革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

占い師に私の運命を見てもらった

数ヶ月前にも見てもらったが見る人が変わればどうなんだろうか、とその真意を確かめるべく私はまた新橋に向かった。そもそも私はこういう占い的なもの、スピリチュアル的なものは信じないと頑固一徹タイプであったわけだが、前回の占いで占星術とは統計学であるという説明を受けて大層興味が湧いた、というシンプルで分かりやすい性格の私がハマる可能性アリという話である。目の前の先生が「降りてきた!降りてきたああああああーっ!」などと霊を呼び寄せようとしたならば静かに席を立つであろう。

今回は女性の先生に見てもらったわけであるが、結論から言うと私の運命は表現の仕方や説明の順序こそ違ったが前の占いとほぼ同じであった。23歳から30歳までの運命は最強、33歳で転機、その後3の付く43歳、53歳、63歳の時期に運命の転換時期がくるというものである。運気は今が最高ピーク時期、この後3年くらいで緩やかに下がって行くが全体の運気は良いステージにいるから下がったとて気にする必要は無い、との事であった。前回もそうであったが、私はこの手の占いでは別に「良いこと」が聞きたくて行っているわけではない。私の注文は「悪いことを言ってくれ」というものだ。どの年にこういう事案に気をつけた方が良いという話を聞いていれば、準備、身構えることが出来るからである。しかしながら占い師の言葉は「あなたは何かを始める時、計算・準備をかなり綿密にして小さな事を積み上げるタイプなので大きな怪我は絶対にしない」との事で私としてはさほど面白くない結果となった。

気をつけた方が良いのは「めんどくさいからそれもう買うとけや」「困ってるならこれ使ってくれ」などの所謂「どんぶり勘定」で私に近づく人に散財する可能性があるという話だ。同じ事を前の占い師にも言われた。お金の計算を細かくしてくれる信用のおける人物を近くに置きなさいとのことであった。それは心配ない。私の実弟が私の出来ない細かい処理をしてくれている。そして「あなたは格好をつけたい人だ。格好悪いところを見られたくない人だ。だから誰も見ていないところで努力をする。そして誰も見ていないところで疲れる。その疲れや苦悩を見せる事が出来る人を見つけて見せた方が良い」とのことだった。

最後に私は占い師に言った。「私自身は何もない、大した事のない人物だ。しかし私の周りは素晴らしい人物ばかりだ。金がない、仕事がない、それでも一生懸命やってる私を見て助けてくれた人達が私の周りに沢山いる。今は調子良いかもしれないが、その人達に今後私が迷惑を掛けるかもしれない時期はあるか?」と。占い師は言った。あなたは「助けてほしい人」なんだと。そしてあなたを「助けたい人」達があなたの周りに沢山いる。あなたがそのままで、ちゃんと向き合いながら仕事をしていれば運気が下がる事はない。あなたは全く問題ない。と言ってくれた。

これを読んでいる貴様らも私を助けてくれないか。プッツリと死なないように見張っててくれ。礼はする。居酒屋で一杯やろうじゃないか。もちろん私が奢るよ。

 

