると、私と二人で布団に入るわけだが「ママがいい」とポロポロと涙を流す。「たまにはママにも遊ぶ時間あげないとねー」なんて言いながらぎゅーっと抱きしめて二人で絵本を読む。2~3分で寝息をたてる息子の顔を見ながら、私はどんな息子だったんだろうかと思案する。

私は母親の事をずっと「お母ちゃん」と呼んでいた。周りを見渡すと皆「お母さん」であったが、「お母さん」なんて呼ぶのが何とも照れくさくて、中学に入るくらいまで「お母ちゃん」と呼んでいたのではなかろうか。よく覚えていない。いつの間にか「オカン」に呼び名が変わっていた。よくよく考えると、息子と同じく私もずっと「お母ちゃん」にくっついていた。学校から帰れば「お母ちゃん」がやってる内職を手伝い、台所で夜ご飯を作る「お母ちゃん」の隣でつまみ食いをし、風呂から出れば耳掃除をしてくれと膝枕をせがんでいた。今でこそこんな捻くれた腹黒い強がりジジイだが、小さな頃はすぐ泣く所謂泣き虫だった。何かあるとすぐにビービーと泣いて「お母ちゃん」のお尻にしがみ付いていた。

小さな頃の事はあまり覚えていないが、一つだけ鮮明に覚えている事がある。ウチの近所に住むお金持ちの石倉さんのパパは私をえらく可愛がっていた。息子が欲しかったがその家は娘しかおらず、私を本当の息子のように可愛がった。ある日「うちの子になれ」とその石倉さんは私に言った。お金持ちだし何でも買ってくれるし「じゃあお母ちゃんに言ってくるね!!!」と私は家に帰り「石倉さん家の子になる」と言った。お母ちゃんは「そんなん言わんといて」と泣き出し、私は小さいながらにお母ちゃんを悲しませた事がショックで一緒に泣いてしまった。私は泣きながら石倉さん家に「やっぱりここの子にはならない」と言いに行き、石倉さんは「変な事言って申し訳ない」と謝りに来た。石倉さんとはそれから少し疎遠になったような気がする。

ザコン野郎は気持ち悪いという話をよく聞くが、男はやはりお母さんが好きだ。私の奥さんを見てれば分かるが、あんなに息子の事を心配してあんなに可愛がっててあんなに息子が大好きなんだ。嫌いになんてなれないよ。あんなに息子の事ばかり考えてあんなに息子の幸せを願ってるんだ。息子におっぱいをあげている時、息子が病気の時、息子が怪我をした時、悲しいと泣いている息子を奥さんが抱きしめている時、私は「愛」を知ったのだ。なんて綺麗な光景だと思いながらも、母親には敵わないなと思った覚えがある。少し寂しさを覚えながらも、私に出来る事は何かと考える。大丈夫だ。この船は絶対に沈まないと家族に安心を与えながら船をこぎ続けるしかない。

カレンダーで予定を見ていたら、もうすぐ母の日だなぁと気付いた。毎年忙しさにかまけて何も出来てない。私の母親も「お母ちゃん」、私の奥さんも今は息子たちの大事な「お母ちゃん」、二人とも私の大好きな「お母ちゃん」だ。何かしてあげようかなと思いながらも照れ臭さが邪魔をする。たまには一緒に食事でもしようかお母ちゃん。私はもう今年で44歳になるんだ。私が大きくなったのかあなたが小さくなったのかは分からないが、私はあなたに似て大きな声でよく笑う。私の最大の武器はあなたに貰ったんだ。年に一度くらいしか顔を見せないから「あんたまだ生きとったんか」が母親の口癖になったけど。私がどれだけ可愛がられたかは奥さんが息子を可愛がる姿を見てると大体分かるよ。耳の後ろやらへそのゴマの匂いを何度も嗅いで「くっさ!!!」と言ってる。

 

やめてあげてくれないか奥さん。そして私にも「ちょっと!嗅いでみて!!!」と勧めないでくれ。私は別に嗅ぎたくない。