亡霊の戯言

どんな理由があれど悪は悪。価値観?知るかそんなもん。

あしみじかおじさん

その日は普段あまり乗らない最終電車に乗り込んで帰路を急いでいた。地下鉄谷町線。最終に近くなるとこの電車は誰も乗っていない。乗り換えの駅まで時間を潰すためにイヤフォンをセットし、私は全神経をポコポコに向けた。クソッ!俺はなんて不器用なんだとイライラしていると向かいの座席に綺麗な女性が座っていることに気がついた。俯いて具合悪そうな顔をしているが今のご時世、こんな気持ち悪いオッサンが話しかけてもリスクしか無い。私は再びポコポコに全神経を集中しようとしたその時、目の前の女性がボロボロと涙を流し始めた。さすがにちょっと恐いな… 早く乗り換えの駅に着かないかな…などとチラ見しながらポコポコでボコボコにされているとその女性の泣き顔は号泣に変わっている。両手をダラりとシートに付けて、上を向いて泣いている。そして私は見たのだ。鼻水が大量に出ている。私はその姿に笑ってしまった。乗り換えの駅に着きそうなので、私は立ち上がって「差し上げますから返さなくても良いですよw 鼻水w」とハンカチを渡した。いつもの汚い作業着なら出来なかったが、幸い小綺麗なスーツ姿だったのでその女性は泣きながら、少し笑いながら、そのハンカチを受け取った。その数ヶ月後、そんな事など綺麗さっぱり忘れていたら夕方の駅のホームでバッタリ再会した。いつか返そうと綺麗にアイロンを当てて可愛いビニール袋に入れたハンカチをいつも鞄に入れていたとの事。偶然だねーなんて言いながらハンカチを受け取って乗り換えの駅まで話をしていたら「あの時のお礼にお酒でもご馳走したい」との申し出に、私はお酒飲まないからコーヒーで良いよwと駅の中にある昔ながらの喫茶店でまた話をした。あの時は当時の彼氏に酷いフラれ方をしたそうで、悔しくてムカついて恥ずかしくて情けなくて泣くのを我慢出来なかったそうだ。その目の前で見知らぬオッサンが爆笑したから更にムカついたようだが「あんな鼻水出して号泣しとったら笑うやろそんなもん」の意見に納得したようだ。またご飯行きましょーとの事だったのでLINEを交換し、腹減ったとLINEくれたら良いよとその日は別れた。それから数ヶ月に一度「来週の何曜日お腹空いてます」とLINEが入るようになり「はいよー」と飯を食いながらお互いの近況を話す。「彼氏が出来ない」「理想高けえんじゃねぇの」「そんなことない」「誰か紹介して下さい」「オッサンの周りにはオッサンしかいねえんだよ」「どんなのが好きなの?」「おディーン的な」「んじゃおディーンのTwitterにでも死ぬまで張り付いてろ」「ひでえwww」そんなこんなで2年ほど経った先日またLINEが入った。「私結婚するんです」「えー良かったじゃーん」「最後にご飯行きましょーよー」「良いよー」付き合ってそんなに経ってないけど良い人と出逢えたようだ。「で、おディーンにそっくりなんでしょその人良かったじゃん」「んな奴いるわけねーだろ喧嘩売ってんのかオッサン」「お前が言うとったんやろがいwww」たっぷり惚気を聞いたその別れ際、彼女がボロボロと泣き出したのでハンカチを渡した。「返さなくて良いよwww」「分かったwww」

 

※ フィクションです。

 

 

