革ジャン⇔スーツ

毒は持っていません。毒と感じるのはあなたの感性。

お金は追うものではなく付いてくるもの

おい貴様サボってねぇで毎日更新しろよと某ブロガーにお叱りを受けたので気が向いた今のうちに更新する。先日ゆるふわ可愛い毒牙系ブロガーのさめ氏から言及(紹介)を頂いた。ここはてなでは「〇〇でIDコールがありました」と通知が来ると完全に身構える。え?なんで?俺なんかした?最近煽り記事書いてないけどな… なんだろ… などと思案しながらその言及記事内で白目血だらけでピクピクと意識を失っている私を見に行く、というのがここはてなでの言及である。恐る恐る見に行くとそこには俯きながら恥ずかしそうに立っている私に「面白いよー」と有名ブロガーが紹介してくれていたという有難い誤算であった。あざした!その記事にはもうぴーぶいは追わない、好きなこと書くと宣言されていた。私も同意見である。検索エンジンだか何だか知らないが、自分ではない他者のシステムや集客ノウハウ・テクニックに依存しその収益に一喜一憂するなど本当にバカバカしいと思うのである。私のブログなどはブクマが10を超えれば800〜1000、普段は100〜300のド底辺ブロガーである。しかしながらこれが私の実力なのだ。検索流入とやらのテクニックも営業活動も何もしていない。純粋に「あのオッサンまた何か言ってる」と見に来てくれている人の数である。私は本当にブログで金を掴みたいならこの「分母」を増やすのが本来の姿なんじゃないの?と思うのだ。そしてそうやっている人達に私は儲けてほしい。今儲かってるアッピールしているブログで面白いなーって人を私は知らない。タイトルが大事とか色やら改行なんて私はどうでもいい。私が好きなあなた達が書いたものなら形式はどうだって私は読む。最終的に強いのは「書く人」であり「テクニック」ではないと私は信じたい。さすればプラットフォームがどうなろうと人が離れることはないのだ。「金玉袋を伸ばしてモモンガみたいに飛んでみた」みたいな釣りタイトルで騙してるような連中に明日などない。では私は本当に金玉袋を伸ばしてモモンガのように飛んでやろうじゃないか。金玉袋の伸縮性、空気抵抗、空気圧や空気の滞留、スピードを計算して。乾燥して袋が破けるといけないからニベアを買っておこうか。何の話をしているか分かるか?分からんだろう。当たり前だ。私にも分からん。ただ1つ言えるのはこんなクソ記事をここまで読んでる貴様らは私に夢中だと言うことだよ。残念だったな!また会おう。ふはははははははははははははははははははははは

 

 

女性専用車両の件は反対派も擁護派もウダウダ言ってる奴がアホみたい

法律で決められてないやら乗ってもあれはただのお願いだから問題ないやら擁護派だけどあれは差別だと認識すべきやらウダウダグダグダずっとホッテントリされてるけどあんなもんで細かい事ネチネチ言ってる奴は全員気持ち悪い。もう本当キモい。あんなもん痴漢に遭って恐い思いした人とか男の人ちょっと恐いみたいな女性に1両か2両か知らねえけど女性専用にしましょうよこれはあくまでお願いなんですけどすみませんて話でしょ?それが例えばあれだよ、おいお前ら明日から全車両の8割女性専用車両な乗るなよ貴様らみたいな話しなら「はぁ?」ってなるけども1両か2両の話だろ?乗らなきゃ良いじゃねえか。わたしゃ最近免停で毎日電車を利用してたけど女性専用車両で不便に思ったことなんて一回も無かったよ。時間帯がどうのこうのとややこしかったからその車両を完全に避けてた。最近は分かりやすく表示されてるからね。他の車両は満員なのに女性専用車両はスカスカだとかブスしか乗ってないとか平等にするなら男性車両作れとかそんな細かいどうでもいい事グチグチガミガミ言ってるの聞いてるとイライラするよ。結局「思いやり」で片付く話じゃねぇか。あれに乗ってる人が痴漢に遭ったとか遭ってないとかどうでも良いのよ。男と一緒に乗りたくないっつってんだから「どーぞー」で良いじゃん。何をそんなに難しく考える必要があんのよ。余裕の無い奴は嫌われるよ。ただ女性専用車両を利用する人に一つだけお願いがあるとすれば、私も前に一度経験したことあるんだけど、間違えてその車両に乗った男には普通に注意してもらえませんかね。私が経験したのは、もの凄い嫌悪感丸出しで「あなたこの車両は女性専用なんだけど!!!」と怒鳴られました。わざとじゃねえよ。疲れてる時にちょうど来た電車に飛び乗ったらそうだったんだ。普通に「女性専用車両ですよ〜」って言や分かるよ。あれは普通に反対派増やすよ。これもあれだね。余裕。余裕無い人間多すぎるんだよ。ギスギスして。細けえ事でイライラすんじゃねえよ。まぁそんなにカッカカッカすんなって。タバコでも1本どうだ。ほら吸えよ。ん?なんだよその顔は。嫌煙家か。そうかそうか。

 

ギスギスしてんなぁ。

 

 

仕事したくない人って辞めて何すんの?

