革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

私は人に好かれるような人間ではない

と思いながら日々生活しているので、自分の思いを相手に押し付ける事はしない、ように出来るだけ気をつけている。常に相手の自分に対する評価はマイナスだと思っているのである。どれだけ付き合いが長くてもこれがプラス域になる事など無い。ずっとマイナスだからずっと相手に気を使い、気を配ろうと努力する。言葉使いは別だ。「お前シバくぞwww」と言いながら何か足りないものや困ってる事は無いかと観察する。これはここブログや女性相手でも同じだ。相手が私を好きになんてなるはずがない。認識してもらえるだけ、気を使ってもらえるだけで有難いといつも思っている。好かれているなどと思うのはただの驕りであり怠慢である。私はこれを「カッコ悪い」と定義付けているのだ。そしてこれらは私「が」好きな人に全て適用される。しかしながら腹の中は別だ。私にだって嫌いな奴はいる。そこはしっかり線を引いて距離を設定する。結局のところ人間関係なんてものは、全て好きか嫌いかという2択とその距離で良好な関係を築く事が出来ると思われる。私はいつも誰に対してもその距離は少し遠い。しかしながらすぐに声を掛けられるその微妙な距離をいつも考えるのだ。これは20代の頃店舗販売の時に学んだ。ベタベタとくっついて回る販売員は鬱陶しいし、かと言って何か聞きたい時に誰もいないとダメなのだ。相手の理想は「聞きたい時だけ、話したい時だけそこにいてほしい」のである。相手が気を使わない程度の近さで相手の視界を邪魔しないように離れる。相手が何を見ているのかを観察し、相手が欲しい答えを用意する。人間関係も営業も販売員も全て同じだ。欲しいものや買いたいものはお客さんが決めるのであって販売員が決めるのではない。相手が私を好きになる決裁権は私にあるのではない。相手にあるのだ。では売りつけるのではなく買って頂くにはどうすれば良いのか、相手に私を好きになってもらうにはどうすれば良いのかは自然に見えてくる。相手主導で相手から振り向いてもらう方法。これは自分が好かれる人間だと錯覚していると絶対に見えない。

 

おっぱい揉みたい。