サディストとマゾヒストの狭間で

「私ドMなんです♡」という我々サディストには大変有難い告白をする女性が年々増えているような気がするが、この言葉を自分の都合のいいように受け取って返り討ちにあう男を数多く目の当たりにする。昨今のドMの人達は様々な痛みを好んで受けると言うより、その痛みを受け入れる許容範囲が人より少し広いよ♡という意味であるのと同時に好きな人に対してでないとその効果を発動しない。男はバカなのでその言葉を自分の都合のいいように鵜呑み、解釈をして何でも受け入れてくれるのだと勘違いし、自称ドMの彼女たちからサディストですらドン引きするような攻撃を受けて撃沈しているのである。私はSMの世界に興味が無いので全く詳しくないが、そもそもサディズムマゾヒズムというものはおそらく精神世界の話であって、そこに明確な線引きなど無い。お互いの信頼関係があって初めてその趣向が分けられ、そしてお互いの快楽を貪るのである。であるから勝手な解釈をして撃沈してる男を目の当たりにすると、バカな奴だと私はいつも下を向いてほくそ笑んでいるのである。ここで私がサディズムマゾヒズムも明確な境界線などないと確信した、本当のドMについて一つの事例を紹介したい。残念ながら私が相手をしたドM女性のエロ話ではなく私のパイセン、御歳50を超える所謂ドMのオッサンの話である。そのパイセンは我々後輩には超絶サディスト、それ何の棒なんすか?みたいな棒をいつも持って振り回し、我々後輩を理不尽に痛めつけ爆笑していた。場所は大阪。大阪には新大阪という街がある。新大阪には隠れSMクラブなるものが多数存在する。らしい。申し訳ないが私は行ったことがないので詳しくは知らない。そこにそのパイセンが足繁く通っているという噂を耳にした。パイセンはサディストなんだと疑いもなくその話を聞くとまさかのM。内心驚きすぎてワタワタしていたが平静を装って話を聞いた。お気に入りの女王様がおり、その女王様にブリーフ一丁で痛めつけられ、嬲られ、その全てを否定されても尚、女王様への信頼と心の繋がりを求めて耐えるその苦しさが快楽に変わる瞬間などというどうでもいい話を約1時間に渡って拝聴した。まぁただのオッサンの性癖だしどうでも良いなどと思っていたが事態は急変した。そのパイセンが失踪したのだ。何があったんだと思いながら最後にそのパイセンと一緒にいた奴に話を聞いた。いつもの仕事終わり、そのパイセンと一緒に帰る途中新大阪に誘われたそうだ。「いや無理っす」と何度も断ったが奢ってやるから頼むと言われ一緒に秘密倶楽部へ同行した。SMに興味のないその同僚は無駄に叩かれ無駄に罵られ無駄に落ち込んだ。店を一緒に出たその時のパイセンも凹んでいたようだ。どうしたんですかとの問いにそのパイセンは丁寧に答えてくれた。いつものプレイで女王様にいたぶられ、苦痛と快楽に溺れていたその最中ボルテージ最高潮に達したその女王様はおもむろに「この豚野郎があああああ!!!!」と叫びながら部屋のカーテンを開けたそうだ。そのWindowsは世界に通ずる窓。異次元で、異世界で豚となって壁にブリーフ一枚で縛りあげられていたパイセンの部屋はカーテンを開けることによってそのまま現実世界にログインしてしまったのである。目の前の窓の外に広がる光景は眩しいくらいに輝く新幹線の駅のホーム。パンイチで身動き出来ないパイセン。この世界は狂っている。全て壊れてしまえと叫びながらその漢は果てた。偽りの世界から目が覚めそして、本当は女王様がただ好きやっただけなんやと言い残しパイセンは地下鉄谷町線へと一人で乗り込みそのまま消えた。いつも一緒にいたかった。隣で笑ってたかった。季節はまた変わるのに心だけ立ち止まったまま。その歌を聞くといつもそのパイセンを思い出す。プリンセスプリンセスにはゲスい話で申し訳ないと思いながら。

 

 

