革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

見たいものしか見なくなった行く末

最近関東にいる事が多くなり、忙しいというよりは慣れない土地で新しい風景ばかりを目にして気が張るというか何というか、まぁとてもではないが140字以上の文書を書く気にはなれなかった、というのがブログを放置していた原因(言い訳)である。しかしながらこんな閑古鳥ブログを放置してもはてなブログは今日も平常運転であり、例え私のブログが泡のように消えたとて何も変わらない、というのが現実である。うむ。頑張るのも私、頑張らないのも私。無理をして書きたくないブログに頭を悩ませるなどバカバカしいので気が向いた時にだけいつも通りの「思い」をインターネッツに放つとする。そもそも私が書きたいことって何なの?という話になるわけだが、特に書きたいことや主張したい事など私には無い。そして最近ふと気付いたのだ。最近の私は「見たいものしか見ない」というインターネッツをしている。そこここで言われている「嫌なら見るな」という言葉を「それもそうだな」と見ないようにしていた。そうするとどうだろう。毎日私の前を流れるインターネッツは許容範囲のものばかりとなる。何も文句が無いのである。当たり前だ。私が選択しているのだから。しかしながら私がキャーキャー言いながら楽しんでいたあの頃(とは言ってもまだ3〜4年の新参)のはてなブログは、トップに酷い輩がこれでもかと並んでいた。なんじゃあこりゃああああとそれらを読んでは優作ばりにのたうち回ったものである。そして言及やら自分の思いをつらつらとブログに書いたのだ。賛同してくれる人、中傷してくる人とそれはもう私のような新参にも容赦のない斧が飛んできた。落ち込んだ。そして楽しかった。今はどうだろうか。私が読者登録している人達は私が好きな人達ばかりである。ほんわかはしても怒りが湧いてこない。私のモチベーションは怒りである。その怒りは私に「考えろ」と指示を出し、言葉を組み立て、そして更新ボタンをポチーである。貴様らfuckだと。ふざけるなと。ろくなもんじゃねえと。ぴーぴーぴーと。つらつら書いてはどこの誰だか知らんブクマカに文句を言われるのが楽しかったなぁとまぁそんな話ですよ。最近ムカつくブロガーいないよね。駆逐されたのかしら?互助会でもPV乞食でも詐欺師でも良いからまた頭のおかしなブロガーがトップにくる仕掛けをはてなさんにはやってほしいけどね。何が楽しいのかなんて人それぞれなんだし、今は与えられた環境で楽しむしか無さそうだけども。どうですか皆さん。儲かってまっか?楽しんでまっか?そらよろしいな。ワテでっか?ボチボチですわ。応援してますさかいに。儲けとくんなはれや。ワテは金の話すんの現実社会でいっぱいいっぱいですねん。何やオモロい話あったらまたここに来ますさかいに。え?もう見ぃひんて?そんな水臭いこと言わんと。そらそや。せやかてな、ワテも悪気があって更新止めてたんと違いますねん。うん。せやねん。なんやidがどないやらhttpsがどないやら言われてもな、こんな年寄りどないもならんがな。せやろ?スマホで写真アップロードするんもアップアップしとるがな。いやシャレとちゃうで?手ぇがもうフルフルと震えるもんやから「あ〜!ドヤ顔でフランス料理の写真載せよ思たら隣のかたせ梨乃の写真押してしもた!」みたいなもんやで。ほんまに。せやけどあんたらよう続くなぁ思とるんやで。達者やなぁいうて。え?かたせ梨乃の話はもうええやろ。かたせ梨乃ちゅうたらあれやワシが若い頃にメロメロなっとったんやで。せや。そらあんなペっぴんおらんやろ。せや。それはそうとあれやろ、みんなワード何とかいうとこに引越したんやろ?どないやねんそのワード何とかは。人集まっ  え?かたせ梨乃はもうええねん。なんやあんたかたせ梨乃の何を知りたいんや。え?知らんがなワシも。かたせ梨乃言われても。極妻のアレやろ。せや。ええ加減にしいやあ!いうて。せや。ちゃうちゃうそれ岩下志麻や。あれもべっぴんやけどな。せやな。もうええか?なんやしつこうかたせ梨乃の事聞かれても知らんねんワシ。せや。ググッたらええがな自分で。出来るやろ?オッケーグーグル!言うたら何やなりよるわ。せやせや。ちゃうちゃうどっか押さんとアカンのちゃうか。そのままそんな鬼みたいな顔してオッケーグーグル!言うとったらお巡りさん来るで。せや。もうええか?さよか。

