亡霊の戯言

どんな理由があれど悪は悪。価値観?知るかそんなもん。

ジェンダーを翳されると興醒めする

差別はいけない。そんなものは誰にでも分かる話だという前提で、ジェンダーを論じられると私は醒める。もっと言うと市民団体や愛護団体やら、その何かの問題について声高にシュプレヒコールをあげる人たちを見ると醒める。他の人は知らない。私は醒めるのだ。基本的に私はフェミ寄りの考え方であるが、これもジェンダー論者にとっては気分を害する話なんだろう。私は差別などしていないと自分では思っている。ジェンダーに限らずである。殆どの人が皆そうだと思うが、差別などしていないし思ってもいないと思う。その思ってもいない我々に対してそこを論じられても「お、おう」としか思わないのである。問題は差別者に対してだ。問題提起としてその問題をマクロで考え、その事由を大きく知らしめ、我々を巻き込むのは賛成である。こういう問題があるのだとその問題を知ることが出来るし、我々もその差別者を排除していくことが出来る。しかしながら、胸にいつもそのバッジを付けられると私のようなノンポリは委縮するのだ。そういう思想があるのも活動するのもそれ自体は否定しない。誰かが私の知り合いであるあなたを差別しているなら私は力を貸すよ。全力でそいつをぶん殴ってやる。でもそのバッジをいつも高らかに掲げられると私は委縮するし言葉を選ぶようになるのだ。それでも構わないという話であればそれで良い。私は男だ。男である私でも程度の差こそあれど日常的に差別を受ける事はやはりある。しかし男らしく生きるということを甘んじて受け入れている。私の仕事についても、知らない人たちにはかなりの頻度で嫌がられる。綺麗な商業施設やホテルで天井裏や床下に潜り、全身埃と蜘蛛の巣だらけになれば、顔をしかめて避けられる。誰だって思うことは多少なりともあるが、じゃあこの仕事を我々がやらないで誰がするんだと夜中だろうが早朝だろうが実行するのみだ。環境を嘆いて思想を叫ぶよりも、では今の環境で私に何が出来るのかを考えて粛々とそれをやる方が建設的であると私は思う。知ってる人間が差別を受けたらその周囲の人間はオイコラ貴様と黙ってはいないだろう。それは思想ではなく人間関係だ。きったねえボロボロの作業服を着た私と前歯の無いこれまたきったねえ現場作業員のオッサンと酒盛りをする。我々に偏った思想や差別意識など無い。「お前ええ奴やな!」「何か困った事あったら声掛けてや!」「金は無いで!」「知ってるわそんなもん」頭の悪い我々にあるのはそれだけである。

 

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