人間関係におけるリズムとタイム感

はてな周辺はいつも「FUCK仕事」「ブラック企業が云々」みたいな人でいつも溢れているので天邪鬼な私は「仕事♡L♡O♡V♡E♡」のような記事を書いていたわけだが、最近私の敬愛するフミコ先生も奥さんのパンツを履き乱れて踊り狂う系の記事を封印し仕事とはなんたるかを書いてるし、あけすけビッチ社長も仕事関連の記事が多いので私は少し仕事関連の事を書くのを封印しよう。私の仕事に対する考え方は昔からの職人気質なものでパワーがハラスメントするものが多い。労働者側の権利や主張、法律を振り翳してどうのこうのというのは全く興味がなく、労働者がどう立ち回って次のステージに立てるかみたいなもので、ボコボコに殴られながらも胃の裏側にドロドロと堆積するコールタールのような執着と怒りをモチベーションに変えるというある種見せかけドМ若しくは隠れサディズムと言った思考であるが今の時代には果てしなく合わない。まぁこのまま嫌われ続けてやろうかウシシと書いてきたが飽きた。で、これからお前何書くのと言われても私から仕事を取ったら何も残らないし今更私も奥さんのパンツを履き乱れて踊り狂う事も出来ない。細かい事は気にせずゆるふわ可愛いメッチャホリデイ☆系のブログをこれから書いていくよ。ちょこちょこ嫌味が出てくるが癖だからまぁ気にするな。さて表題にあるリズムとタイム感。バンドをやっていてメンバー以外の誰かと曲を合わせると必ずこの二つが頭に浮かぶ。この二つは人それぞれ全然違う。リズムは分かりやすいが「タイム感」は中々難しい。人それぞれ頭の中にメトロノームがカッチカッチと鳴っているわけだが、タイミングやアクセントに人それぞれの癖が乗る。リズムマシンが味気ないのはそこだ。淡々とリズムを刻めば良いというものではない。溜めたり走ったり跳ねたり伸ばしたりが「グルーヴ」であり「ノリ」となるわけだ。初めて音を合わせる時、ドラムはどんなリズムなのか、ギターフレーズの癖、ベースの裏打ちなどを各人で探りながら合わせているとそこに「ノリ」が発生する。全員楽器上手いのになんかつまんないなとかこのバンドアホみたいに下手くそなのにカッケーというのはここにあるんだと私は思っている。楽器を弾いていてもコイツは我儘だなぁとか控えめだなぁとかが聴いていて分かる。そこにどれだけ合わせに行って自分を出すのか、あえて引っ込んで誰かを前に出すのかを考え、そして自然に「グルーヴ」を出す人が、やはり一緒に音を出していて、それを見て聴いていてカッコイイのである。人間関係も同じではなかろうか。メトロノームのように淡々と正確なリズムで話したり人と接するより、周囲をちゃんと見て、話し方やそのスピード、癖、表情、身振りなどをよく観察し、そして合わせながらこちらの話もぶち込んでいく。最初はぎこちなくとも、話しているうちに会話にもグルーヴは生まれる。そこから速弾きでもスラップでもすりゃ良いのだ。いきなりピロピロとソロを弾いちゃダメなんだ。どうしても合わなけりゃ合うまでずっと「デスヨネー」とコードをジャカジャカ鳴らしてれば良い。相手はどんなリズムでどんなフレーズが好きなのかをつぶさに観察して聴き、そして相手の好きそうなフレーズを奏でる。勉強も必要だ。これを繰り返し何度も何度も経験し、相手のタイム感を瞬時に掴めるようになっていくのである。

 

最近もっぱらジャカジャカコード弾きが多い、ゆるふわ可愛いメッチャホリデイ☆系ブロガー影がお送り致しました。

 

 

私はアンパンマン

自分で言うのも何だが私の笑顔は100万ドルである。顔が丸い上に太っているので完全にアンパンマン。よく他所の子供が私に懐いてその母親に「え?!この子男の人が苦手で初めて見る男の人に近寄ることなんて滅多にないのに!!!」と驚かれるがそんなものはお手の物だ。だって私はアンパンマンなんだもの。出来るのであれば「※写真あります」と銘打ってほぺたを赤く塗り自撮り笑顔をこのブログに貼り付けたいところであるが嘔吐者続出でインターネッツ初の写真ウイルス認定、Google警察にしょっぴかれるというよく分からない事態を引き起こしかねないのでやめておく。それぐらい私の笑顔は素晴らしいのである。しかし、残念ながらこの私の笑顔は作り笑顔に他ならない。厳しい社会で培った100万ドルの作り笑顔である。誰も見抜けない。本当に笑っているのか笑っていないのかは私ですら分からない。この完全なる作り笑顔は家族を養うための作り笑顔。言うなれば私の武器だ。どんな気まずいシチュエーションでも満面で出せる。コイツ頭おかしいんじゃないのかという場面でも笑えと言われれば笑える。ここまでになると武器と言うよりも完全にキ〇チガイであるがやめるつもりは全く無い。例え最初は作り笑顔だとしても、私が笑えば相手も笑ってくれる。相手が笑ってくれた時に出ている私の笑顔は本物であるからだ。赤ちゃんだろうがクソジジイだろうが関係ない。私は私の為に明日も笑う。

 

あんまりムカついたらアンパンチとアンフックとアンアッパーする。

 

 