んじゃお前明日から何もしなくて良いよ好きにしろよって言われても私には何もすることがない。ギター?そんな毎日ギターばっか弾けねえよ。仕事の合間に爪弾くからあれは良いんだよ。ゲーム?ポコポコしかしないけどあんなもん10分で飽きる。他のゲームはボタンが多すぎてパニクってひきつけ起こすからやんない。読書?文庫本は必ず持って読んでるけど、あれも「読む隙」を見つけて読むから良いのよ。スポーツ?そんなのやってるならこんなに太ってねえよ。映画?私がよく観てたのは20年くらい前でその時に比べると「これ絶対見たい!」って映画が無い。女?何もすることが無いのに女に興味が湧くとは思えない。マンガ?小さい頃からジャンプとかマガジンとか読まない子供でそういう習慣無いから今更読めと言われても面白いマンガ知らない。誰かおせーて。手芸?俺の手ゴリラみたいな手なんだよ。釣り?そもそも虫が触れないから餌触れないのよ。酒?俺酒飲むとロクなことないのなー。というわけで仕事しないってなるとはっきり言って何もすることが無い。自分で売るものを考えて自分で作って自分で営業して種蒔いて自分で色んな人に会って自分で色んなこと話して自分で受注して自分で工事して自分でお金貰って自分でまた次のスタートラインに立つんだ。残業やら何やらとそこに不平不満があるなら自分でやれば良いんだよ。誰かの事業にぶら下がって給料貰いながら自分は一丁前だと過信するのはすごくダサい。我々は何者でもないんだ。思いが強ければ勝てるし思いが弱ければ負ける。ただただそれだけ。何もすることが無いのに長生きしてもしょうがないからとりあえず私は仕事を楽しむことにするよ。アヘ顔ダブルピースしながら死んでやるんだ。

 

 

はあちゅうについて思うこと

 何やらはあちゅう女史が元気である。はあちゅう?はぁちゅう?どっちでも良いか。彼女にあまり関心がないのにも関わらずインターネッツを眺めてると目に入ってくるのはやはり元気なんだろう。少し興味が湧いたのでtwitterを見てきた。素晴らしい。目につく、鼻につく、耳につくと私の五感をこれでもかと刺激されたので呟きを10個も読めばお腹いつぱいになりそっ閉じしてしまった。と、同時に可愛らしい人だなとも少し思った。一生懸命なんだろうなと。「はあちゅう」とは何なのか。「はあちゅう」は彼女の商売道具でありモビルスーツである。インフルエンサーなるややこしい話をされているが、要はファンもアンチも含めた莫大な数のフォロワーを持つ「はあちゅうを創る人」、彼女はクリエイターなのではないか。いつも同じ「はあちゅう」では飽きられるから絶えず新しい「はあちゅう」を細胞分裂するかのように創り出さねばならぬ。彼女に考えてる暇など無いのだ。思った事をすぐにアウトプットし、新しいはあちゅうを創り出す。朝令暮改?四面楚歌?そんなものは関係ない。彼女は「はあちゅう」であり続けること、新しい「はあちゅう」を生み出すことで一生懸命なのだ。それが彼女の食い扶持であり、仕事なのである。考えてみよう。私のような無名のインターネッツ使い手は、100人〜300人くらいの小さなライブハウスで吠えているだけだ。マニアックな趣味の人達に支えられて続いているに過ぎない。しかし彼女はどうだ。東京ドームクラスのハコであのような発言やシュプレヒコール、自身のプライベーツをこれでもかと吐き出すのだ。私には出来ない。前説すら私には出来ないだろう。しかし彼女はやってのけるのだ。野次やペットボトルが飛んできてもなんのそのである。私は素直に凄いと思う。そして彼女は悪いことばかりがフィーチャーされがちだが良いことも言っているはずだ。残念ながら私はあのTLを追えるメンタルは持ち合わせていないので確認はしていない。良いことも言ってるはずだ。たまに。多分。知らんけど。その辺は各人で確認されたし。私が思うに「はあちゅう」というコンテンツはまだ面白いからこれだけ話題になるのだと思う。毎日浮かんでは消える炎上芸人が今まで何人いただろうか。その炎上芸人を我々は覚えているだろうか。影響力云々というtwitterのリプライを目にするが、私は彼女に影響力なんてそんなに無いと思う。彼女の事を知って見てるのはインターネッツに長けたそこそこ賢い人達だ。彼女の強みは炎上を狙ってない。毎分毎秒変化する「はあちゅう」に我々が処理出来ずにいる。目まぐるしく変化する「はあちゅう」に魅せられ、怒り、そして涙するのである。そんな可愛らしい彼女を優しく見守ってあげて欲しいというメッセージをこのブログの最後に添えると共に、私は金輪際「はあちゅう」を見ることは無いだろうと宣言して本日は終わらせて頂くことにする。ご清聴ありがとうございました。