グルーヴ

どうだい?ノってるかい貴様ら。そうかいそうかい。ノってるなら良かった。オッサンかい?オッサンは人前ではノれないよ。だらしなく垂れ下がった脂肪を揺らしながらノるなんてそんな大それた事は出来ないよ。かと言って痩せる気もない。というか痩せないんだよ。歩こうが飯を減らそうが筋トレしようがナニしようが。多分オッサンのカロリー消費・摂取システムがエラー起こしてやがる。地球が滅びて私だけ生き残ってもこの脂肪だけで飲まず食わずの2年は生きれる自信ある。今これを書きながら思ったのだけど私は内容に関係ない事をウダウダと書くのがすごく得意なんだ。ここまで読んでもらって申し訳ないが今から話す事とは全くもって関係ない。すまんな。まぁそう嫌な顔するなよ。な?今日話すのはグルーヴについて、なんだ。グルーヴ。いいね。音楽なんかやってるとね、同じ曲をみんなで合わせるわけだけど、数秒先のフレーズやアクセントを皆でリズムを取りながら合わせに行く。その微妙でわずかな「ズレ」が最高のグルーヴを生み出す。わざとやっちゃダメだ。みんなで同じ場所を見ながら同じ気持ちで、同じリズムでやった時のズレが最高なんだよ。ウネウネとうねるんだ。俺はオッサンバンドマンだが営業マンでもある。だから俺は営業トークにもこのグルーヴを取り入れているとそういう具合だ。誰でも気持ちよくなりたいじゃないか。だから俺はこのグルーヴを使ってお客さんに気持ちよく話してもらってるんだよ。と言ってもお客さんの前で踊り狂ってるわけないだろ?まぁ躍り狂う時もあるけども今回はそういう話じゃない。ダンサブルなキモいオッサンの話じゃないんだ。俺は人と話す時、相手の話をよく聞くんだよ。俺が!俺が!と俺からは話さない。聞くんだ。内容もさることながら、私が書いてるのは相手の話し方とか声とかテンポとかタイミングとか癖なんだよ。そして少しずつ、大げさにならないように真似をするんだよ。リズムが合って話し方やテンポが似てくるとそこにグルーヴが生まれるんだよ。私はそのリズムやグルーヴを崩さないように合いの手や質問をぶち込む。そうだ、もっと話してくれ、もっと笑ってくれと思いながら話を聞く。俺には相手を黙らせてまで伝えたい事なんかない。俺が話すのは相手が疲れたり話題に困った時だけ、次のネタを話し出す。俺は誰かに話したいんじゃないんだよ。アンタの話を聞きたいんだ。いつも言ってるだろ?興味ない人間には会いに行かないんだ。アンタの話が聞きたいなと思ったらスケジュールを調整してでも聞きに行く。商売も友人も面白い奴とつるみたいでしょうに。だからどんなグルーヴでも出せるように、俺は色んな音楽を沢山聴くし、色んな人に会いに、話を聞きに行く。そこでグルーヴが生まれたら、その時間はめっちゃオモロい時間になって、明日も多分、楽しいだろうと思えるからだよ。

 

東京に着いた。

 

 

女性とのLINEのやり取りについて

常々思っていることがありましてですね、ウチの奥さんも含めなんですが、女性とのLINEのやり取りをしていると不思議でしょうがない事が一つあるんですよね。一般的にはですね、いや、一般的と言いましてもあくまで私の感覚と言いましょうか、相手からピコンとLINEが来ましたらですね、まぁ私はLINEの通知を切ってるからすぐ気付かないんですけども、会議やら打ち合わせをしてない限り10〜20分に一度はLINEを開いて確認するんですね。仕事での取引先との連絡でも最近はLINEを使いますから。で、誰かから来てたら返信しますわね。相手もまぁずっとスマホ見てるわけではないですからね、30分から一時間、半日くらい返事がなくてもまぁ気にならないんですよ。これは全く問題ない。私が不思議でしょうがないのはですね、私がLINEにすぐ気付いた時の話なんです。全ての女性が、というわけではなく女性相手の時に多いなぁと思うんですけども、相手からLINEのメッセージが来て、すぐ気づいた時はすぐに返信するじゃないですか。30秒以内とかそんなレベルで。で、ですね、ゆるいラリーになると思いきや既読にならないんですよ。まぁ、忙しいのかな?とも思うんですけども用事あったんじゃないの?とも思うわけですよ。何か用事あるなら2〜3分返事待つじゃないですか。待ちませんか?しかしながらそこから返事無いんですよ。大体は奥さんの場合なんですけど、他の女性でも多いなと感じていてですね、私はこれを投げっぱなしジャーマンと呼んでるわけですね。そういうLINEは大抵「わべちゃん」とか「パパ」としか書いてない場合が多いですね。名前だけ呼んで放置的な。なんですか。気になります。んで、もっと酷いのはですね、これも奥さんや女の人で多いんですけども、電話が鳴るとするじゃないですか。で、手が離せなくてその瞬間は出れないんですけど、すぐかけ直すんですよ。何かあったのかな?と思って。それも30秒以内とかのレベルで。出ないんですよ。え?ってなるじゃないですか。すぐかけ直したから今スマホ手に持ってるよね?今かけてきたでしょ?電話が切れた瞬間本当に投げっぱなしジャーマンで家の外にスマホ投げてるなら分かりますけどそんなことするわけないじゃないですか。んで余計に気になるんですよ。2〜3回かけるんですけど出ないんですよ。え?なんで?何?用事何?ってなるじゃないですか。それから2〜3時間放置されて掛かってきたと思ったら大した用事じゃないわけですね。怒ってるわけでもないしイラついてるわけではないんですよ。不思議だなぁと思って。そういう話を現場で職人としてたら「分かる!!!」と共感を得られたのでここで書いてるわけです。現場のオッサンの場合はキャバ嬢かららしくて、返事しても一日半以上メッセージ放置らしいです。それはただの営業一斉メールだろ俺のこれと一緒にするなよと思いましたけどもまぁ要は一緒なんでしょう。我々男(特に私)はですね、不意に連絡があると「何?」と思うわけですよ。その「何?」というのは「ん?こんな時間に珍しいよね?何かバレたのかしら?」を含む「何?」なわけですよ。分かりますか?別に疾しいことがあるわけではないんです。誓います。ええ。しかしですね、そこで「ん?」と思うとですね、「何?」と思うわけですよ。で、こちらは返事するのに相手から返事がないと困るわけですよ。ソワソワするんですよ。ソワソワ。ゾワゾワではありませんよ。まぁゾワゾワでもありますけど。だからこの記事で言いたいのはですね、ボールをポーンと投げてそのまま無視するのやめてもらえませんかというお願いなんですよ。我々男は気が小さいんですから。返事無いその時間色んな事を「あの話」「この話」「どの話?」と考え、ヤキモキしているのですから。この話でややこしいのはですね、本当に何もしてないのにヤキモキするんですね。お前は何に怯えてんだと言われても仕方ありませんね?怯えているわけではありません。「何?」と思っているだけであります。あー、あるある、と思った女性は是非、早めの返信をお願いしたいです。この世の中からこの手のヤキモキがなくなりますように。

