亡霊の戯言

どんな理由があれど悪は悪。価値観?知るかそんなもん。

私の化けの皮が剥がれるのは

私は自分で言うのも何だが器用だ。いや、器用な方だと思う。自分が必要だなと感じたものは問題なく一通りこなすことが出来る。スポーツなんて大がつく程嫌いだが「やれ」と言われて「やった方が良いな」と思えば人並みには多分出来る。小さい頃からそうなのだ。勉強も少しやれば授業に困るほど詰まることは無かったし、中学の時はデブで殆ど行ってない陸上部の顧問に「お前いい加減にしろ走れないなら砲丸投げでもやれ」と言われて2ヶ月くらい練習したら初出場の大会で準優勝した。音楽もそう。ギターは好きで練習しまくっていたら周りより上手くなって、そのジャンルでは古参のバンドに誘われて入って偉そうにしていた。仕事もそうだ。本来苦手な営業職に就いてヘラヘラとやってると数字を作ることが出来た。言っておくがこれは自慢ではない。私はずっと上記のような状況と言うか「そういう奴」なので真剣に一つの何かをやって来なかった。新しい事をやろうと思っても「どうせ出来るだろ」と思ってしまう。そしてその癖は今も直っていない。私はずっと前から自分で気付いている。「出来るだろう」と自分で思ってはいるが「出来ていない」のである。やろうとする新しいその何かのポイントを上手くピックアップしてその「ポイントだけ」を取得し、出来るように他人に見せるのが上手いだけなのだ。だから私はいつも「お前出来てないじゃないか」と心の中で自分に言っている。しかしながら「出来るように」見せられるので「本気でやろうとしない」のだ。だから私はどこでも誰にでも色んなことを公言して自分を追い込む作業をする。おい貴様やらないとヤベぇぞ。大丈夫か?という状況を作るのである。さて今はどの程度出来ているんだろうか。私の感覚では1%も出来ていない。このハリボテはいつ壊れるんだろうか。この金メッキはいつ剥がれるんだろうか。そんな後ろ向きのことばかり考えていてもしょうがない。その金メッキを本物の金にすれば良いじゃないかと私の中の「善」が呟く。今それで上手くいってるならもう良いじゃないかと「惡」が囁く。これまでずっと「惡」が優勢である。「私」が壊れるのは10年後なのか、はたまた1年後なのか、数秒後なのか。今更もう遅いのかな?などと諦めつつも、必死で「善」を握りしめる。全身を蝕む「惡」と戦うのだ。このままじゃダメだと、ツギハギが身体のそこらじゅうで見えているぞと。そんな必死なフリをしていても、心の中の隅っこで「覚悟」を見つけた時、そうか、もうダメなのかと、また気付くのである。私の中に「善」も「惡」も無い。私の中は一つであり、そのどちらかなのだ。

 

夜中にチョコモナカジャンボ食いながらこれからも「惡」と仲良くやっていくよ。