 

ほなさいなら。

 

 

インターネットにおけるスルースキル

「気にしなきゃ良いじゃん」なんて鋼のメンタルをお持ちの方達はもうインターネットの達人なんだろうが、我々のようなそれほどインターネットに入り込んではいない人間にとって気にしなきゃいいなんて豪腕のスルーは難しい。誰かが私の悪口を言っているぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬなんて被害妄想を抱きながら我々新参者は日々インターネットと睨めっこしているのだ。

しかしながらそんな事をいちいち気にしていてはストレスが溜まって仕方があるまい。私がスルーする時の一つの方法をここに書いてみたい。私のような「自信満々」で「偉そう」で「人の意見なんて気にしない」アカウントはいちいち誰かに絡まれる。フッ…バカめ…なんてスルーしてると思いきや私だって5分置きにエゴサエゴサエゴサッサとエブリデイエゴサッサをしてイライラしているのである。

見つけた!見つけたぞ!!!コイツめ!!!俺の悪口を!!!言いやがってからに!!!ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!!!と行きたいところであるが、そういうのを見つけて「おいコラ貴様」と喧嘩を売ってもめんどくさいだけだ。ここはスルーだ。スルスルスルーである。しかし!ムカつく!俺はそんな事言ってない!と言うかそういう意味で言ってないんだ!せめて俺が言いたかった事だけでも伝えたい!そう!あなたに!なんて思いながらリプライやブコメを入れたらもう戦争開始である。ファンファーレ。

私はこういう時どうやってスルーするのかと言うと、相手の言っている言葉を一度飲み込み、私が言ったこと、私がしたことをまずもう一度思い返すのである。そうすると、相手の言ってることが「まぁそうやって言いたくもなるわな」「私も言い方がまずかったな」「私がした事も人の事言えねえわな」と気付く事が多い。そこでもう一度相手に言いたいことがあるのかと自身に問えば「否、このままにしておこう」となるのである。燃料を追加する必要などないと。

喧嘩なんてものは100%相手が悪いなんて事はまず無い。必ず私にも悪い部分があるのだ。相手の言い分が明らかな嘘だとか誹謗中傷だとか差別的発言であれば言い返せば良いが、好きだ嫌いだレベルの喧嘩となると反省点は必ずあるはずである。しなくてもいい喧嘩はしない方が良い。であれば、自身の行動や言動を、相手に言い返す前に今一度思い返し、自分には悪い部分は無かったのかと考えてみるのが吉だ。私の場合はほぼ「私も悪いな」と思う事が多い。もっと言えば「私の方が悪い」的な事も多々あるのである。

別に離れても構わない相手と喧嘩するのは不毛であるしそこにストレスやエネルギーを使うのはバカバカしい。インターネットを見てイライラする諸君は今一度「自分はその時どうであったか」を考えてみては如何だろうか。私はこれで大体治まってスルーを行使出来る。スルーが出来るようになるともっと見たくなる。色んな人達をウォッチする。そう、私はそうやって色んな人達をウォッチしている。私のアイコンは目だ。何も言わず、足跡も残さず私が興味のある人達を見ている。そして私も誰かに見られている。インターネットとはそういう場所なんだと認識しながら日々活動したい。

 

コーラックでウンチ出た私を、世界中の人達が見ているのである。

 

 

私の微笑みはあなたに向けたものではない

週の半分は東京、半分は大阪と日々の生活が変わり、自分ではあまり気にしていないがふとした時に疲れが出る。新幹線や電車に乗っていると急激な睡魔に襲われるのである。大阪にいる時より東京の方が比較的寝れているような気がするのだが、慣れない土地で慣れない人達と商売という駆け引きをやっているとやはり疲れるようだ。ビジネスのやり方や考え方が違うのもまたストレスになっているのだと思われる。

その日も静岡から東京に戻る道中であった。東京駅から新宿まで、いつもの中央線の快速に乗り込み、家路に着こうとしていた。いつもは満員に近いのだが、この日は降りる乗客が多く珍しく座れたのだ。ふぅ…と一息ついて上を向くように頭を窓に付けた。仕事が上手くいっているのかどうかで言うと上手くいっているのだと思う。しかしながら疲れてくるとこれが正解なのか、何が正解なのかと迷いが出るのも正直な気持ちであった。少し疲れたな…と目を閉じた。