 

 

歪んだシツコイ向上心

私みたいなもんは良い学校出てるわけでもなし、特に技術があるわけでもなし、まぁその辺のクソ野郎と変わらねえと自分では思ってるのですが、フラフラと遊んでいた20代を終えて30歳から真面目に、というか真剣に仕事をしようと心に誓って今まで頑張ってまいりました。起きてる間は業界の専門書を片手に勉強、三徹四徹は当たり前だのクラッカーで「ブラック企業って何ですか?」と、もう完璧にイッちゃってる的に仕事のことばかり考えておりました。おかげさまでとりあえず食うには困らない程度で稼げるようになり、大手とも取引しながら胡散臭い奴らから離れることが出来ましたね。とりあえず良かったですね。自分でも思いますけど私変わってるんですよ。シツコイんです。やるっつったらやらないと気持ち悪いんですね。社内の人間の目とか周りがどうのとか知らんのですよ。アイツ売り上げ少ないくせにまだあれやってんの?バカじゃないの?なんて思われてもですね、途中で辞めて言い訳するのってクソダサいのでやりたくないんですよね。要するにカッコつけなんですよ。実際カッコついてないし売り上げ無い方がカッコ悪くね?と普通は思うんでしょうけど、私的にはどの面下げて売れないからって他のことやんのよと、売れないからって諦める方がダセェわバーカと思いながらしつこく食い下がるわけですね。会社にしたら迷惑千万ですね。私にしてみるとですね「知るかボケ。お前がやれって言ったんだろうが」なんて思いながらやり続けるわけですよ。嫌ならクビにしろなんて思ってましたので。シツコイですね。でもこの時にやってた売れない商材が今の売り上げの柱となってるんですね。シツコイ!で、ですね、思い起こすと私は小学校の頃からそういったややこしい性格をしててですね、さっきそれを思い出したわけですよ。私は小学校の時ソフトボールをやっててですね、ピッチャーだったんですよ。ウインドミルですよウインドミル。知ってます?ぐるっと腕を回して投げるんですけどね。まぁその投げ方が何でかよく分かりませんが私の投げ方は変わってたんですよ。まぁ文章では説明出来ませんけども内股になってたんです。その投げ方を見て周囲の友人なんかは「オカマ投げ」とからかい笑ったんですね。小学生ですから最初はまぁショックを受けるわけですが、先ほど申しました通り私のこのややこしい性格はですね、「この投げ方で上手くなったるわお前ら全員シバいたろかボケ」となるわけですね。毎日学校終わったら壁を相手に投げまくってたら当時キャッチャーやってた一つ下の子が付き合ってくれるようになりましてですね、それをたまたま見つけた監督も協力してくれて弱かったチームがそこそこ強くなったんですね。私の球も一番とは言いませんけども早くてコントロール良いピッチャーがいると地域で言われるようになったわけです。そうなるとですね、今までオカマだ何だと言ってた奴らは何も言わなくなるんですよ。その時からですね、「やってりゃ何とかなる」んだろうなと無意識にそのしつこさが定着したんだと思います。ギターも途中10年スッパリ辞めてましたがそれを除いても20年弾いてますよね。上手くはないんですけどね。好きなんですよ。ずっと。何やかんやで少しづつ結果を残して続けてる今の仕事も好きなんでしょう。もう45歳ですからね。今からまだ何かシツコイ事始めんのかな?なんて考えますけど、そのシツコイには必ず周りの「何だコイツダセェな」が必要なんですよ。最初から「良いですね!」と言われると萎えるか飽きるんです。ダッセェのをカッコよくなるまで育てるのが好きなんですよ。小さい頃、泥団子がピカピカに光るまで磨きませんでした?クソみたいな奴らから見える私の見た目なんてどうでも良いんですよ。私は顔を歪めながらソイツらが黙るまで磨くんです。