私は自分の目の前にある「カッコイイもの」を誤魔化したくない

こんな年になってもパンクとかハードコアみたいなある種絶滅危惧的なジャンルで絶滅GIGを繰り返している私はある悩ましい現実をいつも突き付けられている。より長く、より古くから活動している人達(新しい血が流れていない証)の全てを私はカッコイイとは思わない。大体のそれが古き良き時代を象徴するかのような曲調、スタイル、ガバメントに対するシャウトor嘔吐であったりするのだ。周囲を見回してみると「カッコ(・∀・)イイ!!」が溢れているわけだが、私はどうも心の底からカッコイイとは思わないのだ。それは何故か。私が思う「カッコイイ」は、単純に誰が見ても知らない人が見ても「カッコイイもの」でなければならない。最近私が「カッコイイ」なと思ったのはたまたまYouTubeで見つけた加藤茶である。

www.youtube.com

その人のルーツやジャンル、過去の栄光など私が感じる「カッコイイ」には関係ない。カッコイイものはその時その瞬間に感じるものであり、いくら有名だろうがその世界で古参だろうがそんなものは関係ない。私がカッコイイと信じ感じるものを吸収して、私のフィルターを通してアウトプットするしかない。パンクはこうでなければいけないなんてものなどクソ喰らえなのである。反体制の奴らが集まって体制を作りその空気に慣れ合っているのを見ると距離を置きたくなる。これは理屈じゃない。カッコイイ奴らはEの音をバーン!!!と出すだけでカッコイイのだ。

私が思うここブログも同じである。読者数やらPV、古参新参などハッキリ言ってどうでも良い。ジャンルやスタイルなんてものはハリボテでしかない。ブロガー同士で体制を作ろうと必死にチュッチュチュッチュしてるのを見かけると私は醒めるのである。目の前でカッコイイとされている人達は本当にカッコイイのだろうか。自分がカッコ良くなるには自分の思うカッコイイものを見続けそして自分がカッコイイと思うものをやり続けるしかない。それがダサくても問題ない。みんながカッコイイって言ってるからと同調するのはもっとダサい。作り笑いをしながらカッコイイを誤魔化すよりも、ノーコメントを貫いて誰かにダサいと揶揄されながら自分のカッコイイを出す方が、私の心は健康的なのである。不特定多数の「誰かに読まれる」記事を書くつもりなど毛頭ない。どんなにダサくても、不特定多数の「誰かが読みたい」記事が書ければ、例えそれが一人でも私は本望なのである。

 

アイアン・メイデンめちゃシブ。

 

 

出会うか出会わないのかは運命なんかじゃない


本当に助けてください。恋人はどうやって作るんですか?出会いはどこ

読んだ。出会いが無いから誰とも付き合えないという話は本当によく聞く話である。環境というのは男女の出会いで重要なのかもしれないが、必ずしもそれだけではないとも思っている。私は「出会えないから異性と付き合えない」と言っている人は「他人にあまり興味が無い人」だと思うのだ。私の場合で言えば、私は工事現場のオッサンである。毎時間、毎日、毎年私の周りは全員凶暴ゴリラだ。出会うのは全て同性の凶暴ゴリラである。では女性とどこで出会うのか。どこででも出会える。私は男女関係なく「人間」に興味がある。コンビニ、電車、公園、街、どんな時も私以外の人間を観察している。「あ、この人の仕草カッコイイな」「この人顔可愛いな」「声シビれる」「笑顔素敵」などなど。全く知らない人への興味が半端ないのである。さて、そうやって知らない誰かの「好きなところ」を探す癖がある私。そんな中「この人のここ良いよなー」なんて思っていた所にひょんなことからその人と会話が生まれるとする。どうだろうか。興味の無いのっぺらぼうと会話するよりも小さな好意のある人とする会話は楽しいのだ。私が若い頃、コンビニの店員の女の子と付き合ったことがある。汚い作業着で毎朝そのコンビニで煙草を買っていたのだが、いつも元気なその子に笑いかけるようになる。そしてその子も私の煙草の銘柄を覚えてくれるようになった。私が言わなくてもその煙草がレジで出てくる。毎朝お金を払う間の1分程度の会話が生まれる。と言った具合だ。注意したいのは「知らない人への好意」ではないということである。これを間違えると「勘違い野郎」の「気持ち悪いストーカー」となる可能性がある。知らない人の良い所・好きな所を探すのだ。恋愛体質の人はこれをするのが人より上手い。そして好きになるのが早い。そして嫌いになるのも早いのだ。白馬の王子様も朝いきなり誰かとぶつかって何コイツムカつくと思いながら出社したらそいつがいて何でお前がいんだよ!なんて思いながらほのかに気になるなんて展開もこの現実社会にはない。自分自身が不特定多数の知らない人達へ興味を持つこと。これが人と繋がるスタートなのだと思う。