眠っているのか、起きているのかが半々の、ふわふわとした不思議な感覚を感じながら、電車の音やアナウンスを聞いていた。東京の人達は電車内であまり喋らないのもその時の疲れた私には心地良かった。そして私は夢を見ていた。どんな夢なのかは今では思い出せない。楽しい夢。その夢で私は誰かと会っていたのかも知れないし面白い何かを見つけたのかも知れない。ふと笑みが溢れるようなそんな夢を見ていたのだ。現実と夢の間でその張り詰めた意識を押さえ込んでいた。

そして10数分の乗車時間が過ぎ、アナウンスが流れた。もうすぐ新宿に到着する。心地のいいこの夢も終わりだ。私はゆっくりと目を開けた。その瞬間違和感を覚えた。その違和感は周囲のものではない、明らかに私自身の違和感であった。何だこれはと考えながら、疲れた体を動かさずに目だけを動かして反対側の窓を見た。笑っている。私の顔が笑っている。私は寝ながら、多分ずっと笑っていたのだ。疲れたオッサンが電車で寝ながら顔が笑っているなど気持ち悪すぎるではないか。通報レベルである。わべちゃん何で笑ってんの?的な狂気である。

その瞬間向かいに座っているババアと目が合った。ヤバいと私は目を閉じた。顔の筋肉はそのままに、顔は笑いながらまた目を閉じたのだ。この時思った。何をしてるんだわべと。顔を早く戻せと。しかしこの時私は向かいのババアに「あのオッサン起きたのか?」と気付かれてはならないと訳の分からない事を思い「笑ったまま、そのまままだ寝ている方が吉」というやってはいけない判断をしてしまったのである。マズイ。いつこの顔を戻すんだ。どうするんだわべ。アナウンスが新宿に到着するぞと私を焦らせる。クソ!!!寝ながら笑いながら心の中で悪態をついた。俺は一体東京で何をしてるんだと。

その時私は思いついた。手にしているスマホを落とせと。それで目が覚めた振りをするんだ。わべ。やれ。私はスルリとスマホを落とした。ガタンとスマホが落ちる音がして私は目を開けた。ババアがこちらを見ている。否、ババアだけではない。スマホを落とす音で皆がこちらを見た。私の顔は相変わらず笑っている。私は諦めた。そうだ。ここは東京だ。狂人が普通を装い、そして何かの拍子にその狂った何かが顔を出す。私は狂っているんだと狂気を受け止め、笑いながら電車を降りる。

ドア付近でババアとまた目が合う。ババアはニコッと私に笑いかけた。私は思った。まだもうちょっと頑張るよババアと。そして恥ずかしいからあまりこっちを見ないでくれよと、私もババアに、はにかんだ。

 

 

私はずるい

最後の記事のまま放ったらかしにしてるとただの不倫アホ男なので何か書かないとなぁなんて思いながらも書くことなんて思いつかないし単身東京で仕事忙しいしまぁいっかーなんて思っていたが毎日アクセスあるしほーコイツは何だかバカっぽいななんて思われてんだろうなーそうもいかねえなぁと思いながら新幹線でボーッと書くこと考えてもまぁ本格的に何も浮かばないなと思いつつもさっき風呂入りながら仕事の事をフワフワと考えていたらふと「俺って昔からずるい奴だな」と思ったので書いてみるが私は若い頃から所謂「偉い人」の懐に飛び込むのが上手くてそれはどうやってんのかと言うとまず使いっ走りを完璧にこなす事から始めてとは言っても言われてから動くのではなくてそれまでその「偉い人」をずっと観察してその人に寄せていくというのが私のやり方でそれは話し方や動作や考え方とか感覚を合わせてより近くでより早く動けるように自分をカメレオンのように変えるとその「偉い人」は私を傍に置きたくなるという寸法で私は何回か職を変えているが全てペーペーで終わることなく誰々の傍にいるお気に入りの男として存在していたがやはり良い事ばかりではなく嫉妬ややっかみで邪魔をされたりしたけれどそこは敢えての「図々しいフリ」や「強引な態度」で上手く交わしていてそれを全て「分かって」「わざと」やっていて真面目にコツコツ積み上げたものでは到底なく自分を仕事のやりやすい環境をまず作ってから仕事をスタートさせて結果を出すとそのスタンスや動き方自体は今も何ら変わっておらずこの完全アウェイの東京でも虐められてる除け者にされてると嘆いている「フリ」をしながら仲間を増やしこの度一番私に対して敵意を剥き出しにしていた人間がプロジェクトから外れる事となりそれを本人から聞いた私は「そうですか寂しくなりますねぇ」などと宣いながら内心では「ざまあみろこのクソ野郎」などと舌を出していた訳だがそれもやはりどの人間がこのプロジェクトを引っ張り旗を振るのかを観察した結果その敵意剥き出しの男は役不足と判断し私の「動き方」や「人間の波の動き」を読んでその波にいち早く乗ったというのが良い方向に事が運んだその理由でありこれから関東の仕事も少しはやりやすくなるんだろうなと予想はしていて取引先の人達その他女の人に対しても私は「ずるい」わけだがそれをこんな所で書いてしまうと私が如何にクズなのかをまた露呈してしまう結果になりせっかくここまで仕事の話を真面目に書いたのに台無しとなってしまうのは無念だが一つ言える事があるとすれば「好き」も「嫌い」も相手次第で私は自由にその感情を寄せるので相手をジッと観察してその距離を測り全ては「私の見え方」で立ち位置を詰めたり離れたりするという事は「私が好きで追いかける」という事は無く相手に好かれるために私はどう動くかとか私に興味を持ってもらう為の相手からの私の見え方はどうかなどとそんな事ばかり考えている人間そんな動き方しかしない男はやはり「ずるい奴」であり自分の心を自分で動かさない私は臆病者であり卑怯者なのである。