 

鏡の中の老人

「わべさん別にハゲてないじゃん」

人に会うといつも言われるわけだが、バンドマンというクズの極みであった私の若い頃というのは、ご自慢のサラサラヘアーを腰まで伸ばし、洗髪はいつもティモテ洗い、トリートメンツなどをしてふんわり良い香りを髪からさせていた頃もあるし、ドレッドにしたこともあるし白に近い金髪だった頃もあった。その髪をかき上げる為に触れればコシのある髪がふんだんに、鬱蒼と茂っていた。今はどうだろうか。風呂に入った後の自身の髪を見れば一目瞭然。奥さんには「あれ?ハゲてない?」などと言われ、眠りにつけば夢に石立鉄男が登場し「お前はどこのワカメじゃ!」とわかめラーメンを両手に追いかけられる夢でうなされて起きるほどである。要するに若い頃に髪を虐めすぎていた。いつまでもあると思うな親と髪。

幸い私には「別に少ないってほどではないよね?」と人に思わせる程度の髪を盛る技術があるため、ワックスやジェル、スプレーなどで盛ってようやく人前に出られるといった寸法である。私ぐらいのプロの薄毛になるとセグレタなんて信用しない。よって、ゆきずりの女性とお洒落なバーで良いイキフンになってお泊まり、なんて事は以ての外だ。翌朝誰だか分からない薄毛のオッサンが隣に寝ていようものならガラスの灰皿で撲殺されるのは目に見えている。私の生死に関わるので一夜のアバンチュールなんかを夢見てはいけない。そもそも私は酒が飲めないからバーには行かない。Barberには行く。薄毛で髪が伸びると余計に貧相、そして盛るのがめんどくさいのだ。ポイントは前髪をどれだけ立ち上げる事が出来るか、であるわけだが前髪が伸びた状態で立ち上げると京本正樹のような髪型になる。顔は丸顔のゴリラで髪型は京本正樹。地獄である。

そんなこんなで先日いつも行っているBarberで私専属のハサミの魔術師(推定90歳)にカットをお願いした。「いつもの」でオーダーは通るのだが、現在現場でヘルメットを被る機会が多く、今回は「短めで」というオーダーをした。どこをどう短めなのか、という事を確認せず御年90歳のジジイは震える手でハサミを操り、シャクシャクと髪を切り始める。細かいオーダーをしたい私は「おいジイさん」と話しかけるわけだが、耳が遠くて聞こえないのか変なオーダーされたらめんどくさいから聞こえないフリをしているのかは不明だが返事をしない。「短めで」のオーダーは聞こえるのに何で今は聞こえないんだと普通の人間は思うはずだが私はもう慣れている。好きにしてくれ。ジイサンの思うようにしてくれ。寝るとしよう。

バンバンと肩を叩かれて合わせ鏡を見せられた。後ろはこんな感じで良いか?と言わんばかりに何も言わない。良いかもクソもアンタ俺のオーダー聞かねえじゃねえかと思いつつも、刈り上げになってないだけマシだと「OK」の形を指で作った。ジイサンは満足そうだった。ドライヤーで髪を乾かす時に私はジイサンに問うた。

「俺の髪は薄いか?」

「おぉん…まだ…大丈夫ちゃうか…」

「そうか。これからまだ薄なることあるんか?」

「アホか。普通は今から薄なるんやろ。アンタの年ぐらいから」

「そうか…。何かトニックとかやった方がええか?」

「せやな。アンタらみんなせやけどな、みんなハゲてから慌てて何かしようとすんねん。無くなったから一生懸命やっても生えて来えへんで。やるんやったら辛うじてある今や。今あるその髪の毛大事にせえ。」