 

おっぱいは揉めない。

 

 

私の仕事のやり方

天邪鬼 - 亡霊の戯言

人は一人では生きていけないのだ。お前昨日と言ってることが違うじゃねぇか何言ってんだこのキチガイと思われるだろうがまぁ待て貴様ら私がキチガイなのは今までの私の記事を読んでいれば百も承知だろうそんなにヤイヤイ言わなくても良かろうも。さて仕事の話に移行しようか。私の仕事のやり方、と言ってもそんなに大した話でもなんでもない。テクニカルでトリッキーな仕事法が知りたいのなら才能研究家のやぎペー( やぎぺー@才能研究家 (@yagijimpei) | Twitter  )のとこにでも行って才能を見出してもらうか帰りの飛行機代を知らない人から貰える方法でも教えてもらえばよい。私はそんな才能も面の皮も持ち合わせていない。私の仕事のやり方は簡単だ。沢山の人に会うという事、自己紹介がキチンと出来る事、ただそれだけである。ここで重要なのは自己紹介である。私は何者なのか、どんな会社でどんな事が出来るのか、私はあなたのどんな困ったことを解消できるのか、などをちゃんと簡潔に説明出来るかだ。世の中の沢山の人達の脳内に「私」をインプットさせる。「何かあった時」その人の頭の中で、いの一番に「私」を思い浮かばせる努力、それが私の仕事であり営業である。私の仕事は小難しい仕事であるが小難しい話や説明など一切しない。しかしながら小難しい話が必要ならば相手が「もういい」と言うまで詳細を説明する。「知ってるけど言わない」と「知らないし言わない」は違うので注意されたし。日々勉強だ。私に才能さえあれば飛行機代誰か出してくれるのに...クソッ!ここまでは沢山の人に「私」を知ってもらう仕事であるが、次は相手を知る仕事である。「あなた」は何をやっていてどんな事が出来て、私のどんな困った事を解消出来るのか、をヒアリングし「私」の脳内にインプットする。数えた事は無いが、多分数百人は私の頭の中には「あなた」が存在する。仕事をしていると色んな場面で「これどうする?」が絶えず出現するわけだが、その時に「あ、〇〇がこれ出来るって言ってたな」と閃く事が出来れば紹介してあげれば良い。その時仕事にならなくてもよい。紹介した方もされた方からも「私」は感謝され、そしてその双方の頭の中に「私」は刻まれる。私は一人ではない。頭の中に数百人のそれぞれのプロが存在し、そしてその人達は、私を、お客さんを助けてくれるのである。これらを繰り返していると、何か困った事案が発生すればその種類は関係なく誰かの頭の中で「私」が出現し「影に聞いたらどうにかしてくれるんじゃね?」的な位置となるわけだ。営業としてこんなに嬉しい話は無い。営業だろうが技術だろうが経理だろうが販売員だろうが関係ない。沢山の人に会って沢山の人を知り、そして「私」を知ってもらうのだ。私の頭の中には上場企業の役員から不動産屋からパン屋から保険屋から西成の日雇い労働者まで色んな人達が実在している。

「影に聞いたら何か知ってんじゃね?」

私はその辺の汚いただの設備屋であるが、アンテナが人より太くて長い。情報が集まると仕事が集まって人が集まるのである。目先の金なんてどうでも良いじゃないか。金の臭いをプンプンさせながら一人数百円を集めてドヤ顔するより、汚ねえ手でガッチリ握手しながら「先に仕事をする」んだ。金は後だ。我々の仕事で誰かが喜んだら、それが金に代わるのだ。才能研究家達のアレが自由なら私は自由など要らん。やり方さえ知っていれば、今はインターネット回線に乗って札束が降る時代なのかもしれないが、私は油まみれのくしゃくしゃの一万円札を握りしめて家に帰るよ。私の願いは一つだ。

 

おっぱい揉みたい。