 

 

新幹線には様々な人間が混在する

私は新幹線に乗る機会が多い。その理由としてあっちこっちで呼ばれてその餌にすぐ食いつく癖が抜けないからである。南は沖縄・奄美大島、北は岩手県まで今まで呼ばれれば行っている。北海道はさすがに断った。何故かは分からん。今北九州の案件で相談を受けてるのでその内ウロウロするハメになると思われる。修羅恐い。普段の移動手段は車でその範囲はと言うと、東は名古屋〜長野まで、西は岡山ぐらいまでなら車で行く。その他は新幹線か飛行機となる。私は乗り物が嫌いなので、なるべく狭くなくて静かに移動したいのとデブで身体がデカいので生意気ではあるがグリーン車に乗っている。飯は松屋の並牛丼で良いのでこれだけは許して頂きたい。うるさいのと隣に2時間半知らない人がいるのは私には耐えられない。そのグリーン車両でよく見るのはグリーン指定を買ってないのにその席に座る輩である。一発で分かる。グリーンは大体窓際しか埋まらないので、よほど混んでいない限り通路側に座る人間はいない。窓際が空いていれば尚更である。そういう輩はキョロキョロしながら必ず通路側に座り、そして停車駅で立ったり座ったり落ち着きがないのである。鬱陶しい。鬱陶しいのである。左斜め前で、私の視界の端っこで何やらワタワタしている。座席のシートは90度の直角で。こんな輩を相手にするだけで時間の無駄なので無視を決め込んで喫煙ルームに行こうとすると、誰か人が通る度に横の座席に置いてある自分の鞄に覆い被さるオッサンがいる。私が通った時も大事そうに鞄を抱きしめた。なんだ。なんなんだ。取らねえよ。何が入ってんだよ。3000万ぐらい入ってんのか?目がキンキンじゃねえか。まぁ良い。おい!!!そこ!!!オッサンと若い姉ちゃんでイチャイチャしやがっておっぱじめんじゃねえのかお前ら。くっそー落ち着かねぇぜ。だから乗り物嫌いなんだよ。とりあえず弁当でも食ってパソコンで仕事でもするよ。今日は東京でお仕事です。東京の皆様お手柔らかに。