私は眼から鱗が落ちた。なるほど。言われてみればそうだな。私はオススメはあるかとジイサンに問うた。ある、と。棚からガサゴソと取り出した育毛剤を手に「15000円や」と言った。高すぎやしないかクソジジイと思いながらも、私の目から鱗を落とした張本人、ハサミの魔術師が言うなら仕方あるまい。私は鏡を背に言ったよ。「それ貰うよ」と。ジジイはニヤリとして「頑張りや」とだけ言って私からお金をふんだくった。会計を散髪椅子で済ませ、ブローを終えた私は立ち上がってジジイに礼を言った。また来るよと。次はフサフサになってるかもな!と思いながらふと鏡でブローしたての整髪料をつけていない自分の髪型を確認した。前髪が揃っている。私は帰り際ジジイに言った。

 

「これはもう薄毛とかそんなん関係なしでイジリー岡田みたいな髪型やな。」

 

ジジイは返事をしなかった。どうやら耳が遠くて聞こえないようだ。私は静かにBarberの扉を閉めた。

 

 

小さな画面の向こう側

何やっとんねん!クソったれが!指をクルクルと画面に沿わせながら私は悪態をついた。クソ暑い現場で毎日作業着をドロドロにし、現場が終わればコンビニで安いカロリーオフのビールとつまみを買う。そしていつもの、狭く色気も何もない、私の目には部屋の中その全てがモノトーンに映る殺風景なビジネスホテルに帰るのである。ベッドに腰を掛け、ガサガサとレジ袋の中からつまみを出して口に放り込み、安いビールで流し込む。私は酒に弱い。ベッドの正面にある大きな鏡には、いつこんなに年を取ったんだろうかと思うほどの老け込んだ顔が映っている。ほどなく酒が血液と一緒に全身を巡る。顔がどんどん赤くなる。そのままバタンとベッドに倒れ、天井を見上げる。頭の中のいくつものタスクの閉じるボタンを押し、スマホを開ける。Twitterはてなブログ、インスタグラムと、そこにはいくつもの、それらのアプリのアイコンは私であって私ではない世界への入り口で、アプリを起動すれば私はそこに吸い込まれて、知っているようで実は何も知らない人達の話を静かに聞いている。一通り見て回ると別のアプリに触れる。Pokémon GOである。ホテルに帰って一息ついた後の時間はちょうどレイドバトルがある時間だ。レイドバトルとは、他のトレーナーと一緒にボスポケモンを倒し、そしてそのポケモンをゲットする為に玉を投げる行為である。さて、出掛けるか。作業着のまま、目当てのポケモンを探すべく歩いてジムの場所まで行く。目星を付けたところに到着すると私はいつもその光景に驚くのだ。

 

「何だこのオッサンの数は」

 

おびただしい数のオッサンが俯き、目線の先にあるスマホに指を滑らせている。その全てのオッサンは一喜一憂などせず静かにスマホを凝視している。ボスポケモンをゲットした者、ゲット出来ずに少し悔しそうな顔をした者、スマホタブレットの二台持ちをしている者、色んなオッサンが数十人、いやそれ以上の数のオッサンがそのジムには群れていた。私も負けてはいられない。準備をしていざ勝負だ。バトルには勝ってもゲット出来なければ意味がない。私は震える指先で「落ち着け、落ち着け」と独りごちた。ゲットならず。クソが!と心の中で悪態をつきながらまた周りを見渡した。我々オッサン達は何故今、Pokémon GOをやるのか。私の話をさせてもらうと、ゲームというよりは「小さな小さな達成感」であると思っている。我々のような中年のオッサンは、仕事ではある程度難易度の高い仕事をしないと評価されない。小さな山は超えて当たり前だと認識されているからである。そこに我々は達成感など得られない。出来るだけ身近なもので、出来るだけ簡単で、出来るだけ金の掛からないもので、となるとPokémon GOは最適なのだ。ただ集めるだけではなく、新しいポケモン、強いポケモン、進化させるポケモン、そこには我々オッサンに「おぉ!w」と思わせる小さな達成感が存在するのである。別に誰に見せるわけでもない、やってるよ!と今更公言するわけでもない。一人でその画面を見つめ、そしてジムに行けばオッサンが集合してボスポケモンを倒す。バトルが終われば真顔でそそくさと解散する。知り合いのオッサンがポケモンをやってると知ると、照れながらお互いフレンド申請をするという可愛い気持ち悪い一面もある。楽しいのかと言われれば別に楽しいわけではない。Pokémon GOのアプリをタップすると「次にやること」のタスクが頭の中にポンと立ち上がり、それは別にやらなくても良い、どうでも良いことではあるが、仕事の事は考えたくないけど頭は何かしら動いている方が心地いい、というものに当てはまるのである。