 

 

不倫におけるマルチタスクと錯覚

先日インターネッツTwitterをボーッと眺めていたら不倫について話してる人がチラホラいて昔の話を思い出したので書いてみよう。

今ではこんなにデップリと醜く太り、ズルズルに禿げ上がってもう手が付けられない私でも、若い頃はバンドをやっていた事もありそれなりに女性とお付き合いをしてきた。その中に不倫愛も含まれる。

その相手は天真爛漫で小賢しい嘘がつけない素直な人であった。私が思うに、人の心というのは誰に対しても、ビジネスでも友人関係でも恋愛も全てマルチタスクで管理しており、ビジネスであれば自分のそのマルチタスクを相手に見せれば「あぁ、あの人と繋がってるんだな」逆に付き合いしてるのを知られたくなければそのタスクを隠しながら話を進めたりする。

友人関係や恋愛でも私は同じだと思っていて、あなたの事が大事なんだと伝えるより先に、自分の背景であるそのタスクが相手に見えないように、既婚者であれば配偶者やその他異性のタスクをなるべく見せないように接する。恋愛などいつどのタイミングで惹かれあったのかなんて分かるはずもなく、その女性とは気付けば連絡を取り合って約束をし会うようになる。

カテゴリを上手く分けながらそのタスクを開けて相手の顔を見るわけだが、既婚と独身であれば、どうしてもお互いの、相手のそのタスクの見え方に歪みが出るのである。こっちを向いてくれないか、見えているそのタスクを隠して上手く騙してくれないかと思っていても、何を言ってるのあなたは既婚でしょうとその歪みは上手く噛み合わない。しかしながら私の、相手への我儘や欲が出た時点で既にこちらの劣勢が決まっているのだ。自身を都合のいいように錯覚させる男が羨ましいなとこの時思ったのを覚えている。

正直に何でも話すその相手から見える幾つかのタスクを見ないフリ、気にしていないフリをしながらそのタスクに執着し、相手のアラを探す行為は自身の嫉妬から逃れる卑怯な手段に他ならない。好きだという気持ちをお互いに上手く伝えなかった、伝わらなかった二人は結局そのゲームをやめた。と言うより、特別な感情が無いのなら会う理由など無いと私がゲームから降りようとするのを彼女が見かねたのが正解だろうか。とは言ってもゲームだったのか否かは、お互いの心の中にしか真実は無い。

私はちゃんと好きだった、あなたは離れても痛くも痒くもないんだろうけど私は痛いんだという最後のメッセージを見て、自分の思っていた事を返信したが返ってきたのはエラーメッセージであった。友達に戻れたら良いねと書いてあったが、嫌いで離れたわけではないのでもう二度と会うつもりは無い。当時のあの感情はもう蘇ってはならない。これはもうかなり前、昔の話である。

不倫を肯定・正当化するつもりは毛頭ないし、バカだと言われればそうなんだろうが、人の気持ちを全て理性で押さえ付けることなどは不可能なんだなとこの時思った。オッサンは黙って金を使って欲をコントロールせねばならない。

ドヤ顔でいつも正論を翳すわべが好きではないという人がこのブログを読んでいる大多数だと思われるが、現実の私は当たり前のように不完全な至らない人間、所謂ただのクズなのである。