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バラ色の人生 ~La vie en rose ~

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折り返し地点である自分の人生をふと振り返る。私の今までの人生はそれほど悪くない。幸い私は若い頃から仕事を嫌う性格ではなかったので、20代では手取り月収40万を切ったことがなかった。その代わり肉体労働や長時間労働も特に気にせずやってきた。元々何かを深く考える人間ではないため、1日15時間働いて5時間バンドして5時間女と遊んであれ?1時間足んねえなまいっかはははーてなもんであった。てなもんや三度笠であった。バンドを辞めて本気で仕事だけになった30代ではブラック企業に入社し、死ぬほど金が無かった。しかしながら今の仕事の基盤を作ったのは間違いなくそのブラック企業であり、あの頃一緒に働いた同士及び上司及び経営者達には感謝しながらも全員新種の疫病にかかって早く死ねと思い出す度祈り続けている。そして今である。去年の今頃は突然2000万の負債を負い、2ヶ月で1億の売上をあげないといけない状況に陥ったがちゃんと乗り切って今は元気にしている。そうだ。何も問題は無い。死ぬ時に±0で死ぬのであれば、感覚的に今の私は完全に+域だ。色んなことがあったがそんなもの深く考えても仕方ない。目の前に立ち塞がるトラブルなど何も恐くない。諦めずに一生懸命やれば何とかなるのだ。絶対に。-域で諦めて辞めるから-で終わるのである。+域まで諦めない、絶対に辞めない。辞めれば-域の苦しさから一時的に逃げる事は出来るが、それまで積み上げた+がまた全て0になる。だから私は-の苦しさから逃げる事など無い。これは今の若い世代から忌み嫌われる所謂「根性」である。まぁでもやらないなら私はそれで良いと思う。私はやるだけだ。この「根性」のおかげで今までの私はずっと+域である。これからどんな-が来ようと関係ない。死ぬ間際まで私は+になるまで頭を突っ込んで絶対に+域で死んでやる。そうやって昨日の夜帰宅する電車の中で考えていた。とその時、全身に痛みが走った。何だこの痛みは。相当ヤバいような気がする。今日何か変な物を拾い食いして食べたかなと思案していると、車に数日放置していた缶珈琲を間違えて飲んだのだ。私はあまりそういう類のものは気にしない性質なのだが今回のものは味が相当ヤバかった。集中して全身の痛みを解析した結果、やはり痛いのは腹である。ヤバい。どうしたら良いんだ。電車を降りて便所に行こうか。ダメだ。これは最終電車なので降りれば一発アウト、歩いて家に帰らねばならん。田舎なのでこの時間にタクシーなど一台も通っていない。どうする。どうする俺。そうだ。とりあえず「すかしっ屁」でこの痛みを緩衝しよう。幸いこの最終電車には乗客がまばらだ。43年培ってきた「すかしっ屁」のテクニックを駆使しこの窮地を免れるのだ。ここで技術的な「すかしっ屁」の解説を入れておきたい。「すかしっ屁」とはケツのバルブ、所謂肛門の筋肉を締めたり緩めたりで行う。このバルブを全開にするといつも必ずと言って良いほど待機している「黄金」所謂「ウンコ」が大量に放出される。その黄金とバルブの隙間を上手く調節する事により、その隙間から音を出さずにガスのみを放出する、という仕組みである。圧力をかけると音が鳴るので、なるべく圧力を抑えながらバルブを調節しガスを外に逃がすという寸法だ。これでパンパンに膨張した大腸が少し縮小し、痛みが緩和されるといった算段である。周囲を気にしながら、全く集中できないスマホのポコパンを睨みつけそして静かにバルブを開けた。漏れた。バルブを閉めた。速攻である。慌てている私が犯した最大のミスは「黄金が固形ではなかった」という事である。固形ではない所謂スラッジ(汚泥)となった黄金に隙間が生じなかったのである。幸いすぐバルブを閉めたので大量のスラッジ流出という事故は免れた。最寄りの駅に着いた私はそそくさとトイレに駆け込み、バルブ付近を洗浄し、パンツを近くのゴミ箱へ処分した。まだ肌寒いこの季節にノーパンで帰宅して泣きながら就寝した。そう、昨日までバラ色のだった私の人生は今日からババ色になった。この-域を+域に私は持って行けるのだろうか。何を頑張れば良いのだ。どこで根性を出せば良いのだ。あの時もっと根性を出せば肛門から黄金をバキューム出来たのだろうか。無理だ。今回は、こればっかりは諦めるよ。私はまだまだ+域に行けそうにない。

 

 

私が懐石やコース料理を好む理由

何のことは無い。食事の時間配分がこちらではなく店主導で行われるから、というだけである。別に高級がどうのやら何かをひけらかしているわけではない。食事の時間が大体2時間と決まっているからだ。終わりの時間にデザートが勝手に運ばれてくる。これが「この食事はもう終わりですよ~」というサインである。知った仲であれば客側が注文する店でも問題無いが、相手が取引先やお客さん若しくは初めて食事をする女性とかであれば私も相手もコースや懐石が好ましいと思っている。一旦区切れると「相手が」帰りやすいからである。私がデリカシーの無いくだらない話ばかりする男であれば相手が可哀想だ。ダラダラと終わりの見えない食事ほど辛いものはない。一旦終わればその次どうするか決めればいい。帰りたければ帰れば良いし次行きたければ次に行けば良い。帰りたいのに帰れない状況は地獄である。「デュフ...デュフフ...」などと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、ボロボロ食べ物を口から溢しながら、脂汗をこれでもかとまき散らしながら食事をする私。時間を区切る、相手が帰ると切り出すタイミングを作るというのはそんな私に付き合ってくれている相手へのせめてもの配慮である。勘違いするから早く私から逃げてくれ。そんなこんなでやはりこの手の食事は金がかかるので、取引先相手だと経費だと割り切って気にしないが女性相手だと私はあまり顔を出さない。ボロボロと口から食べ物を溢すのを見せるのも申し訳ない。冷たいとか素っ気ないとよく言われるがそういうわけでもない。タイミングもあるだろうしそういう機会があるのは私は「縁」だと思っているので、無理に調整したり相手にしつこく連絡したりはしない。「たまたま」会うのは「たまたま」なんでしょうけどそれは偶然であって必然なんだと私は思っているわけですよ。会うべくして会ってるんだと。縁を考えるとすごく不思議で面白い。出会いも食事も、相手をちゃんと思いながら私自身が動ければな、と食べ物を口からボロボロこぼしながら、鼻から麺を出しながらいつも思うのです。