色んな立ち位置のオッサン達がPokémon GOに群がる意味は特にないのだと思う。やる事が無いわけでも暇を持て余しているわけでもない。ただそこに可愛いポケモンがいて、取れただ取れなかっただと独りごち、小さな小さな達成感が我々オッサンの心を安定させてくれるもの、それがPokémon GOなのである。それぞれの地域でそれぞれのポケストップやジムにオッサン達は群がっているだろう。しかしそれを気味悪がらないでほしいというのは私からの要望だ。我々は、何があるのか、何もないのかすら見当もつかないその画面の向こう側を見ながら、ひたすらモンスターボールを投げているのである。

 

何もないなら、それはそれで良い。

 

 

「普通」を探し続けてこれからも生きてゆく

私は新幹線によく乗る。毎週乗ってるからよく乗る方だと思う。新幹線は好きかい?私は好きではない。そもそも乗り物が好きではないのだ。新幹線も飛行機も車も。長時間乗ってるともう我慢が出来なくなるのだ。何を我慢出来なくなるのか。それは私にも分からない。しかしながら長時間同じ場所に座ってるのが苦痛だということに変わりはない。移動が嫌だ、と思いながら仕事をしていると遠方から仕事の依頼が来る。人生とはそういうものだと苦虫を噛みつぶしたような顔をしながら今バニラアイスを噛みしめている。

さて貴様らに一つ聞きたい事がある。新幹線のシートを倒す時に後ろの席の人に「倒しても良いでしょうか?」と問うのか、問わないのか問題である。私から言わせて頂くと、答えは「問わない」である。私ぐらい新幹線に乗っているプロフェッショナルとなると乗りたて初心者の頃はやはり問うていた。「倒しても良いでしょうか」と。そしてある日「やめてください」なるクソジジイが現れた。私は驚いた。やめてください…だと…? 私は、倒せるようになっているこのシートを、「倒しても良い」を前提としたこのシートをそれでも気を遣って断りを入れているにも関わらず「やめてください」と言ってのける猛者が現れたのである。私は心の中で「どうする?」と問うた。答えはすぐに出た。「どうするじゃねぇ。倒す。」であった。東京大阪間の二時間半を乗り物が嫌いだと言っている私にシート90°直角で向かえと言うのか。ふざけるのも大概にしたまえ。クソジジイ。これを読んでいる諸君は思っているだろう。「じゃあ聞くんじゃねえよ」と。だから私はその日から聞かなくなった。いつこういう猛者が現れるのかが分からないからである。すまんな後ろの奴ら。私は貴様らに「倒しても良いですか」とは問わない。諦めたまえ。

で、だ。普通はどうなんだろうか、と私は思ったのである。例えば私は前の座席の人が何も言わずにシートを倒しても何も思わない。理由は簡単だ。「倒せるようになっている」からである。ジェイアールもバカではない。倒しても問題ないであろう角度をちゃんと検証してあの角度が決まっていると私は思っている。たまに「お前倒し過ぎでスマホ見るのに首がおかしな角度になってんぞ?」とか「お前そんなに倒すのは構わんがずっとデリヘルのHPで嬢選びしてんの全部見えてんぞ」みたいなキレ者が存在するが、倒すのは自由にすれば良いと私はそう思うのだ。しかしながらどうだ。今し方乗ったこの新幹線で黙ってシートを倒すと後ろのクソジジイが舌打ちをしてきやがった。何なんだクソジジイ。行くも地獄戻るも地獄とはこの事ではないか。まぁ良い。幸い私は顔面がイケメンでもしょうゆ顔でもなく野生ゴリラ顔なので後ろを振り向き「すんまへんなぁ」と声を掛ければ大人しくなる。こんな顔に産んでくれてありがとうママン。

周りに気を遣い過ぎて一部の我儘な人間の「図々しさ」が私の目の前に立ちはだかるのは気分が悪い。しかしながら私も別に気にせずドカドカとシートを倒したいわけでもない。周りの人達の気分を害さず快適に新幹線に乗りたい。私は今日も、色んな人たちの所作を観察し、普通を探しながら東京砂漠に向かうのである。