さて、ここまでの文章をまるで昼顔の斎藤工が語るかのように読んでいた諸君、忘れるんじゃないぞ貴様ら。何度でも言うが今の私はデップリと太った薄らハゲのブラマヨ小杉と「あれ?俺アゴ割れてね?」と割れアゴを発見してデスヨネーと叫ぶアンタッチャブル山崎を足して2で割ってエッグをスクランブルしたような男である。

現在のそんな私にロマンスやエロティッシュな展開は皆無だ。この話は少しの真実とほとんどの嘘・妄想で成り立っている。残念だったな。ほぼフィクションだ。どう感じるかはあなた達の自由だが、読んだ時間を損したと思って頂ければ書いた甲斐が有るし私はこれ幸いと口角を上げている。1割の真実の部分を話すとすれば、彼女が笑って毎日を過ごしていることを願っているとただそれだけである。

 

 

私の東京の部屋を晒す

前回は契約したマンスリーマンションに入居することが叶わず、金を払ってるにも関わらず悔しい思いをしながらビジネスホテルに泊まるというよく分からない展開になったわけだが、

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今日は無事入居済んだので晒す。私の東京のお部屋はこんな感じ。

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そんなに広くないけど悪くない。ベッドはダブルだし。


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奥にはスーツとかコートを掛けるハンガーね。週に半分しかいないからこれも問題なし。


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結構大きめのテレビ。テレビ見る暇ないからこれも問題なし。


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デスク。良いよね。これぐらいの広さなら資料広げて十分図面描けます。


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冷蔵庫とレンジはピカピカでしたよ。前の代わりの部屋は掃除出来てなかったからすごく不潔だったのよね。契約した部屋は壁紙も床もすごく綺麗。これで落ち着いて女の人を連れ込む東京で仕事が出来る環境が整いました。

 

完全アウェイの東京で私は足掻いて踠いてジタバタしたいと思います。

 

歯ブラシも何も無いし生活必需品の買い出し行って来よ。

 

 

私は今まで欲しいものは全て手にしてきた

と言うと大袈裟であるが、悔いの残るような思いは今までしてこなかった。今までずっと私は「足りている」状態なのだ。先に言っておくがこれは自慢ではない。私は手に入れる事が出来ないなと思ったものはすぐに全て切り捨てる。対象物を切り替えるのである。頑張ってあれを手にするんだと必要以上の努力なんてしない。今、この時に手に入れられないものは私の実力以上、身の丈に合っていないのものだと判断し切り捨てるのである。だから私の身の回りのものは全て頑張って手にしたものでは無い。手を伸ばせば届くもの、でしかない。これは私の幼少期からの感覚であり、小さな頃から私は皆が欲しがるものを取り合いして勝ち取るなどというシチュエーションに参加しなかった。私はいつでも「僕いらない」と思っていた。私は先に「欲しいもの」が立たない。「自分がやってきた事で手に出来るもの」しか「手に取ろうとしない」のである。これは人の心に対しても同じだ。例えば、このキーマンを落とせば大きな仕事が会社に入る、紹介してやるからお前頑張れと言われても、会って話して感覚的に分かる「この人は私にはまだ無理だ」と感じれば、私はすぐに商売っ気を消す。そこから直接アプローチする事はもう無い。ではどうするかと言うと、その人の周りの信用を得る動きをするのだ。一見頑張っているようだが全く頑張っていない。私は心の奥底で「僕いらない」と思っている。今の段階で取れないであろうものを無理して取ろうと思わない。私はそんな事で、取れるかどうか分からないもので、自分の心に波が立つのを嫌い、そして恐れるのだ。と考えると、欲しいものを手にしてきたと言っている私は、本当は欲しいものなんて無いんだろう。かなり前に実弟に言われたことがある。「あなたは周囲から優しいだの何だのと言われているが、私から見れば全て自己完結して何の躊躇も無く物も人も切り捨てるその中身は冷酷で残酷だ。」と。私はコイツさすがだなぁと思った。その実弟は今でも私のビジネスパートナーである。コイツは私のアクセルでありブレーキだ。どんな時でも今の状況はこうだがどうする?と聞くと冷静な意見を述べる。「僕いらない」という私だけの見え方は危険以外の何物でもない。しかし私は独りになると「僕いらない」が心の中を占拠する。いつも私は、心の波を恐れているのである。

 

腹の贅肉の波はシュークリームで太り続けて止まらない。もうこのビッグウェーブに乗るしかない。